はあちゅうさんの『仮想人生』を読んだ感想

ツイッターで裏アカウントを作る人々の生態を描く『仮想人生』は、ツイッターの世界を第一線でずっと見てきたはあちゅうさんにしか書けない小説だと思う。

はあちゅうさんは小説を執筆するにあたって、自身も裏アカウントを作り、ナンパ師の世界を観察し、裏アカウントの人々に触れ合ってきた。

時に「はあちゅう」であることを隠してナンパ師と出会ってみたり、取材を申し込んだりして、中の人達の価値観を探り続けてきたのだと思う。

はあちゅうさんが描くナンパ師の世界はまさにツイッター上で展開されている世界そのものだったし、隠語の意味もよく調べられていた。

というか、女の子の自宅に行く「ヨネスケ」の由来が昔放送していたテレビ番組の、一般の家庭でいきなり晩ご飯に交じるというコーナーでリポーターを務めていたタレントの名前であることは僕も知らなかった。

相当深いところまで潜って取材したのではないだろうか。


小説のテーマは「ツイッター上に仮想の人生を作る人々」だが、その「仮想人生」の一つに「ナンパ界隈」が取り上げられるのは斬新で、はあちゅうさんの行動力がなければ踏み込むことのできない領域だろう。


『仮想人生』で取り上げられているのはナンパ界隈だけではない。

いわゆる「オフパコ界隈」のような、インターネットの知らない人と出会って身体の関係を持つ女や、「パクツイ」でフォロワーを増やしたアルファアカウントの様子も描かれている。

ツイッター上に仮想の人生を作る人々にもリアルの生活があり、それぞれの人が葛藤を抱えながら生きているのだということが、小説を読めばよくわかる。

ツイッター上で見える姿だけが真実ではないのだ。

『仮想人生』ではツイッター上の仮想の世界とリアルの世界の間で揺れる人間模様を描こうとしていたのではなかろうか。


携帯小説を再評価しよう

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。
広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。
それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした───


───という書き出しで始まるのは、村上春樹の『スプートニクの恋人』だ。

一度読んだら忘れられないような、僕が読んできた小説の中でも最も印象的な書き出しだった。

このような気取った表現を使う従来の小説に比べ、はあちゅうさんの表現はわかりやすく、シンプルである。


『仮想人生』を読みながら思い出したのは、10年くらい前に大流行した『Deep Love』という携帯小説だった。

2002年に出版されて、瞬く間に270万部売れたモンスター小説である。

時代が進み、いつの間にか携帯小説風の「過激でわかりやすいテーマ」を描く小説は少なくなってきたけれど、今の時代の若者にはわかりやすいテーマの方がウケると思う。

友達とはチャットの短文でやり取りし、ツイッターの140文字に慣れていて、小説よりも動画で時間を潰す若者に、村上春樹の「井戸」みたいな比喩表現は伝わりにくいのではないか。

わかりやすく、読みやすく、身近なテーマを描く小説の方が、若者の心に響きやすいように思う。


『仮想人生』の想定する読者はおじさん世代ではなく、20代前半〜30代前半の比較的若い層の人間だろう。

かつて刺激的なテーマで若者の心を掴んだ携帯小説風の物語が再評価されてもよい頃かもしれない。

わかりやすく、刺激的な言葉で読者の興味を引くスタイルの小説は、スマホでサクサク文章を読む時代と親和性が高いはずだ。

ナンパ師

日本のナンパ師を描いた小説はおそらく『仮想人生』が初めてだろう。

かつてPick Up Artistと呼ばれるアメリカのナンパ師たちを描いた小説『THE GAME』が話題となったが、日本のナンパ師の生態を研究した書籍はなかったはずだ。

「即」とか「スト値」などの界隈独特の隠語もよく調べられていて、現役のナンパ師に何度もヒアリングし、彼らの価値観を研究した様子が伺えた。


一方で、おそらくはあちゅうさん自身が抱いたナンパ師への印象を反映させた記述もところどころに見られ、はあちゅうさんにとってナンパ師はあくまで「研究対象」であって、「異性として触れ合う相手」ではなかったことが伝わってくる。

「承認欲求、満たされたいの?

