楽しかった「3密」の思い出が多すぎる

2020年4月7日に緊急事態宣言が出て、それまでも控えていた外出をより一層自粛するようになった。

必然的に家で過ごす時間が増えた。

最初は「これは自己研鑽の良いチャンスだ!逆境を乗り越えてこそ人は強くなる」などとイキっていたが、どうも家で刺激のない生活を続けていても闘志が全く湧いてこない。

3日で抜け殻のようになってしまった。


ボーッとすることが多くなり、意味もないのにベランダから外を眺める時間が増えた。

外に人がいない。

特に夜の街には不気味なほど人がおらず、なにかの魔法で人間が蒸発したSFの世界に来たみたいだった。


自粛期間、スマホを眺める時間が増えた。

GooglePhotoが勝手にレコメンドしてくる昔の写真を見て、

「懐かしいな。あの頃は楽しかったな」

と過去を懐かしむことも多くなった。



たったの一ヶ月の自粛要請である。

無論緊急事態宣言が引き延ばされる可能性はあるが、それでもたった一ヶ月。

このたった一ヶ月がこんなにも長く感じられるのはなぜだろうか?


これまでも受験勉強だったり、資格試験の勉強だったりで、家や自習室に引きこもった経験はあるはずだ。

それも今よりもずっと長い期間引きこもっていたはずだ。

それなのに今回の新型コロナの自粛要請は長く感じてしまうのはなぜだろう。


目標に向けて自主的に引きこもるのと、強制された引きこもりの違いか。

いや、それだけではない。

強制的に自由を奪われている感覚に疲れている。

人を恐れ、すれ違う人間を避け、マスクをしていない人間を汚物のように見てしまうような、こんな殺伐とした世の中の空気が僕たちを消耗させている。


ソーシャル・ディスタンス。


これまで全然意識もしなかった「人と人との距離」が強いストレスになっている。

自分以外すべてがバイキンマンに見えて、自分もバイキンマンになるかもしれないこの世界では、とにかく人との距離を空けるしかない。


ソーシャルディスタンスは大切だ。

外出自粛に全力で協力するし、正直言うと、新型コロナにかかりたくない。

しかしながら、強制的に“絶(ゼツ)”を発動させる緊急事態宣言は国民に相当なストレスを与えているのは間違いないだろう。

比較的引きこもりに耐性があった僕でもけっこう辛いのだ。

みんなは大丈夫だろうか?

「緊急事態宣言」は国民に自粛を強制する安倍首相の念能力で、それによって発動するのは安倍首相のエンペラータイムだ。

f:id:hideyoshi1537:20200425234034j:plain
安倍首相のエンペラータイム


絶を強制されたエンペラータイム中に、昔の写真を眺めた。

クラブに行った時の写真だったり、銀座の300barに突撃した写真などが次々と出てきた。

ああ、なんて楽しかったんだろう。


クラブやバーなどは完全なる3密空間だ。

密室で、密集していて、密接している。


f:id:hideyoshi1537:20200425234828j:plain


人がゴミのようだったし、実際にあの空間には、

「お前はゴミか?それともゴミじゃないのか?」

と聞かれたら限りなくゴミに近い人間ばかりが集まっていた。

僕に至ってはゴミを通り越して腐臭を撒き散らしていたくらいだ。


僕は。

こんなゴミで溢れた3密空間が大好きだった。


「3密」に楽しい思い出が多すぎる。


大学時代、友達何人かで集まって、適当に目的地を決めてドライブするのが楽しかった。

運転席に1人、助手席に1人、後ろに3人。

完全に3密だ。危険すぎる。

でも楽しかった。

車の中で飛沫を飛ばして、大声で喋って。

歌を歌いながらドライブするのが好きだった。


体育館で大勢に囲まれて試合をするのが好きだった。
肩を組んで、円陣を組んで、試合に臨む瞬間が好きだった。

これも完全に「3密」だ。

f:id:hideyoshi1537:20200425235328j:plain
円陣は密です


密接した密室空間で合コンするのが楽しかった。

一次会の後、カラオケで歌いながら、いかにして女の子を二人きりの密室空間に連れ出そうかと企んでいた。

いつもだ。

そして毎回失敗してたけど、それでも楽しかった。

楽しかった思い出はどれも「3密」で、不要不急だった。


こんな不要不急の「3密」に、僕はどれだけ生かされてきたのだろう。

「3密」がなくても生きていけるけど、「3密」がない人生はつまらない。


致死率を普通のインフルエンザ並みに引き下げる治療薬が開発されるか、あるいは新型コロナに有効なワクチンが開発され、国民の60%以上が抗体を持つまでは、二度と取り戻せないであろう愛おしき3密空間。

あの汚くて、うるさくて、煩わしい空間がこんなにも大切なものだったなんて、僕は気付いてなかったんだ。

楽しかった思い出はいつも3密空間にあった。

広々とした空間で晴耕雨読の人生を送るのも良い。

でも人間が密集した、汚い3密空間もまた魅力的だった。

“密”は当たり前にそこにあると思ってて、こんな急になくなるなんて思ってなかったんだ。