「I”s(アイズ)」伊織の実写キャストの白石聖って誰?どこ出身?カップは?彼氏はいるの?




知らん。


そんなことより、I”sについて語らないか?

俺がI”sに出会ったのは中学生の頃だった。

無論、女体に触れたことなどない童貞だった。


一発だったよ...。

一発でイカれたんだ...。


I”sの第一話、1ページめの伊織ちゃんを見た瞬間、俺は恋に落ちていたんだ。


そんな伊織ちゃんの姿を見てくれないか?



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すまん、これは俺が描いた。


自分で言うのも何だが、けっこううまい気がする。


ちなみに桂正和先生が描いた伊織ちゃんはこちら。

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『I"s』第一巻、第一話より


この伊織ちゃんを見た瞬間、恋とは何かを知った。

恋は英語にすると"fall in love"

突然落ちてくるものだったのである。


伊織ちゃんに恋をした僕は、主人公である瀬戸一貴と自分を重ねた。

好きな子に「好き」と言えないもどかしさ。

好きな子を廊下から見つめることしかできない歯がゆさを、まるで自分のことのように感じながら、食い入るように読んでいた。


今でこそ「おはよう」と同じくらい軽々しく「好きだ」と言えるようになったが、当時は童貞だったのだ。

カイジにとって金が命よりも重いものであるように、

童貞にとっての「好き」も命よりも重いものなのだ。


ある時、修学旅行中に瀬戸と伊織ちゃんが「王様ゲーム」をして、キスをするシーンがあった。

僕は「修学旅行」ってこんなに楽しいものなんだ、と期待し、ずっと楽しみにしていたのだが、いざ中学二年生になって修学旅行が決まった時に待ち受けていたのは、


友達がいない


という現実だった。

なぜ誰も俺と同じ班になってくれないのだ。

なぜ俺を班のメンバーに誘ってくれないのだ...。


友達がいない中学生にとって、修学旅行は拷問だ。

クラスで二人ペアのグループを作るときに一人だけ余るような中学生が、修学旅行の王様ゲームで美味しい思いなどできるはずがないのだ。

結局、I"sのようなハプニングなど起こるはずもなく、つまらない観光名所の見学と、長いバスでの移動に酔いっぱなしで修学旅行を終えた。

修学旅行は男女の幸せな恋を育む素敵なイベントなどではなく、自己中心的で、生徒を楽しませる才能がない教師の自慰に過ぎないのだ。

そしてこの悪口は当然、ただの八つ当たりである。


I"sは僕のバイブルだった。

同じ世代のみんなにとってもバイブルだったろう。

絵に恋をしたのは「ときめきメモリアル」以来だった。


瀬戸の行動を見て手に汗を握り、伊織ちゃんを見て悪い意味で興奮した。
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キスって本当にイチゴの味がするんだろうかと妄想した。

本当は無味無臭だって気付くのにそれから1年を要した。


こんな気持ちにさせてくれる恋愛漫画に出会うことは生涯ないだろう。


童貞時代にアイズに出会えた幸せ

童貞真っ盛りの多感な時期に『I"s』を読めてよかったと思う。

実写化するということで、いま改めて『I"s』を読み返してみたのだが、正直あの頃と同じトキメキを感じることはできなかった。

漫画の世界に入り込んで主人公と一緒に恋をするには僕はいささか現実を知りすぎてしまったし、

高校生ならではの恋の悩みに共感するには僕は年を取りすぎてしまった。


何も知らなかった中学時代にI"sに出会えたから、僕は瀬戸の行動一つ一つに共感することができたのだ。

ツイッターを見ると男女の赤裸々な現実が綴られていて、伊織ちゃんのように可愛くて清楚で一途で、でも自分だけをずっと愛してくれる女の子など存在しないように感じてしまう。

そしてそれはある程度事実なのだろう。

恋愛漫画はファンタジーだ。

現実と異なっているからこそ面白い。


そしてファンタジーを楽しめるのは、現実を知らないうちだけだ。


童貞よ。

世の童貞たちよ。


童貞を恥じてはいけない。

童貞は、それを卒業してしまった者が決して手に入れることのできない

「純粋な心」

を持っている。

童貞は不可逆なのだ。

一度童貞を捨てたらもう二度と、童貞に戻ることはできない。


童貞よ。

童貞を決して恥じることなかれ。


そのピュアな心を失う前に、『I"s』を読んでみてほしい。

童貞のうちにしか感じ取ることのできない切ない恋愛感情の機微が描かれていることがわかるはずだ。


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