「ネットの正義の暴走」に抱いた違和感の正体が見えてきた気がする



ネットの正義の暴走について何度か記事を書いてきたが、僕は「正義」が何かわからずにいた。
あるYouTuberがプロモーションに失敗して炎上した。そのプロモーションの手法を「斬新だ!」と褒めたツイッタラーが四方八方から罵声を浴びせられ、活動自粛に追い込まれた。

誰かの手法に賛同したことを攻め立て、暴言を吐きかけるのは正義なのか?
彼ら彼女らが武器として手にしている正義とは何なのか?
そして自分から見て、なぜ彼らが間違っているように見えるのか?

最近のツイッターは些細なことで炎上しがちだ。
何か道徳的に問題がある企業やインフルエンサーに謝罪を求め、発言を撤回させ、活動停止に追い込む。
彼らが「正義の快感中毒」になっているのは間違いない。

しかし、彼らが振るう正義そのものが間違っているとも言えない。
そもそも正義って何なのだろうか?

正義の判断基準

『正義の教室』という本では正義の判断基準についてまとめられている。

* * *

人が何かを正義だと判断するとき、それはどのような判断基準によって行われるのか。
実のところ、その判断基準は大きく分けると3種類しかない。

人間が持つ3種類の正義の判断基準。

それは「平等、自由、宗教」の3つだ。

我々が悪と呼ぶものは以下の3種類に分類できる。

不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為→悪
不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為→悪
反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為→悪


特定の誰かが特権的に利益を得ていたり、あるいは差別的に損害を被っている不平等な状況は悪だ。
だから利益の独占は許されないし、累進課税で所得税が高くなることは正義とも言える。

ヒーローものに出てくる悪の組織はなぜ悪なのか?
人々の自由を奪うことにつながっているからだ。

お墓をむやみに壊したり、老人を粗末に扱ったり、赤ん坊を虐待するのは「社会の伝統的な価値観に反する行為」だ。
これは反宗教という意味で、悪なのだ。

逆にこれらの悪を犯さずに改善しようとする行為を「正義」だと言うことができる。

つまり、「平等、自由、宗教」を推し進める行為が正義だと定義できるわけだ。
これら3種の正義を追い求めようとしたとき、人間の思考は次のような主義に行き着く。

(1)平等の正義を実現するには→功利主義(幸福を重視せよ!)
(2)自由の正義を実現するには→自由主義(自由を重視せよ!)
(3)宗教の正義を実現するには→直観主義(道徳を重視せよ!)


* * *

この「正義の判断基準」を読んだとき、僕の中で正義の違和感の正体が見えた気がした。
哲学を専門にしている人からは痛烈なツッコミが入るかもしれないが、自分なりの考えをまとめていく。

僕は「自分の正義の判断基準」と異なる人の振る舞いに違和感を覚えていたのだ。

僕が「正義を武器にして他者を殴っている」と表現していたツイッタラー達がいた。

彼らにとっての正義は「道徳」だったのである。

だからパワハラは許されないし、嘘は絶対に許さない。
パワハラや嘘を助長するような人間も許してはいけない。

一方で、僕が重視している正義は「自由であること」だ。
『正義の教室』では自由主義は以下のように定義されている。

自由主義の結論はシンプルだ。
他人の権利を侵害しない人の権利は保証するが、他人の権利を侵害する人の権利は保証しない。
言い換えると、他人の自由を奪わないなら好きにしろ、奪うなら容赦しないぞ。

僕の価値観はかなり自由主義よりの正義に偏っている。
極端に述べると、以下のような感じだ。

「他人に迷惑をかけないなら自由だろ」
「誰かのやり方に『いいね』と賛同する自由を侵害するなよ」
「そもそも炎上プロモーションって誰かに迷惑かけた?時間が経って冷静になると、何も迷惑かけられてないよね?世間に受け入れられない人達は自然に消えていく。それでいいじゃん」