意外だなー。そういうのって、モテない記憶が頭にこびりついた人が言いそう。

自分がモテなかったことの復讐を、大人になってからするんだよね。そういう人を一人知っているから言うんだけど」

「へー、どんな人ですか?」

「ネット上でナンパとかしてる人」

「あーモテなかった人に限って、いい年になってからナンパとかにハマるんだよな」


このようなやり取りに見覚えがある人も多いはずだ。

ツイッターで多くの人が恋愛工学生に対してつぶやいている内容そのものだからだ。


このように、ツイッターでよく見られる話題が頻繁に登場するのも『仮想人生』の特徴だ。

いわゆるツイ廃の人が読めば、


「あぁ、あのネタね」


と頷くようなシーンが多いが、ツイッターをやっていない人が読んでも意味がわからないようにも感じる。

また、ツイッターユーザーの中でも、ナンパ師やオフパコ界隈、裏垢界隈といった2ちゃんねる(今は5ch)のスレッドが立つような界隈に詳しい人でないと、小説で描かれている世界の空気感を理解するのは難しいかもしれない。

それくらい、「仮想の人生を送る人々」は一般の人々から見ると意味不明なものなのだ。


「人間の底辺のような、汚い、そして同時に人間らしい愚痴やありのままの本音に出会えるツイッターと違って、インスタグラムで出会うのは虚構ばかり」

と小説では描かれている。

たしかに裏アカウントを通して見えるツイッターは、人間の醜さをかき集めたような汚い場所に見えることもある。

しかし多くの人にとって、ツイッターの世界は表も裏もなく、「友達と気軽につながる場所」であって、裏アカウントは特殊な少数派の人間で作られた世界なのだ。


アンチ以上にファンもいるよ

小説ではユカさんという人妻の人生が描かれている。

「スト値」と呼ばれる女性の見た目を評価する指標は「9」とされ、タワーマンションに住み、専業主婦として何不自由ない人生を送っていた(が、順調な人生に転機が訪れる)


僕はこの人物のエピソードを読みながら、昔流行った「東京姉妹」と呼ばれるアカウントを思い出した。

美人でプライドが高く、男に恵まれて、何不自由ない人生を送っているように見えた裏アカウントである。


しかしある日突然、アカウントがひどい誹謗中傷に遭い、本人かどうかは定かではないが顔写真がバラ撒かれ、アカウント自体がなくなってしまった。


ツイッターの裏アカウント界隈は殺伐としている。

普通に生活していたら絶対に投げかけられないようなひどい言葉を浴びせられることもある。

裏垢の道は修羅の道なのだ。

少し調子づいてツイートすると匿名掲示板に悪口を書かれ、ひどいときには顔写真や勤務先の情報を拡散されてしまう。

ネットで炎上したり悪口を書かれると、周りの人すべてが敵に見えてしまうかもしれない。

でも、この記事をここまで読んでくれた裏アカウントを持っている人に、僕は強く伝えたい。


君を叩く人と同じくらい。

いや、君を叩く人以上に、君のことを好きな人はたくさんいるから。


否定的な声の方が大きく聞こえてしまって、何もかもが信じられなくなるような気分になってしまうかもしれないけれど、大丈夫。

声には出さないけど、その「仮想の人格」を好きでいてくれる人はたくさんいる。

だからせっかく作った「仮想人生」を消さないでほしい。

「仮想の人生」は「アカウントを削除」するだけで簡単になくなってしまい、「中の人」はリアルの人生に帰っていく。

その決断を僕たちは応援しなければいけないのかもしれないけれど、やっぱり「裏」でつながった人たちが消えていなくなってしまうのは、すごく寂しいものなんだ。


仮想人生

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