俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

生活水準を一度上げてから下げることの何が辛いのか


昨日、こんなツイートをしました。




「一度生活水準を上げてしまうと、もう一度下げるときには大きな苦痛を伴う」


という話です。


実体験を元に、生活水準を下げるのは何が辛いのかを考えていきます。

どんな物件も住めば都


「生活水準を上げる」例として一番わかりやすいのは家賃でしょう。


僕は18歳の頃から2年に一度くらいのペースで引っ越ししています。


高い部屋に住んでみたり、繁華街に住んでみたり、6畳一間のボロ屋敷に住んでみたり、本当に色んなところに住んできました。


ほとんどの物件は「住めば都」です。


住んでしまえばだいたい慣れます。

どうしても慣れなかったのは、学生時代に住んだ


「風呂・トイレ共同」


「隣の部屋との壁はあってないようなもの」


「天井に無数のシミ」


みたいな部屋だけで、その他の部屋は住んでしまえば全然平気。

普通に生活できました。


まぁ、完璧な文章が存在しないように、完璧な部屋も存在しないんですけどね。

我慢できます。


幸運なことに、これまでの社会人生活では年々昇給していったため、引っ越しのたびに


「もうちょっといいところに住んでみようか」


と、色気を出し、少しずつ広い部屋に引っ越すような生活を続けてきました。

そんなことをしていたら、もちろん貯金は貯まりません。


広い部屋に引っ越すということは、家具も広い部屋に合わせて買い替えてしまうということです。


もちろん、家具の買い替えなど無理にする必要は全く無いのですが、


「広い部屋に引っ越そう」


なんて色気を出した人間が次に考えそうなことは大体


「部屋に合った、かっこいい家具を揃えてやろう」


なんですね。

いや、僕のことなんですけど。

そんなことをしていくうちに、見栄が見栄を呼んで、またお金がなくなって、


働くために引っ越しているのか、引っ越すために働いているのかわけがわからなくなってきます。


俺、広い部屋に引っ越すために仕事してるの?



一度手に入れたモノを捨てるのが辛い


家具を揃え、カーテンを買い替え、大きな机を買ってみて......なんてしていると、

せっかく引っ越して広くなったスペースも消滅し、所狭しと物が置かれるようになってしまいます。


俺は何をやっているんだ...

と後悔しても後の祭り。


冷静になって、


「これ、本当に必要だったのかな......」


と反省することもありますが、購買モードになって頭に血が上ってしまうと、衝動的にモノを買ってしまうんですね。


モノを買うときは、常に冷静に判断しなければいけません。


物が増えて最も困るのは、捨てるときです。


「捨てよう」と決意してポイポイするときの断捨離は気持ちが良いのですが、

本当は必要なのに涙を飲んで捨ててしまうときは辛い。


僕が地方都市に住んでいたときに大きな机を持っていたのですが、東京に引っ越すときに泣く泣く捨てました。


部屋が狭くなったからです。


ルンバ、ウォーターサーバー、食洗機、洗濯機...


なんでもそうですが、生活を便利にしてくれていたものを捨てるときは「残念だなぁ」と感じてしまいます。


生活水準を落とすことで一緒に失わなければいけないモノを考えると、辛いなと思うのです。


今ある便利さを失う恐怖

家賃が高い部屋は便利です。


部屋も綺麗。

廊下も綺麗。

宅配ボックスもあって、駅からも近い。


このような「便利な生活」を一度手に入れてしまうと、手放すときは辛くなります。


「できたこと」ができなくなるのは、「最初からできないとき」よりも辛いのです。


不便はなんとか我慢できても、便利さを失うときはとても辛い。


でも「今ある便利さ」って、高いお金を支払ったことによる対価なんですよね。

便利な生活にはお金がかかる。

お金があれば、便利な生活ができる。

そして、お金がないのに便利な生活をしようとすると、家計は途端にキツくなります。



チャレンジするときの足かせになる


このような「生活水準を下げてしまう恐怖」は時として、新たなチャレンジの足かせとなります。


会社を辞めたら今の生活が維持できないかも...

