ネットで他人の悪口ばかり言ってる人の思考回路はだいたい3パターンに分類できる。



ネットには、暇があればケチをつける対象を探し、批判し、晒し、悪口を言ってる人がいる。

こういう人たちのことを、中川淳一郎さんは「どう考えても暇人としか考えられない」としていた。
どこからそのモチベーションが沸いてくるのかを考えると、暇人だからとしか言いようがない、と。

中川さんの本にヒントをもらい、自分なりに色々と考えてみた結果、ネットで他人の悪口ばかりを言ってる人は3つに分類できるという結論に至った。

もちろん、何かツッコミどころのある言説に対して、真っ当な批判することが悪いわけではない。
「メインコンテンツが悪口になっている人」についての考察である。


ネットで悪口ばかり言ってる人は、以下のどれかに当てはまるパターンが非常に多い。

  1. 妬み・僻み系
  2. 過剰な自己投影・被害者意識
  3. 承認欲求ゾンビ

それぞれについて考えてみよう。

妬み・僻み系

ネットには、人気者であると言うだけで叩こうとする人がいる。
ブログではPVが多い人、ツイッターではフォロワーが多い人がその対象になりやすい。

面白いネタを投稿してみんなを楽しませる人気者を冷笑し、こき下ろそうとするのが特徴である。

たとえば、「ARuFaの日記」という超人気ブログ。

ARuFaさんが記事を書くと、毎回ものすごい量のコメントが付く。
ARuFaさんは身体を張っておもしろネタを投稿し、みんなを楽しませている。

多くの人が「最高!」「今回も笑った。幸せになれた」というコメントを残し、みんなが幸せになっているところ、

久々に見たひどい記事。
これで笑えるとかある意味すごい。

のようにコメントする奴。

こういう奴は必ず存在する。

記事の内容に対する批判ではなく、人気があることに対して否定的なコメントをするのが特徴だ。

「何が面白いのかわからない」

「寒い」

「スベってるぞ」

と言いながら、自分自身が面白いコンテンツを発信することはない。


「俺の遺言」の読者層ならハイク説教おじさんの方が身近かもしれない。

ツイッターで「partyhike」で検索すると、一定数のクソリプが飛んでいることがわかるだろう。


妬み系・僻み系に分類される人の背景にあるのは、高い自尊心である。


自分は優れているのに・・・
自分がもっと面白いのに・・・
なんでみんなわからない?

陽の目を見ている奴らが気に食わない!
こんな奴より俺のほうが面白いのにっ!


かといって、その自尊心に見合うコンテンツを発信するわけではなく、自らは何かを生み出すことなく、チヤホヤされている人の悪口を言う。

「こいつの何がいいのかわからない」


妬み・僻み系の人への処方箋は、「とにかく自分で発信してみよう」ということである。
ただ人の悪口を言うのではなく、自分で何かコンテンツを発信する。

やってみればわかるけど、万人の心を掴む面白いネタなんてほとんどない。
いつも面白いこと言ってるように見える人も、実はけっこうスベってることもあるし、これは絶対おもしろいと思って発信した内容が全くウケなかったりもする。

全ては自分でやってみないと気付かないことだ。
自分がやってみることによって、反省し、修正し、だんだんと発信がこなれてくる。

その頃には、面白いコンテンツを発信し続ける人のことを「敵意を持って見つめる対象」ではなく、「なぜこの人は支持されるのか」という研究の対象として見るようになるだろう。

面白い人は叩くのではなく、研究して自分の肥やしにした方がいいと俺は思う。

過剰に自己投影し、被害者意識が激しい人


ネットにはなぜか、自分と全然関係ないことに怒りまくる人がいる。

俺が見てきたツイッターでは、

「不倫は絶対許さない」

とか、

「女遊びしている男は人を不幸にしているから滅ぼすべき」

のようなことをつぶやく人がいた。


こういうツイートを見るたびに俺は思う。


・・・お前に何が関係あるのだ──────


こういう人のツイートを遡って観察すると面白いことがわかる。

女遊びをしまくってる男を叩いている人に限って、

「私を騙して遊んだ男に天罰が下ればいいのに」

のように、自分の不愉快な過去を露呈しているのである。


人間の想像力はそれほど優れてはいない。

「遠いアフリカで食糧難で死んでいる人がいる」と聞いても、その光景をリアルに想像して悲しんだりはできないだろう。

自分が経験していないことを想像するのはとても難しいのだ。

同様に、自分と無関係なことに本気で怒ることも難しい。
遠いアメリカで銃を乱射したアホのニュースを見て、手を震わすほどワナワナと怒り、ツイッターに「銃を乱射したアホを絶対に許さない」などと投稿することはないだろう。

