フェミニストによる炎上への過剰反応をやめれば、みんな平和に過ごせる



松尾豊先生の『人工知能は人間を超えるか』という本の「おわりに」で以下のような記述がある。

『人工知能学会誌』の編集委員を10年くらい継続した頃に、副編集委員長にならないかと誘われた。
自分にはできないと辞退したが、再三頼まれて引き受けることにした。

2012年に編集委員長になり、普通のことを普通にこなせるかどうか心配だったが、みんなが自分を編集委員長にしたのだから、自分らしくいこうと思った。

『人工知能学会誌』なんて堅苦しい雑誌は研究者以外は誰も読まない。
25年以上の学会の歴史で初めて『人工知能』という名前に変え、表紙も変えた。

女性型のロボットが掃除をしている姿を描いた表紙は、思いがけず“炎上”した。

いささか思慮が足りなかった。
しかし、前に進みたいという気持ちは伝わったのか、いくつか声明を出し、反省する特集を企画するうちに騒ぎは収まった。

幸か不幸か、人工知能という言葉を多くの人が知るきっかけになった。


炎上した『人工知能』の表紙は以下である。


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炎上した『人工知能』の表紙

議論の様子はTogetterにまとめられている。

togetter.com


『人工知能は人間を超えるか』を読み、『人工知能』の炎上について検索して出てきたのが上の表紙だった。

個人的にはこの表紙については「ただの表紙である」以外の感想はない。


表紙がアトムの妹のウランになっても別に気にしないし、男でも女でもどっちでもいい。

「ロボットを描いた表紙」以外の意味を読み取ることもなく、怒ったりもしない。

「女に掃除をさせよう」という意図を感じることもないし、「誰かを奴隷にしている」とも思わない。

『人工知能 Vol.29』の表紙はただのロボットで、浦沢直樹の『PLUTO』の3巻・ウランの表紙と変わらない、というのが自分の印象だ。


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アトムの妹、ウラン


しかしながら、日々男女差別に敏感になっている方であれば、この表紙から何か差別的な意味を読み取ることもあるかもしれない。

何をどう解釈するかは人によって異なってくるものだ。
各々の解釈の仕方で議論が分かれるのはもう仕方がない。


私は最近このような「解釈が分かれている」ことに対して、発信者側が過敏に反応しすぎているように感じている。

「自分が悪い」「炎上していてやばい」

と萎縮して、企業や作家が作品を引っ込めてしまうケースが散見される。

ツイッターで声の大きいフェミニストが「男女差別だ!」と叫ぶと、大勢の仲間が「差別だ!差別だ!」と騒ぎ始める。

リツイートによって拡散され、罵詈雑言を浴びせられると気が滅入ってしまうのはよくわかるのだが、一度冷静になって3日間ネットから離れると、炎上は案外収まっているものでもある。


ツイッターには炎上させること自体が目的の人がたくさんいる。

炎上家だ。

本人は正義のために闘っているつもりでも、実は誰かを叩く暴力的な快感に取り憑かれているような人間もいる。

日常での不満を誰かを叩いて憂さ晴らししているような人間もいる。
ネットで怒ることが仕事になっている炎上家にいちいち反応すると、何を発信するにも炎上家の様子を見なければいけなくなる。


ツイッターには深刻な問題を孕んでいる炎上と、炎上家によって発火させられる炎上があり、それらは区別した方がいい。


炎上家とは、発言のほとんどが世の中への不満と問題提起で、その取り巻きも世の中への不満でいっぱいで、タイムラインが文句ばかりの人である。

炎上家とその仲間たちによって燃やされるパターンの炎上では、基本的には作品を撤回する必要はない。

(などと書いておきながら、この記事が炎上家によって消滅させられる可能性は十分にある。炎上家の目に触れないことを願っている)

炎上家は「自分の正義の発言」によって企業や作家を倒したことに快感を覚え、より一層炎上活動をエスカレートさせていく。

作品の撤回は、炎上家への報酬になってしまっているのだ。


oreno-yuigon.hatenablog.com


フェミニストも自由に発信していい

男性にパンプスを履かせた写真が話題になっていた。


タイムラインで「人工知能学会の表紙に対するイチャモンがブーメランとして炸裂している」と言われていた。


まぁ女性ロボットと男性パンプスの意味合いは若干違うような気がしないでもないが、男パンプスの写真をユーモアと受け取る人、風刺と受け取る人、男性への差別と受け取る人などが色々といるし、解釈は人それぞれなのだろう。

フェミニストも自分の主張を自由に表現して何も問題はない。

同じようにその他の誰かの作品も、フェミニストの癇に障ったからといって撤回する必要はない。


お互いにスルーすればいい。

上記の高須賀さんがアンチフェミというわけではないが、フェミニストへの反論がタイムラインの半分以上を埋めている場合、もはやその人はフェミニスト叩きに取り憑かれていると判断していいだろう。

理屈を重ねて説得や反論を試みても、感情で物を語る人の考えは変わらない。

アンチフェミニストが統計や論文を引っ張り出して反論しても、

「な、なるほど〜そういうことだったのか」

などとフェミニストの心を震わせ、納得させることは絶対にできない。


アンチフェミもアンチフェミで、アンチフェミ同士で

「頭のおかしいフェミニストを論破して味方同士で認めあっている」

ような、「男を叩いて連携するフェミニスト」と似たような精神状態に陥っているのではないか。


そうやって日々論争しているうちに、問題が大きくなってくる。

小学校で大騒ぎする問題児はスルーすれば静かになる。

狼少年はみんなで無視すれば嘘をつく意味がなくなるはずだ。

同じように、ツイッターのフェミキチ問題もお互いに無視しているうちに鎮静化していかないものだろうか。

世間も反応しない。
フェミもアンチフェミもお互いにスルーする。

「別の主義主張の人が騒いでいるんだ」

と、泰然として反応しなければいい。


まぁ、こんなことをここで書いても「お互いに無視する」なんてことには絶対にならないだろう。

アンチフェミの存在が「フェミニストによるクリエイター潰し」の防波堤になっている面もある。

天敵がいることによって自然の生態系が保たれているように、フェミ・アンチフェミもお互いを攻撃しながらバランスを取っているのかもしれない。


ただ少なくとも、

「一般の発信者」

はフェミニストによる炎上は気にすることなくスルーしていい。

頭がおかしい人の大騒ぎにクリエイターがいちいち影響を受けない世の中になってほしい。

oreno-yuigon.hatenablog.com


大事なのは線を引くこと

ツイッターは炎上家の声がどんどん大きくなっているし、日々の鬱憤を晴らしたい人が続々と炎上家の元に集まっているので、これからはより一層炎上しやすくなっていくだろう。

「これはまずいだろ」という線は自分達で引いておき、線を超えていないのであれば、いちいち作品を撤回しなくてもいい。

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チャージングの線を引く


「SNS映えの為に飲み干さずに捨てられたタピオカミルクティーは捨てた人間を絶対に忘れない」の作者はフェミニストに理不尽に叩かれていたが、しっかり線を引いて立派だった。


togetter.com


タピオカ作者の方のツイートを追ってみると、作品に対するスタンスが素敵だった。


作品に対する肯定・否定は受け入れる。
感想は自由だ。

誹謗中傷にエスカレートしてはいけないし、誹謗中傷されている場合は無視するか、法的な措置を取るといい。
そして今後増えていくであろう「炎上家による炎上」も無視するのがいい。