渋谷に「鉄腕箱」と呼ばれるクラブがある。
「アトムトーキョー」である。
鉄腕の由来はもちろんこいつだ。
僕はずっと昔から
若くて可愛い女の子がたくさんいる
と噂の鉄腕アトムが気になっていた。
渋谷の美女は皆、このアトムに集まるものだと。
僕はもはや「アトム行ってまーす」なんて言えるような歳ではない。
いい歳したおっさんである。
とはいえ男一匹東京にいて、アトムを見ることなく死ねるかと。
決死の思いで向かったのが道玄坂であった。
アトムは道玄坂の頂上に君臨する城である。
僕たちは坂の上の雲を目指して道玄坂を登るのだ。
道玄坂は東京の性が集まる坂である。
あまり長く滞在すると生気を吸われて魂が抜けるらしい。
右を見るといかがわしいホテルが無数に並び、左を見るといかがわしい輩が跋扈している。
恐ろしい坂である。
坂の上の雲ならぬ、坂の上のセブンを見つけたら、右に曲がってほしい。
そこに渋谷の魔女の城、アトムがある。
0時前のアトムには既に人だかりができていて、入り口には恐ろしく屈強な黒人が忙しそうにボディチェックしていた。
こんな黒人に殴られでもしたら、首から上が吹っ飛んでしまうに違いない。
ボディチェックをくぐり抜け、エントランスで入場料を支払う。
アトムの入場料はなんと、
1,500円
であった。
大学生のお小遣いで入れる金額である。
なんという良心価格なのだろう。
1,500円で入場できて可愛い子が大量にいるんだから、こんなに素晴らしいことはない。
僕は鼻歌を歌いながらアトムの門をくぐり、早速洗礼を受けることになる。
アトム。別名「鉄腕箱」
中にいたのは鉄腕ではなく豪腕ゴリラばかりであった。
しかもゴリラのほとんどがただのゴリラではない。
ツーブロックゴリラなのである。
全員がめちゃくちゃに強そうだ。
圧倒的な戦闘力の差を感じた。
クラブ内を歩くと若くて可愛い女の子がたくさん溢れるほどいた。
そしてそれ以上に、ゴリラが大量発生していた。
六本木と全く空気が違う...
六本木ではまだ、女の子に話しかけてチャラつくことが許されるような空気があった。
しかしアトムのダンスフロアはそんなチャラついた空気というよりは、音楽を楽しむような雰囲気があった。
音に合わせて踊るゴリラ。
通称「ダンシングゴリラ」がDJ前を陣取っている。
これが噂の音箱というやつなのか。
音箱というのは、音楽を楽しむクラブのことらしい。
ヒデヨシは音楽はわからぬ。
けれども邪悪に対しては人一倍に敏感であった。
僕は見よう見まねでゴリラステップを踏んだ。
全く話にならない。
そしていくらアトムが音箱とはいえ、クラブである。
当然、男女の絡みは発生する。
屈強なゴリラは半ば強引に女を引き寄せ、胸に抱き寄せる。
あの胸板があれば俺も...
と、自分の真っ平らな胸板を呪った。
しかし、ふと違和感を覚えた。
横を見ると、めちゃくちゃ不細工な男がいたのだ。
川谷絵音と全く同じ顔をした男である。
しかもヒョロい。
こいつには絶対に勝てる!
僕は勝利を確信し、優越感に浸りながら川谷を眺めていた。
その瞬間、川谷はどこかうっとりとした表情を浮かべ、ニコリと笑い、なんと!近くにいた女子を引き寄せたのである。
魔法のようだった。
女と川谷が見つめ合う様子を僕は横からじっと見ていた。
女、川谷など見つめてないでこっちに来い。
俺は川谷よりはいい男だ。
女にひたすら目ビームを送り続けた。
そんな僕のビームは届くことなく、なんと川谷と女は唇を合わせ始めたのだ。
なんということだ......
