企業広告が過剰に炎上する風潮は今後加速するのか



仲の悪い夫婦だったり、関係が壊れかけたカップルは些細なことがきっかけで喧嘩になる。
なぜ些細なことで喧嘩になるかというと、お互いが常に「相手を否定するきっかけ」を探しているからだ。

怒る理由を探しながら生活すると、怒るのが癖になる。

その結果「部屋が汚い」とか「連絡が遅い」とか「冷蔵庫のドアが閉められていない」みたいな、客観的に見るとそれほど重要ではない些細な出来事がきっかけで大喧嘩になってしまうのだ。

お互いに不信感を抱いていると、スルー力がなくなってくるのである。

今のインターネット環境は仲の悪い夫婦に似ている。
他人へのスルー力が低くなっているのではないだろうか。


ここ数年、企業広告が炎上して謝罪する事件が相次いでいる。
『週刊東洋経済 2019年6月15日号』に「ネット視聴者の寛容と不寛容」という記事が載っていた。

ネット視聴者はYoutubeやライブ配信などに慣れてきており、低画質を受け入れるようになったのだという。
『カメラを止めるな!』が低予算でヒットしたように、高画質を求めなくても視聴者に受け入れられるようになったのだ。

一方で、ネット視聴者の不寛容が目立つのが炎上事件だという。
東洋経済の記事では、キリンビバレッジの「午後ティー女子」というソーシャルメディア用コンテンツの炎上と、牛乳石鹸のCMが炎上事例として挙げられていた。

これらの炎上事件の背景を今、改めて検証してみたい。


昭和時代のおじさんと現代のネット上の感覚のズレ

東洋経済で事例として挙げられていた「午後ティー女子」を検索すると、問題のイラストが表示される。

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この手のイラストはかずのすけさんの美容の本にも使われていたような気がするが、この手の皮肉はツイッターとの相性が悪いことに気付かなかったのだろうか。

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僕も実際にこの画像を検索するまでは、「どうせネットのチャッカマンみたいな人達が怒り狂って薪に火をくべたのだろう」と思っていたが、さすがにこれは控えめに見積もってもアウトだろう。


ネタがわかりづらい上に

「あるある〜」

とも共感しづらい。

なんというか、ただ悪口を言いまくってる性格悪い女が午後ティーを手に持ってポーズを取ってるような感じだ。
笑えないし、面白くない。


広告作成者側の狙いは明らかに「バズらせること」である。

皮肉めいた物言いで、「いるいる!」と共感した人達に拡散されることを意図している。
ホームランを狙ったものが見事に空振って、すっぽ抜けたバットが監督の脳天に直撃し、大炎上したような感じだ。


oreno-yuigon.hatenablog.com


それにしても、この広告のGOサインを出した人の感覚はどうなっているのだろうか?
ツイッターに日常的に触れている人間なら、ひと目見ただけで

「これはヤバイ...確実に燃える...」

と気付くだろう。


ツイッターの人々が何に怒り、何がきっかけで着火するのかを日常的に観察していれば、「午後ティー女子問題」は未然に防ぐことができたはずだ。
昭和時代のテレビCMのノリで不特定多数を揶揄すると、あっという間にブランドイメージを地に落としてしまうのである。

「午後ティー女子」の事例に関しては、ツイッターの空気と広告作成者側の時代感覚が乖離していたと言わざるを得ない。

ネット感覚を磨きたいなら、毎日ツイッターに触れて、タイムラインを日々観察しなければならない。

ツイッターにはツイッターの、フェイスブックにはフェイスブックの空気がある。
その空気に日常的に触れていないとNGのラインは見えてこない。

CM作成者はもっと夢中になってツイッターで遊んだほうがいい。
仕事と思って冷めた目でツイッターを眺めていても、得られる知見は少ないだろう。

なぜ企業広告が炎上するのか

次の例は牛乳石鹸の炎上だ。
問題となったCMはこれ。

主人公の男性は息子の誕生日であるにも関わらず、会社の悩める後輩を飲みに連れていく。
遅い帰宅を非難する妻を振り切って風呂へ入る。

風呂の中で父親の背中を流していたかつての自分を思い出して、男性は呟く。


「親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ」


......。

CMを3回見たが、なぜ炎上したのかわからない。

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原因がわからず色々と検索してしまった。
そして他の人の意見を見ても、やっぱりなんで炎上するのかわからなかった。



牛乳石鹸のCMは怒るほどのものだろうか?


