メンヘラな彼女よりも精神が安定している人を選んだほうがいいのは当たり前



「令和の奇術師」というハンターハンターのヒソカみたいな名前のアカウントの方のツイートが拡散されていた。

「友情も恋愛も、精神が安定している人を選んだほうがいい」

というものだ。
精神が安定しているかの判断ポイントを

  • 謎にしゃべり続けないか
  • ネガティブすぎないか
  • 音信不通にならないか
  • 感情に波がないか

としている。

僕はこの主張が間違っているとは思わない。
安定感は大切だ。

こんなヒソカのツイートに対し、今度はメンタルドクターSidowさんという、ドラクエのボスみたいな名前の人が反論していた。

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今の時代は何が起きて精神が不安定になるか誰にもわからない。
不安定なときに支えてあげるのが大切な関係だ、という。

これも正しい。
言ってることは正しいが、どこかずれているように感じる。

ヒソカはそもそも、元々精神が安定している人が、「何かがきっかけで情緒不安定になるパターン」を想定していない。
精神の不安定さはその人の性質であり、環境の変化があっても安定している人は基本的に安定している、という立場なのだろう。

それに対しシドーは「人間いつ何がきっかけで精神崩壊するかわからないんだから、そんなドライなこと言うなよ」と主張しているのだ。
その後で「なぜ自分が憤ったか」を説明している。

「精神が安定している人を選んだほうがいい」は差別だという。
差別なのであれば僕も強くは主張しないが、「精神が安定した人のほうがいい」のは当たり前ではないだろうか?

「安定している人を選んだほうがいい」とは思ってもいいが言ってはいけないらしい。

なのでツイッターで言わず、こっそりブログで経験を語りたい。

差別にならないようにブログ読者の方だけに密やかにお伝えしたいのだけれど、長期的な関係を持つのであれば、相手の精神は安定していた方がいい。

これは100%間違いない。

僕は社会人二年目のとき、もう天女かと思うくらい綺麗な子(※圧倒的主観)と奇跡的に付き合うことができたのだが、残念ながら彼女はメンヘラだった。

とにかく精神が不安定なのだ。

突然泣き出したり、プレゼントした指輪を突然捨てようとしたり、デートの途中で突然キレたり、何がなんだかわからなかった。

そんな不安定な彼女でも全てを許せたのは、彼女が美しかったからだ。

あまりにも美しくて、目の中に入れても痛くないと思った。
外を歩くと羽根が生えているように見えたし、彼女が笑うと世界が幸せになった。

メンヘラな面を含め、彼女の全てを愛そうと思った。

でも正直言うと、本当にしんどかった。

当たり前だ。

女心は秋の空とも言うが、彼女の心は秋空どころではなく、魔王のようだった。
天使のような顔で悪魔のような振る舞いを日々繰り返す彼女を見て、どうか今日は穏やかでいてくれますようにと願った。

しかし人間は短期的には不安定さにも耐えられるものだが、長期的には難しいようだ。

精神が不安定な相手を“選ぶ”のは消耗するのだ。
全てを許せたのは彼女があまりにも美しかったからだが、彼女から美しさが失われたとき、僕は同じように彼女を愛することができただろうか?

正直、自信がない。

だからもし、自分に選択肢があるのであれば、恋人と長期的な関係を築くのであれば、精神が安定している人がいい。
これは「安定していた方がベター」という話であって、絶対に精神が安定していなければならないわけではない。

メンヘラはたしかにキツいが、愛があれば乗り越えられる程度のキツさだ。
それでも同じ条件なら精神が安定している人を選んだほうがいい。


シドーはドラクエのボスのような名前なのに優しい人だ。
世界を滅ぼすのではなく、世界を救う勇者みたいだ。名前はボスなのに。

でもこれは甘すぎる。現実が全然見えていない。

「自分で選んだ相手なら手助けしてあげようよ」

なんて、恋愛に全く通用しないのは誰もがわかっていることだろう?

自分で選んだ相手と付き合うのも自由だし、自分が選んだ相手と離れるのも自由なのだ。

愛がない相手に手助けはできない。

僕自身、

「付き合ってみたら性格が合わないと思った」

と言われて振られたことが何度もある。
精神は安定していたにも関わらず、何度もだ。

いや、どちらかというとポジティブな方に不安定だったかもしれない。
彼女のことを想うあまり寝れなくなったし、メールが来ただけで気絶しそうになった。


我々は「精神の不安定さ」も性格の一つとして見られる。
「優しい」「責任感が強い」「向上心が強い」と同じように、「精神が不安定」というのもその人の性格だ。

「性格が合わない」が理由で別れるカップルは星の数ほどいるのに、なぜ「精神が不安定」だけ許されると思っているのだろうか?

