dマガジンという雑誌読み放題サービスで、DIMEという雑誌を読んでいた。
2019年1月号の特集は
「平成最後に流行ったもの」
である。
その特集で「ベストキャラクター賞」に選ばれたのが、安室透であった。
知らない人に説明すると、安室透とは、身体が子供だが頭は大人「名探偵コナン」に出てくる色黒の男である。
2018年4月、興行収入88億を突破する大ヒットとなった映画「名探偵コナン ゼロの執行人」
僕もこの映画を見に行ったのだが、この映画の主人公はもはやコナンではなく、安室であった。
関連記事:映画コナンでやたらイケメンだった「安室透」とは何者なのか。
映画が終わった後に小太りの女が
「か、カッコいい〜」
と悲鳴を上げ、一瞬なんのことだかわからなかった。
彼女たちは安室透に恋をしていたのである。
安室透という男は、喫茶店でバイトする私立探偵であり、黒ずくめの組織の一員であり、その正体は公安警察の捜査官という“トリプルフェイス”を持つ。
この設定に女子が濡れて、人気に火がついた。
安室グッズは続々完売。
安室のイベントでは長蛇の列ができ、安室の正体である“降谷”のハンコが爆発的に売れた。
そして映画の興行収入が伸び続けていることを知った“安室の女”は、
「安室透を100億の男に!」
という掛け声のもと、なんと5回、10回と同じ映画を観に映画館に足を運んだのである。
いじらしいほどに純粋な愛であった。
好きなホストに貢ぎ続けるメンヘラのように、彼女たちは安室透に惜しげもなく金を注ぐ。
ホストはまだ手が触れられるから理解できるが、安室はアニメキャラクターなのだ。
なぜ“安室の女”は触れられない男にここまで入れ込むのだろうか?
想像力は世界を包み込む
「想像力は、知識よりも重要だ。
知識には限界がある。
想像力は、世界を包み込む」
こう述べたのはアルベルト・アインシュタインである。
人間は想像力によって、脳内に仮想現実を作り出すことができる。
驚嘆すべき能力である。
僕自身の経験を振り返ると、たしかに「触れられない女」に恋したことがあった。
『I"s』という漫画の伊織ちゃんである。
関連記事:「I”s(アイズ)」伊織の実写キャストの白石聖って誰?どこ出身?カップは?彼氏はいるの?
中学生の頃の僕は誌面で笑う伊織ちゃんに恋していた。
漫画のキャラクターに、である。
彼女は動かない。
僕の愛に反応することもない。
それでも僕は、童貞の豊かな想像力によって脳内に幻覚を作り出し、脳内で伊織ちゃんとデートをしていたのだ。
文章にすると恐ろしくヤバイ人間に見えるかもしれない。
しかしヤバかった僕と同じように、“安室の女”も脳内に安室を作り出し、現実とは違うパラレルワールドの中で“安室の恋人”をエンジョイしているのではなかろうか。
ジャニオタが脳内で松本潤の恋人となるように、クソリプおじさんがアイドルの恋人みたいに振る舞うように、人間には脳内で現実を都合の良い形に書き換える力があるのだ。
アニメキャラやアイドルは「神」である
アニメやアイドルに恋する人にはライトな層とヘビーな層がいる。
ヘビーな人は一見するとガチンコで恋しているようにも見える。
彼女たちの行動は現実世界でモテない非モテの逃避行為だとか、現実を歪んで見ているだとか色々と言われている。
しかし不思議なことに、彼女たちは別に松潤や安室透を「恋人として独占しよう」とは考えていない。
脳内の妄想で現実を書き換えてしまったのであれば、「恋人」として他者を排除してもおかしくはないはずなのに、ファンはファン同士でつながり、むしろ良好な関係を築いているようにも見える。
そこでハッと気付いた。
安室透や松潤は彼女たちの偶像なのではないかと。
神に近い。
嵐のコンサートのチケットを優先的に手に入れた人が叩かれたり、ジャニーズの恋人が怒られたりするのはネットではよくあることだ。
これらは「神を独占すること」に対する怒りのようにも感じる。
嵐の櫻井翔さんの交際ニュースを祝った原田曜平さんのリプ欄が地獄 pic.twitter.com/ReCs2vWv9B
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2017年2月26日
自分が恋人になるなんて、おこがましい。
でも他人に独占されるのは許せない。
恋人というよりは、信仰心に近いように思う。
もしかしたら“安室透の女”も「恋」というよりは「宗教」に近いのではないだろうか。
宗教であれば、相手が反応しなくても構わない。
教祖の一挙手一投足にこちらが感動し、お布施としてお金を落とし、応援し、信じてついていく。
結論として、アニメキャラやアイドルに本気で恋する人には2つのパターンがある。
ひとつめは、脳内で現実を都合よく書き換えて、恋人だと思い込むタイプ。
ふたつめは、宗教としてそのキャラクターを崇拝するタイプ。
前者は自分が対象を独占しようと暴走しがちで、
後者は他人が対象を独占することは許さない。
どちらも傍から見たら「熱狂的なファン」で、過激な人である。
どちらも大きなお金を落とし、応援に労力を惜しまない。
斜に構えて観察すると、「世の中には変わった人がいるなぁ」と考えて終わりにしてしまいがちだが、
これはもしかしたら、全てのファンビジネスにとって大事なことなんじゃないだろうか。
サロンやメルマガだって、運営している人を教祖のように信じてついていってるわけだし。
僕たちはジャニオタや安室の女を眺めるだけでなく、何が彼女たちを惹きつけているのかをよくよく研究する必要があるのだ。