恋愛の達人として名高いケーゴさんが「男はなぜ急にフラれるのか」という大変興味深いエントリを書いていた。
人生は要約できないが、ブログ記事は要約可能だ。
ケーゴさんの切ない恋の物語を要約すると、以下のようになる。
* * *
若かりし頃のケーゴさんには愛しい彼女がいた。
上戸彩に似ている最愛の彼女。
彼女のためならどんなに仕事が忙しくても、会う時間を作る努力を惜しまなかった。
大切に大切に育んだはずの愛が、突如として終焉を迎える。
「ごめん、ケーゴ。この指輪は受け取れない。」
クリスマスイブの日に渡そうと用意した指輪。
その指輪が彼女の手に渡ることはなかった。
彼女に振られ、若かりし頃のケーゴさんは掃き溜めのような生活を送った。
そんな掃き溜めのケーゴさんが気付いた真理が「女の脳はバケツ理論」である。
男と女とでは感情に対する処理の仕方がまるで違っている。
カップルの間で何かしらの感情のトラブルが生じたとき、男はその場しのぎでトラブルから逃れようとするが、女はそのトラブルを不快な記憶としてため込んでしまう傾向が強い。
男の方は一度やり過ごしてしまば、そのトラブルの原因が何で合ったのかなんてすぐに忘れてしまう。
だが、女の方は、そのことを決して忘れない。
女の中には、そうした不満や不平などの感情をためる「バケツ」がある。男が其の場しのぎで女のフラストレーションをかわしているうちに、不満の目盛りは1ミリ、また1ミリと嵩を増していく。
何らかのはけ口がない限り、その水量は自分でも支えきれない程にましていくことだろう。そして、いつしか、まるで決壊寸前のダムのような恐ろしい状況を生み出してしまうのだ。
彼女のバケツの水をいっぱいに溜めてしまったことが、自分の敗因だったとケーゴさんは分析している。
* * *
さて、この「女の脳はバケツ理論」。
一理あるが、僕の実感では、女の脳は"不満だけ"をためるバケツにはなっていない。
女のバケツには二種類ある。
「愛情バケツ」と「キモいバケツ」である。
脳内に2種類のバケツを持っていて、同時に2つのバケツが使われることは少ない。
男から与えられた感情は、どちらかに片方に割り振られる。
脳内にはバケツの割り振りを行うスイッチがあり、それが「愛情スイッチ」と「キモいスイッチ」である。
愛情スイッチが押された女子は、男のどんな行動にも良い部分を探そうとする。
「あなたはいつも意地悪だけど、本当は優しい人だってわかってるよ」
こんなことを言われたことがある人はいないだろうか?
いつも適当に扱うのに、たまに優しくするとめちゃくちゃ喜んでくれる女の子がいた記憶はないだろうか?
愛されている時は、屁をこいたって、髭を剃らなくたって、店を予約しなくたって、嫌われはしない。
不満はたまるかもしれないが、爆発はしない。
図にするとこんな感じ。
良い思い出だけがたまり、悪い感情は捨てられていく。
逆に、キモいスイッチが押された女は、男が何をしてもキモく感じてしまう。
その歩き方がキモい。
箸の持ち方がキモい。
甲高い声が気持ち悪い。
前戯がネチネチして気持ち悪い。
というか、同じ空間で食事するのが気持ち悪い。
こうやってキモいバケツに負の感情がたまり、
「もう無理!」
溢れて崩壊を迎える。
これが「キモいバケツの決壊」である。
では、この「キモいスイッチ」と「愛情スイッチ」はどこにあるのか。
想像してほしい。
恋する男女はシーソーに乗っている(非モテはまずシーソーにすら乗れない)
二人のバランスが釣り合っている時はとても楽しそうだ。
でも、ゆらゆらと揺れて、少し危うくもある。
徐々に男の方が重くなって、恋のシーソーが男側に傾き始めた。
「会いたい」
「なんでLINE返してくれないの?」
「返信ないと嫌だよ」
「着信履歴20件」
男のシーソーが地面についた。
そこにあるのが、「キモいスイッチ」である。
一度キモいスイッチが入ってしまうと、もう何を言っても鬱陶しく、気持ち悪く聞こえてしまう。
ケーゴさんのブログから引用すると、
「ねぇ、オレ、うまく言えないんだけど、何となく、君が何か、オレに言いたいことがあるんじゃないのかって、感じてるんだ。もしオレの勘違いだったらごめんね。
でも、もし何かあるんだったら、オレに伝えてほしい。だってオレは、君が考えていることをちゃんと理解したいし、何より、君とこうしてずっと一緒にいたいって思ってるからーー」
こんなことを言っても、女子の「キモいスイッチ」が入っていたら何の意味も無い。
女からすると、
「うるせえアホ。お前がキモいからじゃ。気付け馬鹿」
というのが正直な感想だろう。
逆に、である。
このように、一度愛情スイッチが入っている女の子に、
「なんか言いたいこととか我慢してることあったら言ってな!ちゃんと直すから!」
なんて言うと、
「気を使ってくれてありがとう♡そんなの全然気にしなくても、一緒にいてくれるだけで嬉しいよ♡いつもありがとう♡」
みたいになる。
男がどんな変な奴であろうと、一生懸命良いところを信じようとする。
読者の方に、恋する女の愚痴を聞いたことがある人はいるだろうか。
この世で最も意味のないものが、恋する女の愚痴である。
客観的に見てダメなことは明らかで、それに対して「別れろ」とアドバイスしても、奴らは絶対に別れないだろう?
友達を不満のはけ口にして、男のいいところを探し始めるだろう?
これが愛情スイッチが押された状態である。
双方が幸せになるためには、恋のシーソーゲームは偏ってはいけない。
男が重くなり、女のキモいスイッチが入ってしまうと、最終的にはボロ雑巾のように捨てられてしまう。
これは多くの男が経験してきた哀しい真実だろう。
一方で、あまりに男が軽すぎると、稀に「女のメンヘラスイッチ」が入ることがある。
これはこれで不幸だ。
理想は「愛情スイッチ」の位置が高く、しかも男側も適度な重さで釣り合っている状態である。
お互いに敬意を払い、同じくらいの愛情を相手に注ぐ。
理想とわかってはいるものの、なんと難しいことであろうか。
「恋愛の上手さ」というのは、極論すると、この「バランス感覚の取り方の上手さ」に集約される。
「女を落とすこと」が上手な人はたくさんいる。
言葉巧みに女の愛情スイッチを押させればいい。
でも、「バランスの取れた恋愛」を上手にやるのはとても難しい。
「本気の恋愛ほどうまくいかない」というタイプの人間はその典型で、その答えは俺もまだ見えていない。
多くの恋愛本に言われているように、複数アプローチで感情をコントロールしようとすると、自分の気持ちが軽くなってきてしまうので、本末転倒だ。
それはシーソーのバランスを取ることから逃げているに過ぎない。
(つまり複数アプローチは、恋愛するためではなく、女の愛情スイッチを押させるための戦略である)
結局のところ、「恋のシーソーのバランスの取り方」の答えは「分散すること」ではなく「相手に依存しない」ということになるのだろう。
本気になるほど、難しいことなのだが。