ネットで他人の批判ばかりしている人のモチベーションはどこから沸いてきているのか



ツイッターには色んな人がいる。

細々と日常を綴る人や、ネタに走る人。

商売につなげる人や、エロにつなげる人。


タイムラインはさながら戦国時代のようで、

眺めると毎日誰かが喧嘩をしている。


ツイッターには稀に


発信するコンテンツの8割以上が何かの批判


となっている人もいる。

毎日毎日、自分の思想に合わない人をこき下ろし、

なんとかダメージを与えようと画策している。


もちろん「おかしい」と思ったことを批判するのは全く悪いことではない。

健全な批判はコンテンツの成長にもつながるだろう。


しかし、世の中にはもはや健全とは言えず、「イチャモンのレベル」でひたすら批判ばかりしている人もいる。

彼らはなぜ、毎日怒り続けているのか。

なぜ誰かを批判せずにはいられないのか。


彼らのモチベーションはどこから沸いてきているのかを考えた。

共通の敵の悪口を言うことで連帯感を得る

批判のモチベーションの源泉を考えたとき、真っ先に思い出したのは小学校時代の出来事だった。


「宮田」

という少年は、いつもヒソヒソと誰かに耳打ちをして、誰かの悪口を人に見えように(でも聞こえないように)言っていた。


宮田に悪口を言われることを恐れた他の生徒は徐々に、彼に逆らわなくなっていった。

宮田は特定の誰かの悪口を言うことで「共通の敵」を作り出し、自分の仲間を集めていった。

仲間たちは宮田に悪口を言われないことで「安心感」を得ていたのだ。


ネットで特定の誰かの批判する人たちの間にも、同じような連帯感があるのではないだろうか。


フェミニスト界隈は男を叩くことで仲間内の絆を育んでいるし、

反原発界隈も同じだ。


「共通の敵」を作ることで、味方を増やすことができるのだ。


僕は自分自身が小学校のときに一時的に、「共通の敵」扱いされたこともあり、

あのときの屈辱感から「共通の敵」を作る手法があまり好きではない。


どちらかというと、


「一緒に婚活頑張ろうね」


みたいに、前向きな目標を共有して絆を深め合う婚活界隈のような雰囲気のほうが好きだし、応援したい。



関連記事⇛ネットで他人の悪口ばかり言ってる人の思考回路はだいたい3パターンに分類できる。


尊敬を集めて、ポジションを得る


「これが正しい」


と言い切るよりも


「お前の言ってること、おかしいやろ」


と批判するほうが難易度は低い。


特にツイッターのような短文しか投稿できないツールだと、論理的におかしな部分を指摘しやすい。


ツッコミどころを目ざとく見つけ、的確な言葉で批判することで、


「賢くて鋭い頭脳を持った人」


という印象を周りに与えることができる。

特にアンチが多い人を批判すると、周りがこぞって賛同してくれるので批判の効果が高い。


「鋭い印象」は何かを批判するたびに強まっていき、

徐々に


「この人の言うことは正しい」


というイメージが作られていく。



「さすが○○さんですね!」

「○○さんの視点は勉強になるなぁ」

というように、ネットで周りの尊敬を得られるポジションを得るためには、コツコツと人のためになる情報発信を続ける必要がある。


しかし、「わかりやすい何か」を批判すれば、「さすが○○さん」までの道をショートカットできる。

というのも、批判対象がどんどんネタを生み出してくれるからだ。

自分でゼロから考えなくても、元からある素材にツッコむだけでコンテンツを作ることができてしまう。


「批判」は周りの尊敬を得るための一種の露出戦略でもあるのだ。

批判している方は叩かれにくいし、安全だということもあるだろう。

しかし僕がこれまでネットを見てきた限り、

批判ばかりしている人が多数派となって、たくさんのファンを獲得する事例は少ない。


批判する人たちが集まったグループのようなものができることは多いが、

やはりポジティブな人の方が熱心なファンはつきやすいように思う。


「自分のスタンスを表明する」という意味で批判は有効ではあるが、

どこかのタイミングで「他人のネタを叩く」ことから脱出して、

自分のオリジナルのコンテンツを発信しないといけないフェーズがくるだろう。



関連記事⇛ネットの批判への向き合い方とその対処方針


怒りのはけ口として叩く人

世の中には何かを批判し続けていないと生きていられない人もいる。

常に何かに対して怒っていて、何かに対して文句を言っている。

  • 脱原発
  • フェミ
  • アベ政治を許さない
  • プロブロガーを許さない

など、色んな批判団体があるが、最初はみんな真っ当な批判をしていたはずなのだ。


誰も声を上げない「世の中のおかしなところ」を汲み取って、

批判によって正しい道に導こうとしていたはずなのである。


が、批判ばかりしている人の中には、途中で「批判自体が目的」となってしまう人もいる。

批判の化身、怨念の塊のような存在になってしまうのだ。


そうなると、徐々に発言が支離滅裂となってきて、

全ての事象を批判に結びつけるようになってくる。


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異常気象は原発のせい。

私がチヤホヤされないのは頭がおかしい男のせい。

ネットが息苦しいのはプロブロガーのせい。

自分の人生がうまくいかないのはアベ政治のせい!



というように、気に食わないことがあるとなんでも

「○○のせい!」

と結びつけるようになってしまう。


これが批判に取り憑かれた人間の末路である。


皆、初めは自分の正義をぶつけているだけなのだ。

批判している人はいつだって、「自分の正義」を貫いていて、自分が正しいと信じている。


それがいつの間にか、正義の行使が目的となって、

真っ当な批判とイチャモンの区別がつかなくなってくる。


とにかく批判しないと気が済まなくなってくる。

批判に取り憑かれた人生となる。


これはある意味、呪いである。


何かを批判しなければ、自分の存在意義を確かめられないのだ。


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”自分が”ネットで悪口を言っても良いことはない


最後に、この記事読んでくれた読者にメッセージを送りたい。

読者のみんなは「自分が得するように」行動を選んでほしいなってこと。


インターネットを長くやってきた僕の経験上、誰かを名指しで批判して良いことはほとんどない。


後々何かのきっかけでチャンスに恵まれたとしても、


「過去に名指しで批判してきた無礼者」


という一事のせいで、チャンスが消えてしまうかもしれない。


僕たちの感覚がまともであれば、自分が


「なんやこいつ!?」


と思ったときは他の人も


「なんやこいつ!?」


と疑問を抱いてくれている。


自分が批判しなくても、他の誰かが叩いてくれるのだ。


だから、僕たちは”自分が”声を上げて誰かを批判する必要はない。


ネットユーザーの多くは、ネットの恨みを甘く見過ぎている。

ちょっとした言動をずっと根に持たれることだってあるのだ。


誰かにチクチクと悪口を言われ続けるのは辛いだろう。


よっぽど我慢できない場合を除き、自分からはできるだけ批判しないようにしよう。

おかしな人は自分が批判しなくても、他の人が勝手に批判してくれるから大丈夫。


この記事を読んでくれた読者のみんなは、なるべく人の恨みを残さないように行動を選んでほしいな。


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