僕が初めてドラクエ5をやったのは、たしか小学2年生のときだったか。
「主人公が勇者」という定番設定とは違って、ドラクエ5の主人公は勇者ではない。
主人公の少年時代からストーリーが始まり、成長し、結婚を経て、生まれた子供が勇者になるのだ。
勇者が初めて登場するのは物語が中盤に差し掛かった頃である。
当時小学生だった僕でさえ、この神設定に痺れた。
まさか自分の息子が勇者になるとは...
と感激した。
そんなドラクエ5で、最も”男”が試される局面は
「嫁選び」
のイベントだろう。
バチェラーよろしく、物語の中盤で
- ビアンカと結婚するか
- フローラと結婚するか
を主人公が選ぶ場面があるのだ。
ニンテンドーDS版では「デボラ」という新キャラもいて、3人から選ぶことになるらしい。
この結婚問題ほど当時の少年達を悩ませたものはなかっただろう。
現実と違ってゲームの結婚はリセットできない。
一度結婚すると、ゲームをクリアしても二度と別れることはできないのだ。
ビアンカ・フローラ問題
小学生時代の僕はちょうど、ドラクエ5の主人公の少年時代と同じくらいの年齢だった。
小さい頃を一緒に過ごした幼馴染と運命の再会を果たし、熱く燃えるような恋に落ち、結婚するのかなあ...なんて、呑気に考えていた。
現実はそんなに甘くない。
連絡を取れる幼馴染などいないし、そもそも名前を覚えている子だって少ないのだ。
人生はゲームとは違う。
さて、そんな幼馴染との運命を信じていた僕は、迷うことなく「ビアンカ」を選んだ。
ビアンカは主人公の幼馴染。
フローラは大富豪の一人娘という設定である。
ちなみにドラクエのwikiに掲載されているアンケート結果によると、当時のプレイヤーは
- ビアンカを選んだ人・・・81.8%
- フローラを選んだ人・・・18.4%
となっていたそうだ。
王道を行くならやはり、ビアンカなのだろう。
実用性で考えると、最後に「イオナズン」という強力な呪文を覚えるフローラの方が使えそうな気はするのだが、結婚とは実用性では測れないものなのかもしれない。
離婚経験者であるあべしさんが趣深いツイートをされていた。
ドラクエ5、嫁選択まで来たが速攻でビアンカを選んだ。
— あべし〜追悼ドンファン (@r3v_4) 2018年8月14日
離婚経験者ならわかるだろう。
フローラから放たれる地雷臭、きっと馬車の中で寝ながらトラマナだけ打つ専業主婦希望に違いない。ビアンカのようにパーティー参加して金稼ぐ妻が希望だ。
僕の天空の花嫁は共働きだ。
フローラを避ける理由は「地雷臭」にあるという。
金持ちの家に生まれ、何不自由なく暮らしてきたフローラを鋭い嗅覚で「地雷」と判断し、切って捨てる判断力はさすがの一言である。
トラマナならぬトラウマを思い出したのだろうか。
「馬車の中で荷物となる嫁ではなく、パーティーに参加して金を稼ぐ妻が良い」
という言葉も深い。
人生のパートナーには共に闘ってくれる人を選びたいものだ。
しかし、彼は結婚した後で現実を思い知ることになる。
ドラクエ5
— あべし〜追悼ドンファン (@r3v_4) 2018年8月14日
僕のビアンカは天空の花嫁ならぬ地獄の糞嫁だった。
こいつ回復魔法使えない。攻略サイト見たら今後覚える気もないようだ。
速攻こいつを馬車送りにしピエール(メス)を格上げ。こんなゴミと結婚するならスライムナイトと結婚するわ。家族の馴れ合い経営は良くない。
天空の花嫁は実は、地獄の糞嫁だったという。
スライムナイトのピエール以下の働きしかしない無能なことが判明し、絶望に暮れる様子が伺える。
現実も同じだろう。
結婚したらこんなはずではなかった...と嘆く男女の話はどこからでも聞こえてくる。
天空の花嫁、最高の花婿だと思って結婚した相手が実は糞だったとしても、リセットボタンはなかなか押せない。
そうして人は心の中で叫ぶのだ。
スライムナイトと結婚したほうがマシだった───
と。
ドラクエ5にリセットはあるが離婚はない。
— あべし〜追悼ドンファン (@r3v_4) 2018年8月14日
モンスター爺さんにビアンカを預けようとするが断わられたので馬車の中で塩漬け決定、希少な馬車空間を奪われる。トラマナを唱えるだけのために存在するビアンカをみるとリビングを陣取る元妻を思い出す。あまりにも現実に即したゲーム仕様だ。
モンスター爺さんとは、仲間にしたモンスターを預かってくれる人である。
パーティーに加えるモンスターを選んで連れて行くことができる。
しかし人間は一度結婚してしまうと、モンスターのように預けることができない。
馬車の中で培養するしかないのだ。
あべしさんは馬車を陣取るビアンカの様子を見て、リビングを陣取る元妻を思い出したという。
おそらくリビングに居座る元妻を誰かに預けることもできず、苦しい想いをしてきたのではないだろうか。
大切なのは愛だけではない。
ゲームだからこそ「実用性」を考えて、「ピエール以下」と判断された。
今思いだすと小学生時代の僕も、ビアンカは馬車で塩漬けにしていた記憶がある。
「お母さん」が馬車で子供(勇者)を応援しているようなイメージでゲームを進めていた。
大人になってからドラクエをやると「應援してくれるお母さん」ではなく「荷物となった嫁がウザい」という視点に変わってくるのだろうか。
受験時代に読んだ国語の参考書に
「名作は子供の頃に読んで、大人になって読み返すとまた違った味わいがある」
と書いてあった。
不朽の名作ドラクエ5も同じなのだろう。
大人になってからやり直すと、また違った味わいがあるのかもしれない。
ちなみにあの頃の僕たちは「ファイナルファンタジー7」でティファを選ぶか、エアリスを選ぶかの選択を迫られた。
その頃を振り返った記事が以下なので、ついでに見ていってほしい。