このままでいいのか。
わざわざ渋谷まで出てきて、坂の上に登り、川谷のキスシーンを眺めて終わるなど、あってはならないのだ────
僕の中の山口メンバーが叫んだ。
「何もしないなら帰れ─────」
僕はかつて、六本木のクラブで女子に声を掛けた男。
六本木のクラブで108の奥義を身に付けた男。
入場料1,500円のクラブでナメられるわけにはいかない。
見せてやるよ、ゴリラたち。
ホモ・サピエンスの力をな。
必殺技①ダンスマン
かつて優秀なモテ男が言っていた。
「楽しそうに踊っていたら、女の子は自然に寄ってくるんですよ」
と。
僕はそのモテ男の話を聞いたことがある男である。
彼の教えに習い、ひたすらに踊ることにした。
ステテコダンスである。
しかし、踊っても踊っても女と全く目が合わない。
俺を...見ろ!俺はここにいる!
この想いはアトム女子に全く届くことはなく、仕方がないので僕は次の技を使うことにした。
必殺技②犬のおまわりさん
この技は、友達とはぐれて困っている女の子に狙いを定めて声をかける必殺技である。
クラブに行くと必ず一人は、友達とはぐれて困っている子がいるのだ。
そういう子を助ける慈善行為が「犬のおまわりさん」である。
女の子を見つけた。
「やぁ、友達とはぐれ...」
ズゴォ!!!
!?!?
見知らぬゴリラが僕を跳ね飛ばし、女の子を囲い込む暴挙に出た。
いてえ...
屈辱だ。しかし、こんなゴリラと闘うわけにはいかない。
というか、アトムマジでこええ。
六本木MUSEにいるヒョロいリーマン相手ならこんなところで吹き飛ばされることなどなかったはずなのに。
僕は改めて、渋谷の街の恐ろしさに震えた。
池袋ウエストゲートパークみたいな世界は実在したのである。
仕方ない......僕は奥義を披露することにした。
必殺技③休み時間殺し
クラブには人混みに疲れて休んでいる女の子がいる。
彼女たちが一息ついて休憩する瞬間を狙うのだ。
この技の名を「休み時間殺し」という。
彼女たちの貴重な休み時間に入り込む悪魔のような技である。
4階の少し落ち着いたフロアに行くと、トイレのそばに佇んでいる女子二人組がいた。
「やあ、休憩中かい?」
「ちょっと疲れちゃって」
初めて女の子と話せた......!!!
長かった。苦しかった。
アトムの屈強なゴリラに圧倒され、全く女子と話せぬまま苦節一時間。
僕はやっと女の子と会話を始めることができたのだ。
音楽が鳴り響き、声が全く聴こえない。
何かインパクトのある言葉で心をグッと掴まなければならない。
何を話せばいいのか。
とりあえず会話をつなぐ。
「お姉さん、ただならぬオーラを放ってますね」
「はぁ」
「クラブにはよく来るんですか?」
「たまに〜」
ダ、ダメだ...
会話が続かない。
何を話していいのかわからない...!!!
何か、インパクトのある言葉を。
女子の心と身体を鷲掴みにするような一言を。
やっと話ができたんだ...
考えろ...
考えろ...!!
生きるために...!!!
(僕の中の山口メンバーが叫んだ)
(叫んだ────)
「おい、君」
「何もしないなら帰れ」
「いや、お前が帰れよ」
「......その通りだ」
僕は後ろ髪を引かれる思いでアトムを後にした。
時刻は午前2時30分。
月も濁る東京の夜だ。
坂の上の雲を掴むことなく肩を落として道玄坂を下り、掃き溜めのような渋谷の街を歩いた。
そこには帰る場所のない野良犬のような輩がポツリポツリと街を徘徊し、歩く女の子に声を掛けている。
僕はそんな体力もなく、必ず筋トレしてリベンジすることを決意して、トボトボと歩いて家に帰った。