ツイッター上で赤の他人のツイートに怒り、「正義の代理人」として活動している人は、

「自分自身を傷つけた過去の出来事」

に対して怒っているのである。

実際、ツイッターで好き放題つぶやいている人物にリアルで関わる可能性は、極めて小さい。
全く人生に関係ない赤の他人が何をしていたところで、怒りを表明する必要はないはずだ。

にも関わらず、憎しみや怒りを撒き散らすのは、それが他人ごとではないからである。

他人の出来事を過度に自己投影し、自分のことのように怒っているのだ。

そういう人への処方箋は、まず自分の怒りの原因を見つめることだ。
怒りの原因を見つめ、理解し、「次はそのような目に遭うまい」と対策を考えることが大事なのである。


過度の自己投影は、不倫や浮気を断罪している女子に限らない。

たとえば、ツイッターで

「男は飯を奢って当たり前。女の貴重な時間を使ってるのに何様なの?」

みたいに言っている奴を見たらカチンとくる。

そういう発言が腹立たしいのは、自分が会ってきた女にそういう奴がいたからかもしれない。
ネットの出来事に、自分の過去の出来事を投影し、それに対して怒りを感じている可能性がある。

他人がそうなっている場合は理解できても、自分は無自覚にやってしまう可能性があるので、注意が必要だ。


承認欲求ゾンビ

これもツイッターに多いのだが、お気に入りやリツイートされるのが気持ち良くて、そこで承認欲求を満たそうとする人がいる。
もちろん、面白いことや有用なコンテンツを発信して、それがファボられたり、RTされるのは何も問題ない。
ファボやリツイートを求めるのはネットで情報発信している以上、当たり前のことだ。

しかし、中には他人の悪口を言うことで承認欲求を満たす人間もいる。

こういう人間の特徴は、「とにかく多数派に付く」ということだ。
みんなが叩いているものを一緒になって叩き、一緒に叩いている人に褒められ、認められて喜ぶという特徴がある。

自分は反撃されない安全圏を確保し、安全なところから石を投げる。

石を投げられた相手の反応を見て喜び、一緒に石を投げている人同士でハイタッチしているようなものだ。


言うまでもなく、これは小学校のイジメの構図に酷似している。


多数派に所属することで安全を確保し、「俺は多数派なんだ」とマジョリティへの帰属欲求を満たす。
派手にイジメればイジメるほど、"身内"からは拍手喝采で褒められる。
それに味をしめ、より一層承認を求めるようになり、イジメの対象に粘着してネタを探しているのが、承認欲求くれくれマンの特徴である。

多数派が叩いているものを引き合いに出し、「あいつは馬鹿で、何もわかってない。それに比べて俺はすごい」という内容を発信する人間も同様である。
結局求めているのは多数派の承認だ。

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文字にすればわかるが、実に幼稚である。
こういう幼稚で愚かな人間は、リアルでは基本的に誰にも相手にされないものだ。

内面の矮小さを見抜かれ、呆れられ、友達が少ない。
故に暇人で、ネットに活動の場を求めているのである。

こういう人は、人の悪口を言うものの、自分が悪口を言われる覚悟はないので、反論されたら過剰に反応し、反論相手にしつこく粘着するようになる。
基本的に暇人なので、相手が疲弊するまで粘着し、心を折ることを生業としている。