ここからはあ「牛乳石鹸のCMは怒るほど悪質なものではない」という前提で考えるが、ここ数年のネットの空気は以下の3つの特徴が強くなってきている。

  • 他人の話を過度に自分のこととして考えて怒る人が増えている
  • 異なる価値観に対する寛容さがなくなってきている
  • 炎上の旗手になって気持ちよくなっている人がいる


小説を読むように、あるいはドラマを見るように、嫌なCMも「架空の世界の他人の物語」として眺めてスルーすればいいものを、誰かがタイムライン上にその物語を流した瞬間から「自分の物語」になってしまうのだ。

タイムラインに流れてきたものは「自分ごと」なのである。

他人のことならスルーできても、自分の話だと許せない。
家庭を顧みず、育児を妻に丸投げし、仕事ばかりしている男はクソだ!と怒りを露にしたくなるのだ。

怒っている人は、本当はCMに怒りたいのではない。
現在の自分の境遇か、過去の自分に起こったことか、あるいは未来に起こりそうなことに腹が立っているのだ。


そしてツイッターの140文字の手軽さもあって、自分と異なる価値観を否定するのに全く負荷がかからなくなった。
気に食わないツイートを見つけたら引用リツイート一言で「ありえない」と呟けばいいのだ。5秒もかからない。

我々が元々異なる価値観に対して不寛容で、それがツイッターによって明らかになったのか、あるいはツイッターが不寛容を加速させたのかはわからない。

いずれにしても、ツイッター上では現在進行系で、主義主張の異なる相手同士が日夜論争を繰り広げているのは間違いない。
相手の主張を受け入れることは絶対にない。必ず敵を叩き潰すと言わんばかりの争いだ。


最後に、何度もブログでは取り上げてきたが、「炎上の火」を発火させることで気持ちよくなっている人がいることにも触れておこう。
人は「正義を行使する」ことに快感を感じるそうだ。

「他人の間違い(と判断したもの)」を指摘することで脳が快楽物質を放出する。
またその指摘が多くの人の共感を得られることで、承認欲求も満たされる。

炎上対象をぶっ叩くのは気持ちが良いことなのだ。

正しい道を指南して、それがみんなに認められ、拡散される。

こんなに気持ちの良いことはない。

ツイッター上で一大ムーブメントを起こしている全能感も得られる。
炎上の旗手の心の奥底にあるのは「怒り」よりも「快感」なのだ。

過剰な炎上に対する揺り戻しは来るか

ネットの不寛容は今後も加速していくことが予想される。
炎上の旗手の影響力は今後も強くなり続けるし、バラバラだった「怒れる人」は徐々に集団を形成する。それは時に「クラスタ」と呼ばれる。

炎上は燃やす側からすると、気持ちがいいものだろうし、それに追従する人も怒りを発散して他人と共感できるので、炎上は中毒になってしまうのだ。
(炎上の旗手は自分が気持ちよくなっていることは絶対に認めない。あくまで正義のために行っているからだ)

しかしあまりにも炎上が過剰になると、

「あの人たち、いつも怒りまくっててなんかおかしいんじゃね?」

と疑問に持った人が増えてきて、「炎上しやすい可燃状態」から「炎上氷河期」への揺り戻しが起こる可能性もある。
今のところは揺り戻しの兆しは見えないが、やたらと他人にキレまくっている人に疑問を抱く人が増え始めているように感じる。

最後に『ファクトフルネス』的な発想を一つ述べよう。
人間の「分断本能」についてだ。

炎上させられている側も、炎上で本気で怒っているのは一部で、多くの人は「どうでもいい」と考えていることは忘れずにいてほしい。
世の中は「怒っている人」と「好意的な人」に分断されているわけではなく、ほとんどが「そもそも関心がない」中間層にいるのだ。

すべてが敵でもないし、すべてが味方なわけでもない。
世の中のほとんどは、他人のことには無関心な“中間層"なのである。