デートに「勝ち負け」を持ち込むのは不謹慎かもしれません。
ですがここではあえて、「デートの目的を何に置くか」で勝ち負けを判断するものとします。
『ゴールから逆算したアポを設定する』という記事で、「アポに負けた」と書きました。
女遊びをしている輩の中では、アポ時に行為まで至らなかった場合、慣習的に「負け」と言うことが多いのですがこの表現は自分で書いておきながら少し違和感がありました。
女の子と遊びに出かけて、やれなかったら「負け」とか、「坊主」と言います。
坊主というのは釣りの用語で一匹も魚を釣れなかったときのことですね。
転じて、女遊びしてやれなかった日を坊主と呼ぶようになりました。
では「坊主」は本当に「負け」なんでしょうか。
僕たちは誰と闘って負けているのでしょうか?
「負け」という報告は多くの場合、コミュニティ内の身内の人や、ツイッターの遊びクラスタのメンバーに対して発信するものでしょう。
コミュニティの常識では、やることが「勝ち」で、やらなかったら「負け」とされているからです。
「アポに負けた!」
「坊主!」
の「負け」を規定しているのは、そのコミュニティ内での暗黙のルールです。
でも冷静に考えると、ここで一つの疑問が生まれます。
私は誰かに成果を報告するために女の子に声をかけているのか?
誰かに勝ちを評価してもらいたかったのか?
それはきっと違うなと。
私は勝ち負けの基準は自分が決めるべきだと考えています。
もちろん「やったら勝ち」という基準を設けてもいいでしょう。
自分がそう設定したのであれば。
しかしながら、やるだけが「勝ち」というのではなく、「初めて街に出たので、知らない人に一声かけることができたら勝ち」でも全然いいと思います。
大切なのは、勝ち負けの基準をなんとなく周りに合わせて決めるのではなく、自分で決めるということです。
バスケやサッカーの試合と違って、女遊びは競技ではありません。
自分が人生を楽しく、充実させるための趣味であり、出会った相手を幸せにするための紳士の嗜みでもあります。
なので、周りの「勝ち負け」の基準に従って、価値観まで影響を受ける必要はないのです。
勝ち負けを設定するとストイックになれるというメリットはありますが、趣味の範囲を超えてしまうデメリットも大きいのです。
私にとっての勝ち負けの基準は、「自分が決めた目標を達成できるかどうか」です。
「次の日は仕事があるから、終電で絶対帰る」と決めていたにも関わらず、自分の遊びたい欲求に負けて一晩中飲んで遊び歩いてしまったら、たとえホテルに行ったとしても、自分の中では「負け」です。
「キレイな子と連絡先を交換する」という目的で街に出て、その目的を達成できたならば、たとえホテルに行けなくても「勝ち」です。
「とにかく楽しければいい」という目的で街に出たならば、仲間と笑いあえたら勝ちです。
余談ながら、仲の良い友達とも「欲に溺れすぎず、自分を律することを忘れないようにしよう」と話しました。
というのも、夜遊びに溺れすぎると、自分が人生で成し遂げたい目標がどうしても疎かになってしまうからです。
自分はなぜ今の歳になって、わざわざ時間を取って夜街に出るのか。
なぜ時間を費やしてデートするのか。
あらかじめ言葉にして、自分の中で腹落ちさせておくことが大切です。
楽しく飲みたい。
彼女がほしい。
ホテルに行きたい。
目的は様々ですが、何が目的なのかは自分で決めましょう。
遊びまくっても何も残らなかった
自分の場合は、遊びにいく目的を「友達と楽しく飲みたい」と設定することが多いです。
個人的には、もはや経験人数を増やすことにはあまり興味がなく、どちらかというと自分を律したい、欲に負けず、むやみやたらに遊びすぎずにいたい、という気持ちの方が強いです。
この感情は過去の反省からきています。
自分は実は大学までは、けっこう遊んだりしてて、「とりあえずやっちゃうか、経験人数も増えるし」みたいなことがよくありました。
それで22歳くらいのときに、コツコツ書き溜めた日記手帳を見返して、経験した人の名前を書き出してみたんです。
70〜80人くらい箇条書きにして。
名前を覚えてない人は「XXで出会った○カップの子」みたいに書いてました。
ぞっとしました。
色んな子と色んな場所で出会い、色んなことをしてきたにもかかわらず。
振り返ると何も...
