俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

インターネットに呑まれるということ

時間が経つと人は変わる。

一部のネットウォッチャーが他人に対して

「○○は3年前と言ってることが違う」

と指摘することもあるけれど、むしろ変化しない人の方がおかしい。
多くの人は、周りから影響を受けて少しずつ考え方が変わっていくもので、それは自然なことだ。

変化の過程では、

周りの人や書籍、内省によるフィードバック

自分で咀嚼して、異なる考え方を取り込む

取り込んだ考え方を実践していくうちに、自分の中で当たり前なものとして定着。習慣となる。

という流れを踏むことになる。この変化は「思考の習慣化」という過程を経るため、急激には起こらない。

心が変わり、身体(脳)が変わり、スキルも変わり、周りの反応も少しずつ変わっていく。
心技体が鍛えられていく。

しかし、ネットに呑まれた人は別だ。
心だけが急激に変化する。

急にフォロワーが増えたツイッタラーのキャラがどんどん変わっていくのはよくある。
それが他人への配慮ゆえに伝え方をマイルドにしたり、身バレを警戒して控えめなツイートにするのであれば、何の問題もない。

まずいのは、ネット上の自己評価が極限まで高まってしまうことだ。
特にツイッターの場合、フォロワーが増えたらものすごい勢いで反応されるようになる。

炎上しやすくなる面もあるが、ポジティブな反応も増えるだろう。

匿名で、自分とは切り離した存在であるアカウントであるはずなのに、色んな人に褒められているうちに、少しずつ気持ちよくなってきてしまう。

それが加速していくと、ネットの匿名アカウントが独り歩きしていく。

現実の自分はそれほど変わっていないのに、ネット内ではどんどん影響力が大きくなる。

大人になると、リアルで人に褒められるってそうそうないから、そりゃあ嬉しい。
気持ちいい。

そのうちネットの反応に酔っていって、アカウントの評価=自分の実力のように思ってしまう。

リアルでは優しく思いやりのある人間が、ネットでは傲慢で高飛車な人間になっていくようなことが起こる。

これが「ネットに呑まれる」ということだ。

呑まれた人間はネットの仕様に合わせて、人格がリアルと乖離していってしまう。リアルはネットほど都合よく変えられないのに。

ツイッターにたくさんいる男見下し系のキラキラアカウントも、リアルでは謙虚でいい奴なんじゃないかと思う。
でもツイッターのキャラクターで、謙虚でいい奴なんてウケないし、受け入れられない。

ネットにウケるキャラを演じているうちに、アカウントだけが明後日の方向にいってしまうのだ。

人間は目にしたもの、触れたものには少なからず影響を受けてしまう。

明後日の方向に進んでしまったキャラクターはリアルの人格にも影響を与えてしまうかもしれない。

「俺はネットであんなにファンがいて、こんなに褒められてるんだぞ」

これはよくない。

僕は個人的には、ネットのキャラクターがリアルの自分を超えないように気を付けたいと思っている。

「すごい自分」

を演出することはきっとできる。
「すごい自分」にはたくさんの「いいね」がつくかもしれない。

でも、その「いいね」はリアルでたくさんの時間をかけて、チャレンジした末にやっと得られるようなものなのではなかろうか。

ネットで承認欲求を満たしてしまうと、リアルで「人に認められたくて頑張る」というモチベーションが下がってしまう。

それはきっと、自分の人生にとって良いことではない。

とにかくネットはフィードバックが大きすぎる。僕のように調子に乗りやすい人間は絶対に勘違いしてしまう。

ということもあって、何かを書くときはできるだけダメな部分にフォーカスを当て、失敗を笑い話として伝えたいな、と思っている。

インターネットで「すごい人」にはならないように。
それはリアルで目指すべきものだから。