俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

一度も浮気せずに誠実に付き合った子には無様に振られ、浮気してフラフラしながら付き合った子には大切にされた。


東京に出てきて初めて付き合った子は、ビックリするくらい育ちのいい社長令嬢だった。

社会に出て間もない俺は、彼女から聞かされる「パパの武勇伝」にいちいち感心し、彼女の意識の高さを褒め称えた。


「すごいね!」

「XXの考え方、すごく尊敬してる。俺も頑張る」

「お父さんは本当にすごいんだね」


彼女と付き合っているときは、たった一度も浮気しなかった。


他の女の子と会うこともなく、大切にしてきたつもりだ。


が、3ヶ月で振られた。



その何年か後に、人生で一番キレイだと思える子と付き合うことができた。


「この子と付き合えるなら、寿命が5年縮んでも構わない」


付き合う前に何度もそう思い、気まぐれな彼女の気持ちがいつか自分に向くようにと神に祈った。


一回一回のメールに何行もの想いを込め、誠実に、溢れんばかりの愛情でメールを送った。


そして、運良く付き合うことができた。


隣を歩いていると、目に映る景色が明るく見えた。

この世のどんな理不尽な仕打ちも許せる気がした。

会社で辛いことがあっても、彼女のことを思い出せばいつだって元気になれた。


付き合った後も、彼女のワガママにことごとく付き合い、尽くし続けた。



そして3ヶ月後に浮気され、惨めに振られた。



なぜこんなに大切にしているのに振られるのか、当時は意味がわからなかった。


恋愛の教科書には、誠実さと優しさが大事だと書いてあったはずだ。

あのときの俺は、その教科書が嘘だらけの落書きだってことに気付いてなかったんだ。



その何年か後に、上戸彩に似ている女の子に恋をした。

二人で3万円以上する店に何度も連れて行き、誠実さを尽くした。



今振り返ると、初めは脈があったと思う。

こういう言い方はすごく非モテっぽいけれど。


家にも来たし、終電がなくなるまで一緒にいた。


終電がない夜中に、部屋で二人きり。


サッカーに例えるとゴール前にボールが転がってきたような、蹴ればゴールになるような、そんなシチュエーションだったにも関わらず、


大切にしたいから


という理由で、何もせず、指一本触れることなく、帰りのタクシー代を渡して見送った。


出会ってから半年後、4回目のデートの後に告白し、その日に口づけした。


そのとき、


「私、昔病気を移されたことがあるから、不安なの」


と、彼女は言っていたので、その日は何もせず、俺は次の日にわざわざ泌尿器科に行って、検査をしてきた。

陰性であることの証明である検査表を写真に撮り、LINEで送った。


彼女の反応は冷たかった。


そして、LINEをブロックされた。


意味がわからなかった。


彼女のために、病院にまで行ったのに。なぜ。

俺は人生を呪った。


なぜ俺は、本当に好きな子とうまくいかないんだろう。

なんでこんなに大切にしているのに。

なんで、明らかに俺よりスペックが劣るモテなそうな奴に、あんなにも大切にしていた女の子たちが取られてしまうんだろう。


悩み抜いた末、辿り着いた結論は、誠実さを捨てることだった。


この時期に「金融日記」と呼ばれるメルマガをたまたま目にして、そこで「非モテコミット」の概念を知った。


非モテコミットとは、「俺には君しかいないんだ!」と一人の女に執着するあまり、キモい振る舞いをしてしまう異常な状態のことである。


それまでの全ての謎がつながった気がした。


俺の中のジョブズが叫んだ。


"Connecting the dots."