と我慢を強いられることもあると思います。


強い人なら、


「覚悟があればなんでもできる!」


と言い切ることができるかもしれません。


とはいえ、多くの人は一度手に入れた「快適な暮らし」を捨てることには抵抗を覚えます。



その先に新しい可能性があるかもしれないのに、「手に入れたもの」が重荷になって、羽ばたくことができない。

大企業で悶々としながら働く人の多くは、このような苦しみを抱えているのではないでしょうか。




環境より先に状況を変える


これまで生活水準を落とすことのしんどさについて語ってきましたが、簡単に生活水準を落とす方法もあります。

それは、環境より先に状況を変えることです。


いまの会社で働いたまま、給与水準が同じままで生活水準を落とそうとするから辛いのであって、


そうせざるを得ない状況


に身を置いてしまえば、嫌でも生活レベルを落とすことができます。

「できる」というか、「するしかない」ですけど。


一番わかりやすいのは、「退職する」、「ベンチャーに転職する」、「起業する」などでしょうか。


同じ会社で働いていたとしても、転勤などによって、強制的に住む場所を変えなければいけないときはチャンスです。


自分の意志で今の生活を捨てるのは辛いですが、

大いなる力によって生活を変えざるを得ないときは、別に辛さを感じません。


僕自身、地方に転勤するときに半分の広さの部屋に引っ越しましたが、物を捨てるのも、狭い部屋に引っ越すのも特に苦痛を感じることはありませんでした。


状況が変わると、


「今あるモノを捨てる」


という意識から、


「新しくゼロからチャレンジする」


という意識に切り替えることができたからだと思います。


チャンスに備えるための節約


「あとで節約しようとすると辛い」とツイートしたら、


「今から老後に備えて何になるのか」


という意見をいただきました。

たしかに、老後に備えてお金を貯めたところで、将来インフレになったら無意味になるかもしれませんし、

楽しみも何もなくただ我慢するだけの人生と考えると虚しくなってしまうかもしれません。


「老後に備える」ために節約すると、気が遠くなるほどの期間を我慢しなければならず、とても耐えられるものではないでしょう。


僕は節約して貯金しておくことの意義は、老後に備えるためだとは思っていません。

自分でビジネスを持っていれば老後に貯金を切り崩して生活する必要もないですし、年金を当てにする必要もないでしょう。

そのためには、

「年金を当てにする必要はない」

と言えるだけの基盤を若いうちからコツコツと作っておくことが大切です。


それよりも、節約することの意義は、


「自分で事業を起こしたいときの軍資金を自分の金で出せる」


これに尽きると思います。

会社を作って無収入の状態が続いたとしても、貯金があれば生きていくことができる。


大きな投資をしたいときでも、銀行から借り入れることなく、自分の金で出すことができる。


ここには代えがたい安心感があるに違いありません。


節約して貯金することは、今を我慢して老後に備えるためではなく、近い未来の自分の挑戦のためなのです。


そう考えると、浪費を我慢してコツコツと事業の準備をすることのほうが、「将来の成長のための投資」と言えるのではないでしょうか。




僕もずっと、お金を使って新しい経験することが「自分への投資」だと思ってきました。

経験は後になって活きるはずだと思ってきました。

そうやってずっと自分の無駄遣いを正当化してきました。



でも、自己投資だと思って使ったお金の9割はただの浪費でした。

いま振り返ると、全く収入につながってはいません。


「自己投資」は悪魔の言葉です。

世の中のお金がかかることはなんでも「自己投資」だと思い込むことができます。


でも、本当に「投資」にしたいのであれば、期待リターンを予測して、いつ回収するかの目処をつける必要があります。


銀座で夜遊びして「高級店で金を使う経験」を得たとしても、たぶん使った金以上のリターンを得ることはできないですよね(笑)


だから、浪費は浪費と割り切って、自分を正当化することなく向き合う必要があります。

その上で、夢があれば我慢するところは我慢する、というメリハリをつけなければいけません。

逆に将来お金が必要となるような夢がなければ、浪費しても全然問題ないと思います。