そして、悪口しか芸が無いため、たまに自分の言葉で発する内容は、恐ろしくつまらない。つまらないがゆえに、自分の言葉で発信した内容は拡散しない。

だからファボやRTを求めて、ゾンビのように「次の悪口」を探しにいくのが特徴だ。

こういう人への処方箋は、「ただの悪口は誰も救わない」ということを自覚することだ。

当然ながら、悪口を言われた方は不快になるし、悪口を言う側も、他人(イジメの対象)ありきで発信しているため、その人自身の発言内容が認められているわけではないのだ。


だから、他人のコンテンツに乗っかって悪口をいう時は、「サービスとしての悪口」を心がけるといいと思う。

他人を攻撃し、相手を貶めるための悪口より、ネタに乗っかって盛り上げるための悪口の方がいい。
かなり抽象的な表現になってしまうが、意識を「攻撃」に置くのではなく、「楽しむ」ことに置けばいい(ウィットに富んだ皮肉や風刺のイメージ)

そうすると、自然と「愛のある悪口」となり、やられた方も納得してしまうものである。


日本人はいじめが大好き

上で語ったイジメの構図について、「ウェブはバカと暇人のもの」に面白い記述がある。

人が他人に「強くものを言う」「注意をする」ことが滅多にないことは、オリコンが2008年3月3日の「耳の日」を前に、中学生から40代の1000人を対象に行なった
「ヘッドフォン」に関するアンケート結果に見ることができる。

「電車内で他人のヘッドフォンの音量が気になるときに注意する人」は全体のわずか8.9%だったのだ。
報復を恐れるため注意しない人が多いとのことだが、一方のネット上では、「やんちゃ行為」は注意をされまくる=叩かれまくる

ネットに書き込まれる意見を見て、私がいつも思うのが、

「日本人ってこんなに品行方正だったっけ?」
「こんなに怒りっぽかったっけ?」

ということだ。

ふだん、人を怒ることも注意することもないのに、ネット上では出自不明の正義感から人を徹底的に叩く。

この「出自不明の正義感」がネットには蔓延している。

ツイッターは「バカッター」と呼ばれ、「飲食店の冷蔵庫に入る」などのバカな行為をネットに公開した人間は、ありとあらゆる情報を調べられ、晒しあげられ、叩かれる。

中川淳一郎さんは、「犯罪行為を通報すること自体は正しい行為だが、彼らを処分するのは警察や所属団体だけでいいのではないだろうか」と言っている。

ネットで行われているのは「正義の行為」から逸脱した単なる「いじめ行為」である。
「怒りの代理人」は正義を行使したいわけではなく、ただいじめたいだけなのだ。

昔、前園真聖がイジメについて語る有名なCMがあった。

「いじめ、カッコ悪い」

は流行語にもなったと記憶している。

いじめはカッコ悪いはずだが、ネットでは日々イジメが繰り返されている。

以下のシロクマ先生の記事も面白いだろう。

"叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点


自分が悪口を言われたときに読みたい3つの記事

ここまで5,000文字近く色々と書いてきたが(俺が一番暇人だ)、ネットのイジメや悪口は絶対になくならない。
というか、「イジメや悪口ばかり言っている人」がわざわざこの記事を読む可能性は低いだろう。

そして、ネットで情報発信している限り、悪口は避けられないだろう。

繰り返しになるが、健全な批判は否定されるべきものではない。

「批判なき権力は必ず腐敗する」と昔の偉人が言うように、批判されないブログもだんだんとおかしな方向に言ってしまうだろう。
批判は自分の発信内容を改善するチャンスでもある。

しかし、時にはどうしても意味不明なイチャモンをつけられることもあるかもしれない。

そういうときに読みたい素晴らしい記事を3つ紹介する。



インターネットで知識人、有名人を倒す方法


月間50万PVの有名ブログを運営しているしっきーさんの記事。
インターネットで有名人を倒す手順を皮肉を込めて紹介している。
1.複数のアカウントを作る
2.クソリプを送る
3.相手から反応がくる
4.相手は死ぬ。

有名人が、悪意あるリプライを複数のアカウントに送られたとする。
それに反応してやり取りをしているうちに次から次へと悪意を引き寄せ、いずれその悪意に耐え切れず、有名人が死ぬということだ。

