暴走する企業アカウントへの違和感。「中の人」の自意識はなぜ肥大化するのか



企業アカウントに眉をひそめる人が増えている。

SHARPの公式アカウントと下ネタ系女性ツイッタラーのやり取りが炎上したり、キングジムの「中の人」がフォロワー数の増加具合を誇らしげに語っていたり、どうも企業アカウントの「中の人」の自意識が公式アカウントから少しずつ漏れ出して、隠しきれない自意識に違和感を抱く人が増えているようにも感じる。

企業アカウントの魅力は、

「企業が運営するアカウントでありながら過度に広告的ではなく、ある意味で公的な存在でありながら、おちゃらけた発信もできる」

ところにある。

河野太郎衆議院議員のツイッターが良い例で、国会議員という「偉くて近寄りがたいイメージ」がある人がお茶目なツイートをしたり、コツコツとエゴサしているギャップに好感を抱くのだ。


自社の広告を垂れ流すだけの企業アカウントはあまりバズらない。
礼儀正しく、冒険しないアカウントは炎上もしないが、誰からも見向きもされない。

企業アカウントは会社のシンボルでありながら、一般ユーザーが身近に感じられるようなツイートをするところに魅力があるのだ。

一般ツイッタラーは、企業の仮面をつけながらネット民に寄り添う企業アカウントの姿に共感し、

「おいおい、あの有名な会社のアカウントのくせに、こんなツイートしてるぞ」

と拡散したくなるのである。

「中の人」は“企業”と“プライベート”の微妙な境界線を越えてはいけない

ツイッターの検索窓に「sharp」と入れると「sharp 気持ち悪い」と表示されるようになった。
これはSHARPのアカウントについて「気持ち悪い」とツイートする人や、「気持ち悪い」と検索する人が増えているということである。

そのきっかけとなったのが「しぬこさん」という有名下ネタ系女子ツイッタラーとのやり取りだった。
今でこそ色々な人に「気持ち悪い」と言われているが、最初は企業アカウントとして健全なリプライをしていたことがわかる。

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「プラズマクラスターでは除霊はできない」

というリプライは、SHARPの商品の説明でもあるし、商品の宣伝にもなるので企業アカウントとして何の問題もない。

むしろナイスなリプライだと言える。

しかし徐々に「中の人」の自意識が漏れ出し、「企業」から「個人」に振れていく様子が見て取れる。

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これは「大丈夫?お○ぱい揉む」というツイッターで流行った構文のパロディで、ツイ廃でこの構文を知らない人は少ない。
SHARPの「中の人」がツイッター構文をよく研究し、ネットの文脈をよく理解していることがよくわかる。

しかし、ツイッター構文を理解しているからといって、どの構文でも使っていいわけではない。
特に下ネタは諸刃の剣で、「面白い」と思う人もいる一方で、「不愉快だ」と嫌悪感を示す人も多い。

有名Youtuberが個人アカウントで下ネタを発信するのと、数万人の社員を抱える会社の「SNS上の顔」となっている企業アカウントが下ネタを垂れ流すのでは意味が違う。

有名Youtuberが「個人として」仲の良いアカウントと絡み合うのは自然に見えるが、企業アカウントが思い入れのある個人ユーザーと何度もやり取りを繰り返す姿には違和感を覚える人も多いだろう。


企業アカウントはあくまで「会社のためのアカウント」なのだ。


企業アカウントの「中の人」はスラムダンクを読み返し、もう一度安西先生の言葉を噛み締めてほしい。


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「お前、なぁんか勘ちがいしとりゃせんか?」


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「お前の為に会社があるんじゃねぇ」

「会社のためにお前がいるんだ」


企業アカウントのツイートに「しぬこさん」という個人アカウント名を載せるのも適切ではないし、SHARPの公式ツイッターを見る人全てが「しぬこさん」を意識したり、知っているわけではない。

上記のツイートからは、SHARP公式アカウントの運用担当の中で「SHARP」と「自分」の境界線が曖昧になり、だんだんと「SHARP」から「自分」に寄ってきているのがわかる。


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「中の人」の決意表明や自己PRはいらない

企業アカウントはあくまで会社のアカウントであって、フォロワーは「個人」としては見ていない。

孫正義がツイッターで「やりましょう」と決意を表明するのと、企業公式アカウントの「中の人」が自らの想いを表明するのは意味が違う。

企業アカウントはあくまで「会社の顔」なのだ。

中の人の肥大化した自意識が漏れてくると、「私は」と自分を語りたくなってしまうようだ。

企業の公式アカウントが「私は」をアピールするのは自分を出しすぎで、企業アカウントはあくまで「私たちは」か、あるいは「私たちの商品は」を主語にするのが自然だと思うのだが、おかしいだろうか。

自分を語りたいなら、「SHARPの中の人」のアカウントを別に作ればいいのだ。
「中の人」に興味がある人はそっちをフォローするだろう。

「中の人」としてしぬこさんに絡めばいい。
誰も邪魔しないし、否定もしない。こっそりDMを送っても嫉妬しない。

こういう私語りも基本的に不要だ。後半はいらない。

このツイートを書いているときの「中の人」は「私の顔」が前面に出過ぎていて、「シャープの顔」としての姿を忘れかけているようにも見える。


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ツイッター上の仮面と自分の区別がつかなくなってくる

匿名アカウントを運営していて、リアルの自分とある程度切り離してツイッターをやっていたとしても、長く続けていると「匿名アカウント」と「自分」の境界線が曖昧になってくる。

まるで匿名の世界の人格が自分自身であるかのように感じられてくるのだ。

企業公式アカウントの運用担当者も同じだろう。

自身の個性を出し、人気が出て、ツイッター上でたくさんの人から「面白い!」と褒められているうちに、だんだんと「企業アカウント」と「自分」を同一視してきてしまう。

次第に「アカウントの権威」を「自分自身の権威」と勘違いしてしまい、「企業アカウントの影響力」を「私個人の影響力」と思い込んでしまう。

そんな思い込みが、冒頭のフォロワー増加を誇るキングジムアカウントの迷走につながっているのではないか。

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企業アカウントはあくまで企業の顔である。
歴史と共に積み上げてきた会社のブランドの上で、担当者がツイッターを運用しているに過ぎない。

「中の人」の個性が企業アカウントを面白くしているのは間違いないが、「中の人」の自意識が前に出過ぎると、会社ごと嫌われてしまう可能性も否定できない。


影響力を持った担当者の勘違いを防ぐためには、

「ツイッターアカウントのために会社があるのではなく、会社のためにツイッターアカウントがあるんだ」

という安西先生の格言を忘れなければいい。

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