「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」



世の中に怒り、他人のせいにしても人生何も変わらない、という主旨のツイートに対し、以下のような意見を見つけた。

文句を言わずに社会に適合するのが「善」とは限らないが、文句を言っている時間で自分の人生を良くする努力をした方が合理的なのは間違いない。

僕自身、文句を全く言わずに黙々と努力できているかと言えば甚だ怪しい面もあり、こういう記事は往々にしてブーメランとして突き刺さってくるものだ。

たとえばこのブログでは、大企業の責任回避主義や会議大好き文化によって生産性が下がり、多くの会社員が何も生み出すことなく無駄に疲弊している、みたいなことを書き散らしてきた。

が、そんなことをブログに書いても何も会社は変わらなかった。当たり前だ。

同じように僕がブログで税金が高いと文句を言ってもおそらく社会は変わらないし、税金は安くならない。

「一人の行動が社会を変える」
「本気で動けば会社は変わる」

みたいなスローガンは見ていて気持ちが良いものだが、ぶっちゃけ一人が本気で動いても社会も会社も変わらない。我々はサラリーマン金太郎ではないのだ。


「政治や企業に文句ばかりの人」

として想定していたのは、ツイッターでアベガーアベガーと国家に文句を撒き散らし、日中仕事もせずに街をデモして歩いている人だ。

彼らがデモしたりツイッターで文句を言いまくるのは自由だ。
好きなようにやればいい。

でも「自分が」やる必要はない。

そんなことをやっている暇があれば、英単語の一つでも覚えた方が将来の収入の期待値は上がるだろう。

デモに参加する時間でブログの一つでも書けば、広告収入が入るかもしれない。
デモに参加する時間で仕事の一つでもすれば、経験が得られる。
デモに参加する時間でアルバイトの一つでもやれば、お金がもらえる。


「生活を改善する努力をしながら権利も主張する」のは理想的ではあるが、何をやるにしてもトレードオフは生じる。

権利を主張するのは間違っていない。
しかし権利を主張することに時間を使いすぎると、生活を改善する時間が少なくなる。

それに少人数で権利を主張しても効果は極めて小さく、大人数で権利を主張するときには、自分がいてもいなくても結果に変わりはない。

そうなると、

「デモや権利の主張は他の人に任せて、自分は自分の生活改善に全力を尽くす」

のが最も合理的な姿勢となる。

そして面白いことに、全員が合理的な行動を取ろうとすると、今度は権利を主張する人が誰もいなくなって、不利益を被る制度が乱立してしまう可能性があるのだ。

そう考えると「権利を主張することによって発生する利益」が「生活の改善に時間を投入することによる期待利益」を上回る場合にのみ、権利を主張するのは合理的な行動となるのだが、そんな心配をする必要はない。

生活の改善に自分の労力を投じるよりも、文句を言うことに精を出す人は一定数以上は常に存在するため、自分が「権利の主張」に時間を割かなくても誰かが国家を監視し続けてくれるのだ。

今度は「大多数の国家の監視役はポピュリズムに流されやすい」という別の問題も発生するのだが。

ここまでは政治や国家の法制度に文句を言うよりも個人の努力にリソースを投入した方が得、という話をしてきたが、会社の場合は少し話が別で、立場次第では権利を主張した方が得になることもあるかもしれない。

自分自身が会社にとって必要な存在であれば、多少ワガママな主張であっても通るだろう。
いてもいなくても変わりない雑魚会社員が権利を主張しても

「嫌ならやめれば」

で話は終わりだ。

いずれにしても、「権利を主張すること」と「別のことにリソースを割くこと」のどちらが自分にとって得なのかを判断し、労多くして益が少ないものには時間をかけないのが得策だ。

数は少ないとは思うが、このブログの読者には「権利の主張は人任せ」戦略を推奨したい。

文句を言って気持ちよくなるのが一番ダメ

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ところで貧困は本人の責任なのだろうか?

貧困層に生まれた人は十分な教育が受けらず、知識社会から脱落し、貧困から抜け出せないと言われる。
いわゆる「貧困の連鎖」というやつだ。

橋下徹のような例外を持ち出して

「お前が貧乏なのは、お前の努力が足りないからだ」

と言われても、貧乏から抜け出せない人間からするとやりきれない思いだろう。

小さい頃から高額な塾に通い、家庭教師をつけてもらい、中高一貫校に入れてもらった子どもと、親が貧乏で参考書も買ってもらえない子どもは「平等」なのだろうか?