これを防ぐためには、「反応が返ってこない空気みたいなものを作らないといけない」としっきーさんは言う。

争いは同じレベルの者同士でしか発生しないと言うが、反応を返すことで同じ場所に降りてしまう。そして、降りた先では一対多数なので分が悪い。

そして悪意に対しての防御は沈黙であるという。

不特定多数の悪意に対して、然るべき沈黙の防御を張っておくことを考えるべきだろう。


ネットの悪意に対する対抗策は、多くの有名人が同じことを言っている。
要は、スルー力が大事だということだ。

次に紹介するのは、脱社畜ブログで有名な日野さんの記事だ。

ネットの揉め事のほとんどは片方がスルーすればそれで終わる


東大卒の日野さんらしい、論理的な考察が述べられている。

ネットの揉め事を振り返ってみると、そのほとんどは当事者同士の応酬が重なるにつれて、どんどん大きくなっていっていることがわかる。
逆に、片方が喧嘩を売ってきても、応酬しない限りは話はまず広がらない。
このことから、あたりまえの事実が浮かび上がる。ネットの揉め事のほとんどは、当事者の片方がスルーすれば、それで大きくならずに終わるのだ。

スルーするときは、無言で粛々と行うことも大事だと言っている部分も面白い。

ちなみに、「無視」や「スルー」をキメる場合には、無言で粛々と行うことが割と大事だと思っている。
たまに、twitterとかで「なんなんだこの人……ブロックしよう」とか宣言しながらブロックしてる人を見かけるが、それはある意味ではスルーできていない。
そういう人は、なんだかんだ言って定期的に小競り合いに巻き込まれているように思う。

ネットでは、スルーしたら「はい、論破!」「反論できない奴wwだせwww」みたいに言うちっぽけな小物もたくさんいる。
悪口を言っているにも関わらず、本人にブロックされたら嫌味を言う奴もいる。
なんてちっぽけなんだろうと思うけど、仕方ない!

それでも粛々と「黙ってスルー」するのがいいということを日野さんは主張している。


最後に、月間200万PVの日本有数のブロガー、ちきりんさんの記事を紹介しよう。

Twitterについて、理解しておくべきこと


「言われたこと」より、「言ったこと」の方が、圧倒的に重要だとちきりんさんは言う。
誰かがちきりんさんのことを「アホ」と言っても、本当にちきりんさんをアホと思う人は多くない。

でも、ちきりんが知らない誰かに「お前アホか?」とつぶやけば、多くの人が「こいつ、アホだ」と思うだろう。

以下の記事でも書いているように、何を言われたかよりも、何を言うかのほうが重要だということ。



「何を言われたか」ではなく「何を言うか」

それはつまり「何を言われたか」を気にする時代から、「何を言ったか」が圧倒的に大事な時代への移行ってことなのですよ。

批判の内容で評価されるのは"書き手"であって、書かれた本人ではない。

大臣のブログとは比較にならないけど、ちきりんの日記にもブックマーク、ツイッター、さらにはトラックバックでいろんな意見が寄せられる。賛成や賞賛のコメントもあるし、批判や罵倒のコメントもある。

でもその内容を気にする必要はあまり感じない。なぜなら多くの場合、そのコメントで評価されるのは“コメントの書き手”であって、ちきりんではないから。

リアルの世界でも、同様だとちきりんさんは言う。

リアルな世界でも同じです。周りの人が自分の悪口を言っても、あまり気にする必要はありません。その悪口を聞いた人がそれを鵜呑みにし、あなたのことを悪く思う可能性は必ずしも高くないからです。

だけれども、「自分の言動」には気をつけるべきです。それによって、まさにあなたは評価されるのです。誰かの悪口を言っている時、それによって評価されているのは「悪口の対象」ではなく、「悪口を言っている自分」だってことを忘れてはいけません。

「言われることより、言うことで判断される」

これはネット全体の傾向とは少し違っている。
自分の意見を持たず、脊髄反射で人を叩き、長いものには巻かれろと言わんばかりに「人が悪いという奴は悪いもの」と考える人もけっこういるからだ。

上の記事は「ちきりんさんのブログの読者」や「リアルで関わる人」を想定しているのだろうと思う。

たしかに「Chikirinの日記」の読者で、「悪口言われてる!やっぱりちきりんはアホだ」と判断する人は少ないだろう。


結論として、ネットをやっていく上で大切なのは、

・意味不明な罵倒は華麗にスルーする
・「自分が何を発信するか」が評価されると心得ること

だと言うことだ。

偉大な先人たちの言葉を胸に、これからのブログを書く際の心の指針としたい。


ネットのバカ (新潮新書)

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