橘玲先生の新刊『上級国民/下級国民』が面白い。
いつもの「経済的独立」や「ファイナンス」「キャリア論」とは違い、「今、世界で起きていること」を論じている。
ツイッターやヤフコメ民を見ていて、
「なぜ、この人達はいつも怒っているんだろう?」
「なぜ、怒っている人達には理屈が全く通じないんだろう?」
「怒っている人達の多くが生活に困窮しているように見えるのはなぜだろう?」
と感じたことがある人は、『上級国民/下級国民』を読めばスッキリするかもしれない。
『上級国民/下級国民』では、「持てる者(モテる者)と持たざる者(モテない人)の分断」について語られているからだ。
グローバル化によって世界は全体的には豊かになった。
一方で先進国では中間層の崩壊が進み、主流派(マジョリティ)の分断が進んでいる。
全ての社会が「知識社会化・リベラル化・グローバル化」の強大な圧力を受けていて、そこから膨大な数のひとたちがこぼれ落ちていくからだ。
いま、アメリカでは貧しい白人たちの間で「白人アイデンティティ主義」が急速に広まっている。
彼らは「自分が白人であるということ以外に誇れるものがない人たち」で、知識社会から脱落した中間層の中で、そのような脆弱なアイデンティティしか持てなくなった人たちが増えている。
あらゆる先進国で起こっているポピュリズムの台頭は、「下級国民による知識社会への抵抗運動」なのだ。
...とここまで書いてきて、これはネットの媒体で書いてたら絶対炎上していただろうな、と震えている。
ざっくり書くと、知識社会に適応できないアホは貧乏になり、貧乏な人たちには「自分は白人だ」とか「日本人だ」みたいな、脆弱なアイデンティティしか持っていない人が多く、そういう連中の「知識社会への抵抗」としてトランプ現象だったりイギリスのブレグジットだったりが起きている、ということだ。
同じように「男であること」しかアイデンティティのない人たちが「ミソジニー(女性嫌悪)」の差別意識を生み出し、女であることしかアイデンティティのない人たちが「キチフェミ(過激すぎるフェミニスト)」になるのだろう。
知識社会では人々は「知能」によって分断される
先進国で分断が広がっている。
グローバル化によって世界が全体として豊かになってきているのは『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』などの本に書かれている通りだが、その代償として先進国の中間層が崩壊した。
「グローバル化」とは「リベラル化」であり、「知識社会化」でもある。
グローバル化によって数億人が貧困から脱出し、世界全体の不平等が急速に縮小している一方で、先進国ではかつての中間層が急速に「下級国民化」している。
知識によって富が生まれるのが現代の知識社会に適応できない人が中間層からこぼれ落ちていっているからだ。
個人の自由を最大化するリベラルな社会は前近代の身分制社会に比べれば素晴らしい。
しかしあらゆることはトレードオフで、リベラルな社会の負の側面は、自己実現と自己責任がコインの裏表であることだ。
リベラルな社会では「自分の生き方は自分で決める」ことができる一方で「失敗は全て自己責任」となる。
「本人のやる気で格差が生じるのは当然」
「努力は正当に評価され、社会的な地位や経済的な豊かさに反映されるべきだ」
というのは「能力主義(メリトクラシー)」であり、リベラルな社会の本質である。
それはつまり、知能の低い人間が知識社会から脱落して貧困に陥ったとしても、それは自己責任にされてしまうということでもある。
ヒトは長い進化の過程でさまざまな能力を獲得してきたが、産業革命以降の知識社会とは、論理・数学的能力と言語運用能力を持つ者が富と名声を独占する人類史上きわめて異常な社会である。
遺伝子はこれほど急激な環境の変化に適応できないため、「とてつもなく豊かで自由な社会」からこぼれ落ちていく人が出てくるのは避けられない。
知識社会における経済格差とは、「知能の格差」の別名なのだ。
トランプ旋風だったり、イギリスのブレグジットだったり、山本太郎人気だったり、世界中でポピュリズムが広がっている。
今、世界で起こっているポピュリズムとは、「下級国民による知識社会への抵抗運動だ」と橘玲先生は述べている。
中間層からこぼれ落ち、脆弱なアイデンティティしか持たない人たちが増えている。
たとえば「自分が日本人であるということ以外に誇るものがない」愛国原理主義者がネトウヨになり、ヤフコメで「朝鮮半島に叩き出せ」と在日叩きを行っている。
世界を「俺たち(善)」と「奴ら(悪)」に分割し、善悪二元論で理解しようとするのは、それが一番わかりやすいからだ。
『上級国民/下級国民』ではネトウヨ民について主に論じられているが、ツイッターでよく見られる「フェミ/アンチフェミ」の抗争や、「リベラル/保守」の論争にも通じるものだろう。
現代社会を蝕む病は、脆弱なアイデンティティしか持てなくなったひとたちがますます増えていることです。
彼らは名目上はマジョリティですが意識のうえでは「社会的弱者」で、だからこそ自分より弱いマイノリティにはげしい憎悪を向けます。
世界中のあらゆる場所でアイデンティティが不安定化し、憎悪がぶつかり合うのは社会が分断され、格差が拡大しているからだ。
その反動として、世界中でポピュリズムが台頭しているのだ。
世の中に絶望する人々
人類の豊かさは産業革命によって爆発した。
18世紀半ばにヨーロッパ世界の辺境だったイギリスで始まった産業革命によって、私たちはそれまでとは全く違う世界に放り込まれた。
産業革命は科学技術の革命であり、知識革命でもあった。