生まれながらにしてハンディキャップを背負ってレースに参加している子どももいるのだ。


......みたいなことを行政担当者は議論して、機会の不平等を是正するよう頑張っているのだろうが、前述した通りそんなことを僕が考えても仕方がない。不平等の是正は僕の仕事ではない。

生まれた環境は変えられない。
運も実力のうちだ。
与えられた環境で最大限の成果を求めていくしかない。


今の環境が嫌なら、そこから抜け出すために一つ一つ施策を打っていくしかない。


子どもならともかく、いい年した大人が「国家が悪い」「会社が悪い」「世の中が悪い」などと叫んでも、誰も同情してくれないし、助けてもくれない。

みんな自分のことで精一杯で、権利ばかり主張して他人に貢献しようとしない人間を助けている余裕などないのだ。


大声で文句を言うのは気持ちがいい。
デモの先頭に立ち、文句を言って、後ろでたくさんの人が

「そうだそうだー!」

と叫んでくれるのは快感だろう。

ツイッターで文句を言って、大勢にリツイートされる快感も似たようなものだ。

しかし哀しいかな、そんなことで気持ちよくなっても自分の人生は変わらない。

人生を向上させるのは、地道な積み重ね・行動・応募しかない。

oreno-yuigon.hatenablog.com

貧困から脱出するにはどうしたらいいか

冒頭で引用した方は、

「貧乏な人は自分で責任を取る覚悟がないのではなく、自分の境遇を正しく認識して対策をとるための知識や余裕や環境が揃っていないという本質を理解していない」

と述べていた。

貧乏の本質は

  • 自分の境遇を認識できない
  • 対策をとるための知識がない
  • 対策をとるための余裕がない
  • 環境が揃っていない

ことにあるようだ。


「対策を取るための知識」は本屋や図書館、あるいはインターネットから得ることができる。

「生活に余裕がない」なら固定費を下げるといい。6畳六畳一間のボロ屋敷で3年頑張れば、いずれ余裕ができるだろう。

「環境が揃っていない」ならまずは少額で始められるプログラミングなどから始めるのはどうだろうか。

ブログを書いてみるのもいい。スマホひとつで始められる。


しかしこのように正論じみた主張を吐いて「甘えんなよ、自分次第でなんとかなるだろうよ」みたいなスタンスでいられるのは、自分が(ある意味で)恵まれた環境にいたからなのかもしれない。


日本の労働市場では、中高年(団塊の世代)の雇用を守るために若者(とりわけ男性)の雇用が破壊されている。

22〜29歳男性の正社員は1982年に75%だったのが1990年代から徐々に下がり始め、2007年には62%となっている。
日本企業では一度正社員として雇用するとなかなか解雇できないため、既存の雇用を守るために新規の採用を抑制するのだ。

そうして一度非正規に“落ちて”しまうと、再起が難しくなり、格差が固定化されてしまうのだ。
詳しくは「上級国民/下級国民』を読んでほしい。

oreno-yuigon.hatenablog.com


とはいえ、この記事で何度も繰り返してきたように、僕が国の有り様を語ってもどうしようもない。

個人としては「頑張ればなんとかなるんじゃないの?」と考える一方で、「世の中はそうなっていないんだよなぁ」という現状認識の間で揺れてしまう気にもなるのだが、いずれにしても、

「個人ができる最善手は世の中に文句を言うことではなく、現状をできるだけ客観視して、将来のために布石を打ち続けることである」

という結論に変わりはない。


余談だがこの記事のタイトルは、ここまで

「政治に文句を言っても人生は良くならない」

にするつもりだった。

現在のタイトルに変えたのは、似たような言葉で検索したら攻殻機動隊というアニメがヒットしたからだ。


「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

“Stop complaining and change yourself. If you don’t wanna do it, just close your eyes, shut your mouth, and live alone.”

攻殻機動隊 草薙素子

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ストーリーは全くわからないが、世の中に不満があるなら自分を変えなければならないことには同意する。

上級国民/下級国民 (小学館新書)

上級国民/下級国民 (小学館新書)