道徳の国に住む人はすぐ綺麗事を言いたがるし、道徳の国が大好きな人は美談を支持したがるが、人は他人にそんなに優しくない。

恋人になったって、性格が合わないと判断されたら振られるし、気まぐれにドタキャンしたり、突然怒ったりして他人に迷惑をかける人からは友達も離れていくだろう。

人間関係はボランティアではないのだ。

「あ、やばい人だ」と思ったら人間関係は希薄になっていくものだろう。
それでいいし、そうじゃないと人間関係が罰ゲームになってしまう。

「友達だろ?合わない人でもずっと支えようよ」などと言う人がいたら頭がおかしいだろう。
精神が不安定な人と合わないのであれば、関係は続けられない。
精神が不安定な人が好きであれば、関係を続けるのがいい。

一般的に精神が不安定な人は他人に対して自分勝手になるので、人間関係を維持しづらいが、それを補うくらいの別の魅力があるなら問題ない。

でも「ただ精神が不安定なだけの人」を支えてくれるのは親くらいだろう。
不安定さはできるだけ隠したほうがいいし、安定するよう努めた方がいい。
他人に迷惑をかけないためにだ。

そして精神が不安定かどうかは短期間ではわからないかもしれないが、少し時間が経って慣れてきたときに見せる顔がその人の本来の性格なのだろう。

その相性が良くなければ、どうせ長期的な関係にはならない。
人間関係は永遠には続かない。出会った人のごく一部の人しか残らないのだ。

何のメリットもなく他人の不安定さをわざわざ手助けする人はいない。
僕たちは道徳の世界に生きてはいないのだから。


最後に、あくまでシドーは「無意識の差別を発信するなよ」と言いたかったようだ。


「顔が悪い人は恋人に選ばないほうがいい」
「貧乏人とは距離を置いたほうがいい」
「精神が安定している人を選んだほうがいい」

これら3つを並列に語っているようだが、シドーの捉え方はややずれている。
並列にするなら、

「恋人に選ぶなら顔が良い人のほうがいい」
「お金持ちと積極的に関係を築いた方がいい」
「精神が安定している人を選んだほうがいい」

だろう。
これ、何か間違っているだろうか?

元ツイのヒソカは「精神が不安定な人とは距離を置いた方がいい」とは言っていない。
「精神が安定していた方がいい」と言っているのだ。

何も間違っていない。

「精神が不安定は人は排除せよ」とも言っていない。
精神が安定している人と人間関係を築いていくのがいい、というのは別におかしなことではないだろう。
差別ではなく、「優しくて嘘をつかない人と友だちになりなさい」と言うのとあまり変わらない。

シドーのようにネガティブな考え方をするならば、たとえば小学校の先生が

「意地悪する人とは友だちになってはいけません」

と言ったら、「クラスにいる意地悪な生徒」は差別されているのだろうか?

その生徒は元々生まれ持った遺伝的な性質として意地悪かもしれないのだ。
しかし、これは差別とは判断されづらいだろう。

「精神が不安定=意地悪」だと言いたいわけではない。人間関係は選好の問題だということだ。

そもそも教壇に立つ学校の先生がそういうことを言っていいのか悪いのか、の問題はあるかもしれないが、ヒソカは我々の教師ではない。

友人や恋人を選ぶときの指針を好きに語るのは悪いことではない。


まとめに入る。

恋人や友人は精神が安定している人を選んだほうがいい。
精神が不安定でも、それを補うくらいの魅力があれば何の問題もない。

突然音信不通になって約束をドタキャンしたり、感情に波がありすぎて突然キレる人とずっと一緒にいると疲弊する。
その人と一度友だちになったからといって、ずっと支える必要はないし、そんな義務はない。

「精神が不安定」という欠点があっても一緒にいたいならいればいい。
しかし精神が不安定な人は自分勝手と判断されやすく、自分勝手な人は友人から距離を置かれやすいので、自分自身は精神が安定するように努めるべきである。

「そんなことを言われても私は精神が不安定になってしまう」という人は、「それでも一緒にいてくれる」人を探せばいい。
全ての人に自分を支えてくれるよう願うのは無理だが、自分を愛してくれる人は必ずいる。

そういう人をお互いに選べばいいのだ。