2018年1月26日。
株式会社コインチェックが運営する「Coincheck」から5億2630万XEM(当時のレートで約580億円相当)が流出した。
「バブルの上で踊っているうちは今がバブルだとは気付かない」
とは言われるが、振り返るとコインチェック仮想通貨流出事件は仮想通貨バブル崩壊の始まりだったのは間違いない。
空前の仮想通貨バブルに世の中が沸き立ち、ごく普通の会社員たちが
「俺も仮想通貨始めたよ」
と会話し始めていた。
かつてケネディ大統領は靴磨きの少年までもが株の話をし始めたのを見て、「これはバブルの天井だ」と気付き、すべての株式を売却して世界恐慌の被害を最小限に留めたという。
2017年末の仮想通貨はまさに「靴磨きの少年」がたくさん現れていた。
動きが早いわけでもなく、流行に敏感なわけでもない保守的な普通の会社員が、仮想通貨を始めたタイミングが完全にピークだったのだろう。
瞬く間に仮想通貨バブルは弾け、夏草や兵どもが夢のあと、バブルは今や見る影もなく、2019年には誰一人として仮想通貨の話すらしなくなった。
遠い将来、2018年の仮想通貨バブルを振り返った人々は何を語るだろうか。
そんな仮想通貨バブルを駆け抜け、世に出た一人の若者がいた。
コインチェック社長・和田 晃一良である。
1990年生まれの和田は数学の天才だった。
東京工業大学の受験も数学1科目のAO入試。
センター試験も面接もない。選んだ学科も数学科であった。
和田はかつての自分を
「数学オタクとあまり変わらなかった。
一つのことを突き詰めるのが好きでした」
と振り返る。
和田の転機は先輩から紹介されたプログラミングのアルバイトだった。
名もない制作会社ではあったが、そこで出会ったスマホアプリの開発が和田の人生を大きく変えることになった。
大学3年生だった2011年、就職活動生の適性テスト攻略アプリを彼女と2人で開発。
10万ダウンロードを記録した。
就活をやってみて、サイバーエージェントから内定をもらったが辞退。
大学も休学し、先輩と会社を立ち上げたのがコインチェックの前身、レジュプレスだった。
2014年2月。
仮想通貨流出事故を起こしたマウントゴックスが破綻。
まだ黎明期にあった仮想通貨業界が揺れていた。
2014年6月。
全く新しい事業を立ち上げるための社内会議で、和田の発案が通った。
「ビットコイン事業をやろう」
和田は会議で発言してからたったの2ヶ月で仮想通貨取引システムを完成させた。
これはコインチェックで長らく語られる伝説となる。
6月に開発を始め、8月にサービスをリリースした和田の仮想通貨取引システムは、無駄を徹底的に排除したシンプルな仕様で動いていた。
2,3クリックで売買まで到達し、売買成立までの時間を極力短くした。
圧倒的な技術力と開発速度。
天才プログラマーである和田に頼めば即座にプログラムを修正してくれるため、サービスはどんどん改善された。
コインチェックの流出事故当時、13種類の仮想通貨を扱ったのもコインチェックだけであった。
とにかくサービスの開発速度が圧倒的だった。
その要因は、和田の天才性にある。
ユーザーが右肩上がりで増え、変化が激しい当時の仮想通貨業界ではスピードが命だった。
どんどん上がってくるユーザーからの要望に、和田は次々と応えていった。
もちろんセキュリティインシデントの責任は重い。
顧客の大切な資金を流出させた罪は消えないが、流出事故があったからといって和田の天才性は否定はできない。
あれだけのシステムを作るのは、通常の企業なら1年以上はかかるものなのだ。
圧倒的な技術力であそこまでのシステムを作り上げた和田の実力は疑う余地はないだろう。
現在、コインチェックはマネックス参加で再建を図っている。
和田は流出事件の責任を取って社長を辞めた後、開発担当の執行役員としてコインチェックの技術を牽引している。
和田の不思議な魅力もあってか、流出事故から1年で入社した社員は70人以上にのぼるという。
一人の技術者が世界を変えた
2010年頃、グリーやDeNAがガチャで荒稼ぎしていた頃に、グリーの田中良和らが公演するイベントに参加したことがある。
楽天に勤めながらたった一人でグリーを作り上げた田中良和氏のエピソードや、ハーバード大学の学生寮でフェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグの伝説に胸を熱くさせたものだ。
ITの世界にこのようなエピソードは多い。
2000年代中盤〜2010年頃はSNSを作った人が世界を変えた。
mixiを作った笠原健治氏や、はてなを作った近藤淳也氏の話は知らない人の方が少ないだろう。
世の中が「ウェブ2.0」の無限の可能性に期待を抱いていた。
2010年頃からスマホが一気に普及し、BMIを計算するアプリを作った高校生が話題になったりもした。
スマホ普及当初は個人が作る単純なアプリがヒットすることもあったが、スマホアプリ開発はどんどん高度かつ複雑になっていく。
すると、個人が作ったアプリが世界を変えるほどのヒットとなることは少なくなった。
そんな中、颯爽と登場したのが和田晃一良であった。
コインチェックの和田晃一良も、もちろんすべてを一人で開発したわけではないだろう。
会社のチームを組んで、仮想通貨システムを作り上げていったはずだ。
しかしそれでも、和田という一個人の輝く才能がチームを引っ張り、会社を牽引し、大きなブームの立役者となっていたことに、「個人の可能性」を感じずにはいられない。
最終的には大きな事件を起こしてしまったが、和田が世の中を大きく動かす技術者であったことは疑いの余地がなく、そこに技術者のロマンを抱いてしまうのである。
【追記(2019/02/04)】
ツイッターで和田さんの出身学部は経営システム工学科だと指摘をいただきました
謝った情報を記載してしまい、申し訳ありませんでした。
和田の学科は数学科ではなく経営システム工学科ですよ。おそらく日経新聞の記事を参考にしたのだと思いますが、記事が間違ってます。
— Shellingford (@BankerYuki) 2019年2月3日