『バクマン。』と男尊女卑問題と偏見のメガネ



昨日、『バクマン。』について記事を書いたら、はてなブックマークで

「バクマン。の男尊女卑が気になって物語に集中できなかった」

というコメントをいただいた。

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コメント主様が指しているのは一巻の高木秋人の台詞だろう。

「亜豆は計算じゃなく素で女の子してるんだ」

「なんていうのかな
おしとやかに行儀よくしてるのが女の子らしい
それが一番ってのが自然に身についてて」

「女の子だから真面目な方がいいけど
勉強は中くらいでいい
出来すぎても可愛くないって感覚
生まれつき持ってるんだ

それって賢いってことだろ」

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文章にするとたしかに「女はこうあるべき」というのを押し付けているように感じる。

そして『バクマン。』の男尊女卑的なシーンは一巻に限らず、後の高木秋人の夫婦生活にもたびたび表現されている。

高木秋人の妻である高木伽耶は働きづくめの夫を支え、料理を作ったり、(小さなコマで)皿を洗っていたり、

「夫の頑張りを後ろから支える」

というスタンスが常に見て取れる。

いわゆる昭和の価値観で、現代のフェミニストが見ると高木伽耶が秋人を支えているシーンにも怒りを覚えるのではないだろうか。


『バクマン。』の男尊女卑ネタが騒がれたのは実は連載当初ではなく、連載が終わってからしばらく経った後、ツイッターで誰かが発信してからだ。

連載当初はツイッター発の炎上はバカッター系のしょうもないやつばかりだったし、男女の問題が今ほど大きく取り上げられることはなかった。

もちろん男女は平等だ。

「男尊女卑は許さない」「男女は絶対に平等であるべきだ」

という思想は自由だし尊重するべきだと思う。

最近はその風潮が加速気味で、「男女は平等」の思想家たちが

「我々の思想に反し、我々を不快にするものを許さない」

という方向にシフトし始めたのは2018年のMetoo事件あたりからだったように感じる。

アメリカでは人種差別的な発言をした人はどんなに社会的な地位が高い人でも地の底に叩き落とされるという。
「人種のるつぼ」と言われるアメリカと違って、日本では人種の問題が取り上げられることは少ない。

中居くんの外国人のコンビニ店員を馬鹿にしたような発言は、欧米でやったら大問題になっていただろう。


そしてこのようなポリティカル・コレクトネスに反する発言、発信へのバッシングはこれからさらに強化されていくことが予想できる。

性別・人種・民族・宗教に基づく差別・偏見に注意を払い、可能な限り避けていく必要がある。


社会ではなく個人の問題として捉える

ここからはこのブログの普段の読者に向けた語りかけとして捉えてほしい。
いつもの読者とは何か通じるものがあるという前提で書いていく。

* * *


ぶっちゃけ『バクマン。』の高木の台詞を読んでムカついたりしますかね?

僕はネットで話題になるまで全然気にならなかったんですよ。

というか、ネットでは様々な発言にとにかく怒りまくっている人がいるんですけど、実際のところ、自分の人生とほとんど関係ないなって思ってしまうんです。

漫画のキャラクターが男尊女卑的な発言したところで、僕たちの生活に何も影響ないわけで。
怒ってる人は「そういう風潮が作られるのを許してはならない」と言うかもしれないのですが、嫌な人には自分が関わらなければいいんじゃないかと。

赤の他人の、自分に直接迷惑をかけてくるわけでもない人に怒るのはなぜだろうと考えてしまったのですが、やはり

「全然わからない

俺たちは雰囲気で怒っている」

というのが実態なんじゃないかな。

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男尊女卑を社会の問題として考えて、社会と闘おうとするとややこしくなります。
個人の問題として捉えましょう。

自分が男で「一歩後ろで支えてくれる女性(ひと)がいい」と考えるなら、そういう人と付き合えばいい。
そのために自分の魅力を高めていくことに集中すればいいんです。
社会を変えようとするから大変なんです。

自分が女で「ナメた態度を取る男は許さん」と考えるなら、思想がしっかりとした立派な男の人と交友関係を築いていけばいい。
立派な人と交友を結ぶ価値のある人間になるように努力すればいいんです。
ツイッターで知らない人たちと闘おうとするから大変なんです。


何かと闘うのは精神と体力と時間を消耗するので、もうちょっと楽しいことを考えていってもいいんじゃないかな、と思います。

『バクマン。』は男女の問題が主旨じゃないのに、男女問題にフォーカスを当ててしまうと、楽しめるものも楽しめなくなってしまいます。それは本当にもったいないです。

もちろん、ここで語った

「自分に影響ないからそんなに気にしなくていいんじゃないかな、怒るだけ損だよ」

という意見も僕の偏った意見であることは否定できません。

偏見のメガネを意識しよう

昔、大学の先生が

「人間は誰もが偏見を持っている。偏見の目を通して世の中を見ている」

「私達にできることは、偏見を意識することだけです」

と言っていました。

僕たちは誰もが自分の人生で偏見を作り上げてきます。
歪んだ眼鏡をかけて世の中を見て、自分の理解できる形で世の中を見ようとしてしまいます。

大事なのは、その偏見を意識することです。

「男尊女卑を許さない」という偏見の眼鏡をかけて世界を見たら、目に映る全ての台詞が「成敗の対象」になりかねません。
「会社員はあかん」という偏見の眼鏡をかけて世界を見たら、目に映る全ての会社員生活が「オワコン」に見えてしまうかもしれません。

大事なのは、自分が眼鏡をかけていることに気付くことです。

偏見を持つのは仕方ないですが、偏見を意識しないと客観的に正しい判断の妨げになります。
自分の思考が偏っているという前提に立って、一度フラットに物事を考えてみなければいけません。