「修行をすれば必ず強くなれる」
という信仰を植え付けられたのは、小学生の頃に貪るように読んだドラゴンボールの影響が大きい。
ドラゴンボールの主人公である孫悟空は修行を欠かさない男であった。
第一巻でブルマと出会った頃から初期能力は相当高かった悟空だが、さらなる強さを求めて亀仙人に弟子入りする。
そこでクリリンと共に修行を始めたのが悟空の修行人生の始まりである。
修行して強くなって、天下一武道会などで修行の成果を発揮して、また修行して強敵を倒す...という「修行」と「戦闘」の繰り返しが悟空の人生だ。
我々の場合は圧倒されるような強敵が現れると恐れをなして逃げてしまいがちだが、悟空はいつもポジティブだった。
強い敵が現れるたびに
「オラ、ワクワクすっぞ」
と自分が負けることなど一切考えずに修行に励んだ。
ドラゴンボールを読んでいる僕たちもこう思っていたはずだ。
「どんな強い敵でも、悟空が修行したら最後は勝つ」
と。
ドラゴンボールの世界では、主人公の修行は必ず報われるのだ。
事実、悟空が修行すると圧倒的に成長して、最後には必ず敵よりも強くなることができた。
成長に応じて適切な師を見つけてきたことも悟空の成長を助けたに違いない。
亀仙人を超えた後はカリン様の元で修行し、カリン様を超えた後は神様に修行をつけてもらった。
その後も界王の元で修行したり、自らに重力を課して修行したり、あの世で修行したり、どこまでいっても修行続きだ。
悟空はニートだが意識が高く、自分の強さに満足することはない。
小学生の頃、日本中の子どもたちが悟空に憧れた。
そんな子供たちはもしかしたら悟空から大きな影響を受けてきたのではないだろうか?
「努力は必ず報われる」は「修行したら必ず敵を倒せる」と同じだ。
僕のものすごく雑な仮説では、日本人の「修行好き=努力信仰」は悟空の影響である。
もし悟空がONE PIECEの世界に現れたとしたら、「敵がどんな能力を持っているか」などは一切気にすることなく、
- 敵がゴムだったら修行して引きちぎる
- 敵が光のレーザービームを撃つならそれ以上の修行してかめはめ波で迎撃する
- 敵が地震を起こすなら修行して地球の震えを止める
というように、「とにかく修行して強くなって勝つ」という方向のバトルに持っていくに違いない。
他にも幽遊白書の幽助は幻海師範のもとで修行したし、ダイの大冒険ではアバン先生に修行をつけてもらっていた。
ジャンプの世界は修行に支配されていた。
一方でONE PIECEはその辺はドライだ。
覇気システムが導入される前は、ロロノア・ゾロがどんなに修行しても雷人間や光人間を斬ることはできなかったし、怒っても戦闘力の上昇には限りがある。
かつてのONE PIECEでは能力の壁を超えることはとても難しかった。
悪魔の実の能力は「キャラクターが生まれ持った能力」すなわち「才能」である。
”覇気以前“のONE PIECEの世界では、修行は才能を超えられなかったのである。
才能の世界、努力の世界
ONE PIECEでルフィが修行するシーンは二回ある。
一回目は幼少期にエースやサボと一緒に山の中で修行する場面。
二回目は海賊王の右腕・レイリーに覇気を教えてもらう場面だ。
それ以外は、ルフィは基本的に実践の中で成長してきた。
それもドラゴンボールのように右肩上がりに直線上に戦闘力が上がっていくのではなく、
- ギアセカンドを覚えたタイミング
- 覇気を覚えたタイミング
- ギアフォースを覚えたタイミング
のように、使える技に応じて段階的に強くなる仕様となっている。
ONE PIECEでは誰でも修行によって少しずつ強くなっていくわけではなく、閃きによって突然強くなり、また強くなったとしても超えられない才能の壁は常に存在しているのだ。
ONE PIECEの世界で戦闘力に占める要素は才能が「9」に対して努力の割合は「1」だ。
努力が「8」、才能が「2」のドラゴンボールとは大違いだろう。
こう言うと、「悟空はサイヤ人じゃないか」「ベジータがどんなに努力しても悟空は超えられなかったではないか」と言われるかもしれない。
しかしよく思い出してほしい。
もし悟空が全く修行せずに、幼少期の戦闘力のまま大人になったとしたら、その戦闘力は亀仙人と同程度、サイバイマンに瞬殺されたヤムチャにもコテンパンにされるレベルなのである。
悟空の戦闘力が100万を超えるレベルまで膨れ上がったのは、ひとえに彼の修行の賜物なのだ。
ドラゴンボールの世界ではあくまで極限まで努力した上での才能の勝負なのである。
天からのギフトをゴムのように伸ばせ
ONE PIECEは僕たちに大切なことをふたつ教えてくれる。
ひとつ目は、人間にはその人それぞれの才能があるということだ。
悪魔の実の能力はその人が天から与えられた「ギフト」なのだ。
その人ならではの才能を伸ばせばよい。
どんなに修行しても火はマグマに勝てないし、おそらくゴムは光を倒せない。
それでいいのだ。
ドラゴンボールは勝てなそうな奴が相手でも絶対に逃げない。
やられそうになっても最後まで闘う。
しかしONE PIECEはどうしても勝てないときは割と逃げる。
それでいいのだ。
一度逃げても最後に勝てばいい。
ONE PIECEにとっての「勝利」が目の前の敵を倒すことだけではないように、
人生における勝利の形も人それぞれのはずだ。
世の中には勉強が得意な人もいればそうでない人もいる。
会社勤めが得意な人もいればそうでない人もいる。
それでいいのだ。
最後に自分なりの勝利を掴めばいい。
もう一つONE PIECEが教えてくれるのは、実践の大切さだ。
ときにまとまった期間の修行が必要だが、人間は実践を経て強くなる。
勉強ばかりしていてもダメ。
本ばかり読んでいてもダメ。
やはり大事なのは実践だ。
極限の緊張感の中に身をさらけ出すことで人は大きく成長できる。
ルフィのように突然、未来が見えたかのように、未来が拓けるときがくるかもしれない。
僕たちの身体はゴムのように伸ばすことはできないけれど、自分が生まれ持った才能を伸ばすことはできる。
自分の才能の声に耳を澄まし、向き不向きを意識して、「人にやれ」と言われたことではなく、自分が向いているものを伸ばしていくのが人生というグランドラインを渡っていくのに重要な戦略なのだろう。
最後、とりあえずONE PIECEネタで締めようとして強引になった感は否めない。