女子向けの恋愛論は「自分の見た目レベル」と「相手の魅力レベル」を考慮しないと意味がない



少し前に隠遁先生のツイートが話題になっていた。


「見た目を改善したら、周りにいる男のレベルが変わった」


という話だ。

僕は隠遁先生のこのツイートはとても誠実だと感じた。



みんなも知っているように、女子向けの恋愛論では


「サイゼリヤに連れて行く男はゴミ!」

「鳥貴族をデートに選ぶ男はカス!」


みたいな話がよく出てくる。


でも、そういう恋愛コラムでは女性自身の「見た目」についてはあまり考慮されていない。


隠遁先生がツイートしたように、


「見た目が変わると周りの相手も変わる」


という視点はとても大切だと思う。


というのも多くの男は、(デートに関しては)相手の見た目や中身によって、態度や予算が全然変わってくるからだ。

こういう不都合な真実から目をそらしてしまうと、現実が見えなくなってしまう。


「自分の魅力」と「相手の魅力」を天秤にかけて、相手が明らかに強い場合にルールズ的な女子の恋愛戦略を展開してもうまくいかないことが多い。


逆に男が非モテの場合は、どんな恋愛テクニックも軽々と決まり、恋の無双状態になるだろう。


余談だけど、個人的な印象では、大人になってからモテ始めた女の人の方が恋愛論を語る傾向が強いと思っている。

というのも、生まれながらにモテてきて、歩くだけで男が寄ってくるような女の人は、


「自分がなぜモテるのか」


なんて全然考えてないからだ。


あるがままに生きてきて、思うがままに振る舞って、モテている。


......ように見える。少なくとも僕には。影で努力してるとは思うけど。


そういう美人は「綺麗になる秘訣」は知っていても、「自分の恋愛論」なんてきっと持ってないし、美人が恋愛論を語ったところで再現性がない。


とにかく恋愛には、「自分の魅力」と「相手の魅力」のせめぎ合い的な部分が多分にある。


そこを無視して表面的なテクニックをなぞってみても、結局は自分自身を不幸にしてしまう可能性の方が高いのだ。


恋なんて「魅力」と「魅力」のシーソーゲーム


Mr.Childrenの桜井さんはかつて、


「恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム」


と歌った。


僕は今その名曲に、一つだけ歌詞を付け加えたい。


恋なんて、いわば魅力と魅力のシーソーゲームだと。



男女の恋愛を語る場合は、自分自身の魅力と、相手の魅力レベルを考慮しないと意味がない。


たとえば、見た目があまりよろしくない女性に、


「鳥貴族に連れて行く男なんてゴミっすわ!会う価値ねえっすわ!」


などと言われても、男的には


「お、おう...。了解っす!さようなら」


と言うしかないだろう。


見た目のよろしくない方が尖っていても、周りから人がいなくなるだけで良いことは一つもない。


鳥貴族に逆風が吹く中、逆に


「鳥貴族でも一緒に行けたら幸せだよ」


とか言ってもらえると、


「なんて心の綺麗な女性(ひと)だ...!結婚したい...!」


となるかもしれないし、そういう人からは見た目では測れない人間的な魅力を感じるかもしれない。


ここで言いたいのは、「鳥貴族を受け入れろ」ということでは全くない。


鳥貴族を屈辱に思うのは全くもって自由だ。


でもやっぱり、巷の恋愛論をそのまま受け入れる前に、まずは自分の魅力レベルと相手の魅力レベルを冷静に考えた方がいいと思うのだ。


もし女性側が綺麗で聡明な方だったら無敵だ。


男が鳥貴族の「と」とでも言葉を発しようものなら、抹殺しても何の問題ない。


多くの男はあなたのために尽くし、一生懸命素敵なレストランを探し、素敵な夜を過ごそうと頑張ってくれるだろう。


美女だったり、あるいはスペックが高い...

...とは言えない、「普通の人」だったらどうだろう?