世界的にもアメリカ全体でも平均寿命は延び続けているが、アメリカの25〜29歳の白人の死亡率は年率2%のペースで上昇している。
50〜54歳の白人ではこの傾向はさらに顕著で、年率5%のペースで死亡率が上がっているのだ。
なぜこのような現象が起こっているのか。
白人の中でも高卒以下の人達の死亡率が全国平均の少なくとも2倍以上のペースで上昇している。
アメリカの低学歴層の死亡率が高い主な原因はドラッグ、アルコール、自殺で、これは「絶望死(deaths of despair)」と呼ばれている。
知識社会から脱落した人々の絶望は死亡率にも表れているのだ。
性愛の世界でも「モテ/非モテ」の分断が起こっている。
男は繁殖のコストがきわめて低く、女はそのコストが極めて高い。
女性の「性」には高い価値があるが、男性の「性」にはそれほど価値はないということだ。
この男女の性戦略の非対称性によって、恋愛の自由市場のなかで男は極めて強い競争圧力に晒される。
その結果、非モテの男は性愛から排除されることで人生をまるごと否定されてしまうのである。
日本で言う「非モテ」はアメリカでは「インセル(Incel)」と呼ばれる。
「Involuntary celibate(非自発的禁欲)」という意味だ。
モテ男と魅力的な女性の恋愛ゲームから排除されたインセルの凶悪事件が続いている。
2014年5月の無差別発砲事件(6人死亡)や15年10月のオレゴン州の短大(9人死亡)、17年12月ニューメキシコ州の高校(2人死亡)、18年2月フロリダ州の高校(17人死亡)、同年4月のトロントの路上(10人死亡)など、自由恋愛からはじき出されたインセルが暴走してテロを起こしているのだ。
上級国民と下級国民では話が合わない
アメリカでは民主党を支持するリベラル派(青いアメリカ)と、共和党を支持する保守派(赤いアメリカ)の分裂が問題になっていますが、新上流階級は、政治的信条の同じ労働者階級よりも政治的信条の異なる新上流階級と隣同士になることを好みます。
ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、いっしょにいても話が合わないのです。政治を抜きにするならば、彼らの趣味やライフスタイルはほとんど同じなのです。
上記の引用を見て、田端信太郎さんのツイートを思い出した。
過激なのでスクリーンショットにしたが、主旨は同じだろう。
ぶっちゃっけ東京とソウルに住んでる年収6万usドル以上でTOEICが800点以上くらいの人間同士の方が、それぞれの国で田舎に住んでる低学歴ドキュソと話すよりよっぽど話が合います。
それが21世紀グローバル社会の現実。
知識によって分断された社会では、国家や政治的信条に関わらず、「同じ上流にいる同士」の方が話が合う、ということだ。
こういうことをツイッターで書くと当然、「条件を満たしていない下級国民」が怒り、炎上する。
「下級国民」という概念はとても差別的で、自虐的に語るのは良いが、他人に指摘されたら腹が立つものだからだ。
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悪いのは自分ではなく他の何かだ
最後に少しだけ、本から離れた自分の意見を語る。
以前、下記のようなツイートを投稿したらたくさんのリプライがついた。
今の日本の雰囲気、自助努力で定年までに2000万貯めろと言えば政府にキレるし、終身雇用は無理っすと言えば会社にキレるし、税金高すぎると国にキレるしで、何かと大騒ぎして問題を先延ばしにしてる感じがするけど、そろそろ甘えを捨てて、未来がもっと厳しくなることに覚悟を決めなきゃまずいと思う。
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) June 18, 2019
このツイートの主旨は、
- 日本の人口動態的に年金だけで暮らせるバラ色の未来は来ないのだから、覚悟を決めて自分でお金を貯めるべきだ
- 経済成長が停滞し、そして拡大が難しいこれからの日本で終身雇用を維持するのが不可能なのは仕方ないから、覚悟を決めて自分の市場価値を上げていくべきだ
というものだけど、それでも企業や国に文句を言わないのは奴隷だ、と反論する人がいた(正しく主旨を理解してくれる人もいた)
怒っている人の意見は
「国が悪い、企業が悪い、奴らが間違っているのだから文句を言うのは当たり前だ!」
みたいなものが多かったのだが、どうもこういう人は人生の責任を他人に負わせようとする傾向がある。
自分は悪くない。
今の自分が冴えない人生を送っているのは、周りが悪いからだ、と。
貧乏な人というか、人生うまくいかない人に共通しているのは
「自分の人生に自分で責任を取る覚悟がない」
点だ。
というのも、「今の自分の境遇がイマイチなのは自分に原因がある」と一度認めない限り、その対策が取れないからだ。
僕も今の自分の境遇に全く満足できていないが、それは全て自分の責任だ。
自分の責任だから、自分でなんとかしなければならない。
計画を立て、一つ一つ行動していくしかないのだ。
今の自分は、これまでの自分の選択と行動の結果なのに、自分の冴えない人生を誰かのせいにして、自分は決して間違っておらず、誰かが自分の人生を変えてくれることを期待してる人達がいる。
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) August 12, 2019
政治に怒り、成功している人を罵り、世の中が間違っていると叫んでも、その人の人生は何も良くならないのに。