物心付いた頃から一週たりともジャンプを欠かしたことがない。
スラムダンクの赤木剛憲は高校一年のときからずっと、王者海南大附属とインターハイ出場をかけて戦うところを思い描いていたらしいが、僕は小学3年生からずっと、毎週ジャンプを読み続けてきた。
ジャンプへの情熱はゴリにも負けない。
生まれて初めて読んだ少年ジャンプでは、ちょうど悟空が超サイヤ人に変身し、フリーザと闘うところだった。
「オレはおこったぞーーー!フリーザーーーッ!!!」
は漫画史上に残る名シーンで、日本中の子供たちが超サイヤ人になった悟空に憧れていた。
ちなみにこの頃のドラゴンボールのアニメの平均視聴率は20%。
最近のONE PIECEやドラえもんの視聴率が7%前後であることを考えると、異常な数字である。
小学二年生の頃だったろうか。
輪ゴムを4本手に持って、
霊丸
と称して遊んでいた。
輪ゴム鉄砲を撃つことで浦飯幽助になりきっていたのだ。
みんな幽遊白書が大好きだった。
戸愚呂が100%になったときの衝撃は、小学生ながらに忘れることはないだろう。
僕たちは畏敬の念を持って、彼を
戸愚呂100%
と呼んだ。
あの頃ジャンプを読んで育った大人に、戸愚呂を知らない人はいない。
中学生の時にるろうに剣心が流行った。
飛天御剣流
と呼ばれる剣術を操る剣心に憧れ、教室の箒でよく決闘していた。
友達と本気で斬り合い(箒)を行い、僕の龍翔閃が決まってしまった結果、友達が怪我をしてしまい、当時流行っていたデジモンを買って親と一緒に謝りに行ったことは今でも忘れない。
JUDY AND MARYの「そばかす」の曲を覚えている人もいるのでなかろうか。
この曲を聴くとカラオケに行きたくなる。
GLAYとL'Arc~en~CielとJUDY AND MARYは僕の青春そのものだ。
志々雄真が現れたときの衝撃は、既に中学生となり、少年がそろそろ終わりかけていた僕をして心胆を寒からしめた。
天翔龍閃 VS 志々雄真
の闘いを手に汗握って読んでいた人もいるのではないだろうか。
るろうに剣心は志々雄編で終わっていれば神漫画だったのに、と思わずにはいられない。
忘れてはいけないのがダイの大冒険である。
ドラクエをベースにしたストーリーと輝くオリジナルの必殺技。
小学生の頃、友達と草野球をやりながら
アバンストラッシュ
という技を真似てバットを振り回したことがあるのは僕だけではないだろう。
もうお気付きかと思うが、ここに挙げた漫画は全て1990年代のジャンプ作品である。
ジャンプが最も輝いていた時代だ。
一週間に653万部。
現在ではビジネス書が10万部売れれば大ベストセラーになることを考えると、とんでもない数字である。
653万部。
ジャンプ展でも散々強調されていたが、これはものすごい数字なのである。
毎週毎週部数が伸び続け、653万部でピークを迎える。
その後、ドラゴンボールが終わり、スラムダンクが終わり、徐々に発行部数が減少し、暗黒期を迎えるのが1990年代のジャンプだ。
2018年3月19日(月)〜6月17日(日)までの間、六本木ヒルズ森タワー52階で「少年ジャンプ展」が開かれる。
前回は1980年代。
今回は1990年代の作品の展覧会となっている。
よく晴れた日曜日の六本木だ。
見上げると空が眩しい。
日曜日でもそれほど並ぶことはなく、午前中に行けば5分〜10分待ちで入ることができる。
展望台に向かう階段を登り、52階までエレベーターで上がって右側に行けば、そこがジャンプ展だ。
料金は大人一人2,000円。
2,000円でこれだけたくさんの作品の名シーンを振り返ることなんて、とても良心的な価格設定だと思う。
これはジャンプが653万部発行したときの表紙である。
ドラゴンボール、スラムダンク、マキバオー、ろくでなしBLUES、ぬ~べ~、ラッキーマン。
この中に名前がわからないキャラクターは一人もいない。
どのキャラクターも、僕の中で力強く生きている。
ジャンプ展の中では1990年代を彩る名作たちの名シーンが展示されている。
アニメの主題歌が流れていたり、フィギュアやカードが並べられていたり、「あの頃」を思い出して少し涙が出てしまった。
絵が並べられているだけではなく、映像が流れていたり、派出所っぽい雰囲気の場所にこち亀の名シーンが飾られていたり、観ていて全く飽きない。
作品の説明を読むだけで面白く、2時間半もずっと居座ってしまった。
時間が経つのを忘れてしまった。
ほとんど全ての漫画を知っていたけれど、それでもうろ覚えになっていたシーンもある。
そんな長年のジャンプファンの痒いところにも手が届く設計になっていて、
「あぁ!たしかに!こんなシーンもあったな」
とグッと来てしまうのだ。
ツイッターにも投稿したけれど、尾田栄一郎さんのコメント。
1990年代は尾田栄一郎さんの雌伏の時期だ。
「ROMANCE DAWN(ロマンスドーン)」というONE PIECE幻の一話目を描いていた頃の話である。
六本木ジャンプ展の尾田栄一郎さんのコメント(撮影可)
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) April 1, 2018
ONE PIECEがヒットする前の心境を
「描いても描いても漫画を載せてもらえない地獄の2年だった」
と語っている。
あの尾田栄一郎さんでさえ地獄みたいな期間を乗り越えて頑張ってきたのに、自分もちょっと失敗したくらいで落ち込んでられないよね。 pic.twitter.com/kFBgT5FSYG
今週からまたハンターハンターを休載する冨樫義博先生。
尾田栄一郎さんが自身の90年代を振り返って「漫画家になれてよかった。海賊漫画は僕の最後の切り札だった」と語っている横で、
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) April 1, 2018
「一日20時間働いても70%近く税金で取られて、14時間タダ働きしてると思うと頭がおかしくなりそうだった」
と語っているのが我らの冨樫義博先生です。 pic.twitter.com/NNROFLmNnx
ジャンプ好きなら震えるシーンが満載の六本木ジャンプ展。
1990年から2000年、ルフィやNARUTOの時代へと続いていく。
六本木少年ジャンプ展は人を選ぶかもしれないが、ずっと昔からジャンプを読み続けている僕のような人には自信を持っておすすめできる。
もう全然少年ではないけれど、ジャンプ展にいる間だけは少年に戻ったような気分になれるんだ。
ジャンプの傑作「Dr.STONE(ドクターストーン)」は何が面白いのか、ストーリーで語る
ちなみに2010年代ジャンプ最高の傑作の予感がするのが「Dr.STONE」です。