そのときは相手の男の魅力レベルを考えてみるといい。

ここで言う「相手」は「デート相手」という意味である。


相手の男が全然モテないキモい人で、それなのに偉そうに鳥貴族に連れて行こうとしていた場合は、1秒でLINEをブロックしてもいいだろう。

まぁ、非モテの人はそんなことはしないと思うが、「非モテ × 鳥貴族」はちょっとやばい。

「HUNTER × HUNTER」の連載が来週突然再開されて、暗黒大陸編がノンストップで完結するくらいやばい。


ちょっと迷ってしまうのは、女性側がいわゆる「普通の人」で、相手の男が「チャラいけど格上っぽいオーラがある」場合だろう。

もちろん、魅力的な人はそもそも鳥貴族になど連れて行かないかもしれないが、


「できれば安くて美味しいところで済ませたい」


と考える男がけっこういるのも事実である。

特にチャラい男は毎晩毎晩遊んでるもんだから、だいたい金がない。


相手の女子のレベルによって店を変えるのは十分にありえる。


そんなときに、女の子側が


「くっそう!鳥貴族に誘いやがって!くそがァ!」


とブチギレて男を切るのか、あえて鳥貴族でも幸せそうにして、虎視眈々と横にいて、最終的に彼女の座、ひいては「結婚」を射止める方向を目指すか、ということを、よく立ち止まって考えてみてほしいのだ。


まぁ、「最初のデートで鳥貴族に連れて行く男」の彼女になる確率はとても低いんだけどさ。


3回目、4回目と会うときに鳥貴族に行くのは十分ありえるし、親しくなってから二人で飲みに行って、


「ビール飲みたいから鳥貴族寄ってく?」


と聞いて突然不機嫌になる女がいたら正直ちょっと怖いだろう。


そんなプライドはいらないし、そういうところでツイッターとかネットの恋愛コラムに影響を受ける必要は全く無いと思うんだ。


恋愛に自信は大切だが、プライドはいらない。



魅力って何?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま


ところで「魅力」ほど曖昧な言葉も無いだろう。

何に魅力を感じるかは人によって違うし、その定義自体がぼんやりとしている。


「魅力」を大きく分けると3つの要素がある。

  • 見た目
  • 中身
  • 雰囲気


「見た目」はそのまま外見のことで、「中身」は性格とかスペックとか頭の良さとか、そういうところ。

「雰囲気」は自信や立ち振舞いから作られる。

で、この3つの要素のうち、どの部分を重視するかが人によって違うし、同じ人でもシチュエーションによって変わってくる。


結婚相手を探したい場合は「見た目」よりも「中身」を大切にする人が多くなる可能性が高いし、一晩の相手を求めるなら「見た目」100%だ。


で、この魅力のシーソーゲームというか、魅力のパワーバランスによって、どう振る舞っていくかは柔軟に変えていくのもいいんじゃないだろうか?


特に巷のルールズ的な恋愛理論は「対非モテのウェポン」としては絶大な効果を発揮するが、

女に慣れている男の人、もうちょっと突っ込んで言うと、


「他にいくらでも選択肢がある男の人」


に、上から目線の恋愛テクニックを使っても効果は薄いどころか


「そっすか。じゃあ、別の子行きますわ」


となってしまう可能性が高いと思うのだ。


さらに残念なことに、僕が知る限りでは、女の子の多くは、


「自分の言うことをなんでも聞いてくれる非モテ」


と一緒にいるよりも、


「危なっかしいけどドキドキして、自分のことだけを好きでいてくれるかちょっと不安だけど、一緒にいるとトキメキが止まらない人」


を追いかけてるときの方がもう明らかに幸せそうで、

やっぱりそういう強敵に安易な恋愛テクニックを使ってもあまり効果はないと思うんだよなぁ。


北斗の拳でケンシロウはラオウのことを「強敵」と書いて「とも」と呼んだけど、恋愛では「強敵」と書いて「スキピ」と読むみたいな。

この一文、めっちゃキモいな。


とにかく、


「汝を愛する非モテを愛せ」


が実践できればみんなが幸せになれる気もするけど、そうじゃないから色々と大変なんだよな。わかる。