このように「自由」を正義とする人間と「道徳」を正義とする人間では噛み合うはずがないのだ。
お互いの正義が違うのだから。

どちらかが正しいのではなく、信条が異なっている。


偽装パワハラをプロモーションとして利用したグループ...というかレペゼン地球が炎上したが、彼らは

「嘘のパワハラを演出することで、その他のパワハラで苦しんでいる人を侮辱した」

と責められた。
これは社会全体の幸福度を下げているため、功利主義を正義とする人からは受け入れられない。

プロモーションに賛同した人の一部はおそらく自由を正義とする人で、

「表現の自由だし、別にいいじゃん。失敗しても自分の責任でしょ」

みたいな価値観が強かったのだと思う。

『正義の教室』でも自由主義のモラルについて言及がある。

自由主義にとって、モラルに反した行為とは「他人の自由を他人が奪うこと」ただそれだけであり、それ以外にモラルに反した行為など存在しない。

しかし炎上騒ぎでは、道徳を正義とする人、幸福を正義とする人から散々にボコボコにされて、自由の正義は完全に否定された。

さらに言うと「自分がパワハラと戦う自由を侵害された」ということで、自由主義寄りの人からもボコボコに殴られていたようにも見える。

「幸福、自由、道徳」
3つの正義全てを敵に回してしまうと、ネットの火種は大炎上に変わるのだ。

去年の12月に

「男はクリスマスに3つ店を予約しておいて、どの店にも行けるように準備しておけ」

とツイートした人が炎上したが、これは当然、道徳的にもアウトだし、店の人や予約できなかった人も不幸にするから「幸福の正義」的にもアウト。店を予約する自由を奪われるので、自由を正義とする人から見てもアウト。

かくして大炎上となったのである。

oreno-yuigon.hatenablog.com

ツイッターでよく炎上するのは「自由の正義」

ツイッターではたびたび炎上事件が起きている。

「子供を複数産んだのはリスクヘッジのため」

といった偉い人が炎上した。
これは道徳を正義とする人には許せない発言だったのだ。
なぜなら、子供はリスクを考えて生むようなものではなく、授かりものだという道徳があるから。


「老後資金2000万貯められない人は終わってる」

みたいに発言した人も炎上した。
老後の貧困生活を肯定するような発言は全体の幸福を最大化することを正義とする功利主義の人間には受け入れられない。
平等に不幸になるならいいかもしれないが、誰かが悠々自適な老後を送っている一方で、自分が不幸な貧乏生活するのは耐え難いのだ。

こうやって考えると、最近のツイッターの炎上はほぼ全て、正義の対立によって起きていることがわかる。
特に自由を正義とする人が、道徳を正義とする人や、平等な幸福を正義とする人からボコボコに殴られている構図が見えてくる。

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自由の人はどちらかというと社会的な強者が多いため、平等の人や道徳の人の怒りを買いやすい。

oreno-yuigon.hatenablog.com

正義って何なの?

  1. 暴走したトロッコの先に5人がいて、そのままトロッコが突っ込むと5人全員が死んでしまう
  2. でも、あなたが路線を切り替えるレバーを引けば、5人の命を助けることができる
  3. しかし、そうすると今度は切り替えた路線の先にいる別の一人にトロッコが突っ込み、本来無関係のはずの人間が1人犠牲になってしまう

有名なトロッコ問題だが、この問題に対して哲学は答えを用意していない(はずだ)

正義って一体何なのだろうか?

多数の幸福が実現される社会が望ましいといっても、幸福の尺度なんて人それぞれでしょう?
自由自由というけれど、たとえば自分の子供が麻薬に手を出すのも自由なの?
不完全な人間が、絶対的に正しい道徳を発見することなどできるのだろうか?

正義についてはずっと昔から、すごく頭の良い人が議論を重ねているのだが、まだ結論は出ていない。
ツイッターでは「幸福(平等)、自由、道徳」のうち、どれを重視するかによって価値観の対立が生まれている。

正義の正解がない以上、誰かの正義が「正しい」と言えることもない。
ほとんどの炎上はどちらかが一方的な悪なのではなく、正義の対立が背景にあるのだ。

「万人にとって正しい正義」が無いからこそ炎上するし、言い争いが起きる。

どんなに誰かが叩かれていても、一方が完全に悪で、もう一方が完全に正義ということはほとんどない。
正解がないからこそ、自分自身が「善い」と思える行動を心がけることが大事なのだ、と『正義の教室』の最後の方に書いてあった気がする。

他者に監視され続ける世の中だ。なんでもSNSにアップされ、批判にさらされやすい現代だ。
そうやって監視が続くと「他者から見て模範的な人間であろう」としてしまう。

しかし本当に大事なのは、他者の視線や他者の評価にかかわらず、自分がすべきと思ったことこそが、『善い行動』の定義なのだ。

「万人に見られていなかったとしても、もしくは見られていたとしても、それに関わりなく自分がやるべきだと思ったことが、自分にとっての善いことである」

トロッコをどちらに進めるかギリギリまで迷って、極限まで悩んで、最後に自分がやるべきだと思ったことは「自分にとっての善いこと」なのだ。

『正義の教室』の主人公がこんな言葉を投げかけている。

監視があろうと、誰に見られていようとかまわない。
他者の視線に関わりなく、正しくありたいと願い、迷いながらも自分なりの「善い」を、「正義」を目指して生きていく。
そうやって生きることこそが、監視社会というこの巨大な刑務所から抜け出す方法であり、「僕たちが自由に幸福に生きていく唯一の方法」なのではないでしょうか。


正義の教室 善く生きるための哲学入門

正義の教室 善く生きるための哲学入門

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