点と点がつながって、線になった。


ツイッターやコラムで

「女は優しい男が好き」

とか、

「女は大事にしてくれる人を選ぶ」

とか色々と書いているけど、それを鵜呑みにしたら搾取されるだけで報われないことに気付いた。


逆説的だが、大好きな子を手に入れるために最も大切なことは、


「この子は別に『最も大切な子』なんかじゃない」


と自覚することだったのである。


目の前にいる女は、決してオンリーワンの女ではない。

他にもいい女は溢れている。

そのうちの一人を、選んでいるに過ぎない。


そう思うことで、心に余裕ができた。

それはすごく哀しいことなのかもしれないけれど。


キレイな女の子とデートするときは、その美しさに呑まれないように、まずはその子の悪いところだけを探した。


性格の悪い姑のように、あらを探した。


どんな子にも、必ず一つは悪いところがあった。

悪いところが見つからない女は、「頭が悪い」と思うことにした。

すると、どんな子もリラックスしてイジれるようになり、リラックスしてイジると、あの非モテコミットしていた頃みたいに、ゴミのように扱われることがなくなった。


LINEのやり取りでも同じである。


誠実に振る舞って、「頑張ってデートにお誘いする」ようなLINEを送ってもスルーされることが多いが、

適当にディスって軽くいじるようなメールを送ったり、適当に笑わせるメールを送るとすこぶる反応がいい。



下から見上げて女に媚びるとまるで相手にされないが、

傲慢で横柄で、でも相手の怒るポイントだけは巧妙に避けるようなLINEをすると、反応が断然良くなったのだ。


「なんでそんなに上から目線なの〜。笑

でもXXさん、ちょいちょい優しいとこあるよね」


そんなLINEが来る。


......全然そんなことないよ。

本当はもっと良い人になれるのに、お前が勝手に優しいところを探してくれてるだけなんだ......。


自分の「良いところ」は、自分でわざわざアピールしなくても、女が勝手に探してくれる。


でも俺は。


本当は、そんな上から目線で接したいわけじゃないんだ。

本当は、可愛い子には可愛いと褒めて、「一緒にご飯に行きたい」という気持ちを素直に伝えたいんだ。

俺はただ、お前たちが望むように振舞っているだけなんだ。


愛する彼女ができて、その子のことだけを考える日々は幸せだった。

でもその幸せは長くは続かず、辛い時期の方がよっぽど多かった。


だんだんと彼女はワガママになり、浮気するようになり、最後はゴミのように扱われるようになった。


逆に毎回浮気して、バレてもすっとぼけて接した彼女には決して振られることはなかった。


「また浮気したでしょ!」


と言われるたびにギョッとして驚いていたが、どんなに浮気してもそれが原因で別れることはなかった。


ここで改めて気付いた気付いたことがある。


大切な人と長く付き合っていくために大切なことは、「浮気しまくる」ことではない。


「失ってもいい」という覚悟と、勇気を持つことだ。


そして、「仮に失ったとしても、俺なら次はもっといい女を捕まえることができる」という自信を持つことだ。


それが堂々とした態度につながるのだ。


大切な女(ひと)を失う時、俺はいつも彼女のワガママを許していた。

そのワガママは、いつもエスカレートしていった。

エスカレートするド素人と言ってもいい。昔のAVのタイトルだ。


ひどいときは彼女の家に泊まりに行って、床で寝かされた。


LINEを無視されたときに、彼女のツイッターを見てみたら、


「XXくんと遊んでる〜」


と、他の男と一緒にいるようなツイートをされていたこともある。



堂々とするべきだったのである。



そういう態度を取る奴は俺にはふさわしくない。


そんなんだったらお前はもういらない。


いつでも

「もういらない」

って言える準備をしておくべきだったんだ。


それができなかったのは、「この子しかいない」と思い込んでいたからだ。


本当に、本当に大切に思っていたから。


誰かを好きになりそうなときや、大好きな彼女ができたときこそ、もっといい女を並行で狙うべきだったのである。


そんな風に心がけると、ボロ雑巾のように振り回されて苦しくなるようなこともなくなった。


彼女にひどい扱いを受けることもなくなった。


俺は女の扱い方を学び、夜遊びに成功する確率も格段にあがった。


もちろん失敗することもあるが、失敗しても気にせずすぐに次の女の子を探していたし、すぐに次の女の子が見つかった。


失敗は全く気にならなくなった。


可愛いと思える子にも、普通に愛されるようになった。


でもその代償に、人を本気で愛する気持ちを失ってしまった。


女を口説く俺は、感情のない機械のようだ。



だってそうだろう?



せっかく出会えた相手の悪いところばかり探して、深い感情を持たないように努力して、本心とは違う振る舞いをして、部屋に誘う。

女をベルトコンベアに乗せてベッドに運ぶ機械みたいだ。


全ての恋愛が代替可能で、リセットボタンを押されてもまた新しいゲームが始まるだけ。


恋愛感情というのは、一種の思い込みだ。


相手のことで頭がいっぱいになって、ただひたすらにその人のことを考えている状態を、恋という。


最近は常に複数の対象に恋愛感情が分散されてしまうため、一人の子で頭がいっぱいになることはなくなった。


不幸になることも少なくなったが、幸福感も分散された。


俺は本当に幸せに向かっているんだろうか?


Facebookを見ると、幸せそうなデートの写真をアップしている友達がいた。


彼の顔は一点の曇りもない幸せに満ちていた。


俺のFacebookは、もうしばらく更新されていない。

投稿に女の影が映ることもない。


この道を歩き続けていれば、いつか俺も曇りのない笑顔で彼女とFacebookの写真をUPできる日が来るのだろうか。


いや、どうも一生来ないような気がしてならない。