...何も残っていなかったんです。
あれ?俺は何やってきたんだろうって思いました。
携帯電話を変えるたびに連絡先が消えるような女の子と、何の感情もなく、その場限りで身体を交わらせ、その後は連絡せずにいて。。
数を積み重ねていって、「経験人数」という数字は増えていく一方で、記憶はだんだんと薄れていく。
思い出もなくなっていく。
手帳に残した「この子とやった事実」だけが残って、他には何もありませんでした。
それは自分にとっては幸せではなかったのです。
きっと、相手の記憶からも消えてたんじゃないかな、と思います。
ただむやみやたらにと経験人数を増やしてみても後で何も残らないということを、比較的若い時期に理解できたのはある意味ではよかったと思います。
あのときに自分の経験を振り返ってなかったら、僕は今でも、行きずりの関係を積み重ねることを求めていたかもしれません。
その価値観のまま東京での女遊びを覚えてしまったら、
そこで経験人数を増やすことのあまりの簡単さに、寝食忘れてハマってしまっていたかもしれません。
ナンパと仕事は別物
「ストナンがビジネスに役に立った」なんていう話もたまに聞きますが、多くの場合、それは自分の行動を正当化するための詭弁です。
サッカーうまくなりたい人はサッカーをやらなければいけないように、営業がうまくなりたいなら、ストナンなんてやらずに真面目に営業していた方がいいはずです。
ストナンは「あくまで余暇の時間で、自分の人生を充実させるためにやっているもの」と認める必要があります。
都合よく「遊びは仕事に役に立つ」などと考えてしまうと、仕事よりもナンパを頑張るのはキャリア形成のためになる、と勘違いしてしまいます。
ナンパはあくまで自分の欲求を満たすためのものであり、女遊びは遊びです。
ナンパ講師を本業にでもしない限り、ナンパは仕事ではありません。
例外的に、本当にナンパがビジネスに役に立つ稀有な例としては、外資系の保険会社があります。
プルデンシャル生命という外資系の会社に勤めている知り合いがいました。
彼の年収は2000万くらいあるんですが、その人はよくナンパで引っ掛けた女の子を接待要員として合コンに呼んでました。
経費で合コン費用を払い、そこに呼ばれた男の人も無料で素人女と楽しむことができる。
無料で合コンに呼ぶ代わりに、あとで生命保険の話をするんです。
それがきっかけで契約できたら、それが自分のお金になる。
合コンに呼ぶ相手をナンパして、男を引っ掛けて、営業を仕掛ける。
ナンパが顧客開拓になる例です。
ナンパを仕事に役立てることができるのは、こういう仕事をしている人です。
スカウトも直接収入につながりますね。
しかし、それ以外の普通の会社員の方がナンパにハマると、仕事に悪影響が出ることの方が多いでしょう。
睡眠不足、食生活の乱れ、仕事への集中力の悪影響など、例を挙げるとキリがないですが、夜遊びすると仕事のパフォーマンスは落ちます。
人生のパフォーマンスは、1日24時間という時間のポートフォリオをどう配分するかで決まります。
適度に息抜きするなら全然いいと思いますが、自分の時間は限られています。
優先順位をつけて、遊びと仕事には明確な線引きが必要です。
この記事は決して、女遊びを否定する意味はありません。
しかしながらナンパは魔術的に中毒性のあるゲームです。
強い意志と目的意識を持たないと、あっという間にゲームに飲み込まれてしまいます。
“競技”として女遊びをして身内と競争しているうちに、いつの間にかゲームに参加することが目的になってしまう。
ゲームに勝つには、ゲームを去ること。
これは世界一のナンパアーティストの言葉です。
この中毒性のあるゲームから気持ちよく降りるにはどうしたらいいでしょうか。
人生を「死ぬまでのゲーム」とすると、最期に、
「勝った」
「最高のゲームだった」
と思うにはどうしたらいいでしょうか。
そんなことを自問しながら、いま一度、自分の時間のポートフォリオを見直してみようと思っています。