30代になると「成長」という言葉を人前で使いづらくなる。
成長よりも結果が求められる年代だからだ。
新卒採用で「成長したいです!」という若者はかわいいが、
30代のおっさんが中途採用で「成長したいです!」などと言うと失笑されてしまうだろう。
年をとると「成長」は語りづらくなってしまうのだ。
そんなわけでリアルで成長の話はしづらいのだけれど、ここだけの話、「成長実感」はものすごく重要だ思っている。
「昨日の自分より今日の自分が良くなっている感覚を持てるかどうか」はモチベーションに大きく関わってくる。
成長とは、昨日できなかったことが今日できるようになることを言う。
何か新しいことができるようになったのか?
これまでやっていた作業がもっと上手くできるようになったのか?
もっと早くできるようになったのか?
もっと正確にできるようになったのか?
これらの問いに、どれか一つでも“Yes”と言えるなら、僕たちは成長している。
もし全てに“No”しか言えないなら、おそらく何も成長していない。停滞中だ。
停滞の何が悪いかというと、退屈なところだ。
人生は楽しみながら過ごすにはあまりにも短いが、退屈に過ごすには長すぎる。
会社で退屈な仕事をしていた時期、時計の針を見ながら一日を過ごしたあの苦痛が忘れられない。
早くランチの時間にならないかな。
早く18時にならないかな、と時計をチラチラと見ながら過ごす日々は冒険がなく、無難で、安定していて、退屈だった。
「成長」それ自体はお金にならないし、安定した会社で働いている場合は「成長」など求めなくても、「今までできていたことをきっちりとこなす」だけで問題は起きない。
問題が起きなければクビにはならないし、ちゃんと給料ももらえる。その給料で生活できる。
「会社は金をもらうために行く」と割り切ってしまえばそれで何の問題もないのかもしれないが、成長を望む人間には同じ作業の繰り返しは辛い。
「成長」をもっと具体化する
「以前できなかったことができるようになること」を成長と定義してみたが、これだと具体的に何ができるようになっていたいのかがわからない。
ふわっとした「成長したい」ではなく、
「こんなスキルを身に付けたい」
「こんな仕事ができるようになりたい」
といったように、何を身に付けたいのかを言語化して意識していなければならない。
「去年できなかったプログラミングを学び、今年はウェブアプリケーションを作れるようになっていたい」
↓
「身に付けたいプログラミング言語はPythonだ。
Flaskというフレームワークを使い、ユーザーインターフェースはJavaScriptとHTMLで作り、ウェブアプリを1つリリースする」
↓
「この目標はあと6ヶ月で達成したい」
みたいに、「どうなっているのか自分にとっての成長なのか」を具体的に言葉にして、期限を切って締切を作らないと、成長はできないだろう。
上記の例はプログラミングにしてみたが、英語でもいいし、職務経歴書に書けるような実績でもいい。
自分の中で「成長」の定義がふわっとしたままだと、穴を掘って埋めるような仕事を一日中やって「たくさん働いたから成長したぞ!」などと思い込んでしまいかねない。
それに「ふわっとした成長願望」は搾取されやすいのも問題だ。
「あなたは成長できます!」
と成長願望を刺激するような言葉を投げかけ、無知な若者を勧誘し、馬車馬のように働かせる会社は多い。
悪質なオンラインサロンも同じで、
「なんとなく変われそう」
「なんとなく成長できそう」
「なんとなく刺激がありそう」
みたいな、具体性がなく、ふわっとした響きで勧誘してくる情報商材は意外と多い。
意識が高く、成長意欲も高いが、あまり自分のことを深く考えていない人が標的となる。
大事なのは、どんな専門性を身に付けたいのかを意識して、その専門性が身に付く場所に身を置くことだ。
組織で主流となっている志向が文化を作る
会社員は「何を志向する人なのか」によって、いくつかタイプ分けができる。
- 成長志向
- 高給志向
- 安定志向
- 名誉志向
- 権力志向
- 余暇志向
- 仲間志向
- 関心志向
- 冒険志向
- オブジェクト指向
など、実に様々な志向を持つ人が入り乱れているのが会社組織だ。
志向する対象は一つに限らず、成長できて、給料が高く、安定して、人からすごいと言われる会社で働きたいという人がほとんどだろう。
なので実際には、「大切なものは様々あれど、何に優先順位を置くか」がその人の価値観となる。
そして、会社組織の大多数の人が共有する価値観が、その会社の文化になる。
楽しく仕事をするには、志向が近い人間の集団に属するのがいい。
できるだけ冒険せず、無難に給料をもらい、安定を好む人が主な集団と、
新しいことに挑戦し、成長し、同じことばかりをやっていたら飽きてしまう人は馴染まない。
ネットで意識高い人を見ていると、
「変化だ」
「挑戦だ」
「冒険だ」
と、新しいことをやるのが礼賛されがちだ。
でも、別に冒険が必ずしも正解になるわけではない。
ストレスフルな環境からは距離を置き、できるだけ手順が確立した仕事で負担を減らし、プライベートを楽しみたい人だっているはずだ。
“自分が”何を求めているかを理解し、似たような志向が多くいる環境で働くのが大事なのだ。
ちなみにこの記事は下記のツイートを見つけたことがきっかけで書いた。
芸能人でもないのに必死に美容に力入れてジム行ってコスメ買って食生活に気をつかって日焼け対策もしてて「何目指してんの?笑」って聞かれることたまにあるけど、人がしている努力を笑えるような人たちっていうのはたいてい何も目指していない空っぽな人たちなので全く気にしなくていいと思ってます。
— ICO (@125_ico) 2019年7月9日
美容の話では全然ないけれど、身を置く環境によっては「自分だけが意識高い」状態にもなりかねない。
昨日、VIOの記事を書いたが、たとえば会社などで医療レーザー脱毛の話なんてすると、
「え、何やってんの...?」
と変な目で見られる可能性が高い。
VIOだとなおさらだろう。
会社にいる人は美容になんて興味がないからだ。
一方で、集まったメンバー全員が脱毛経験者だったり(それがいいかはわからないが)、美容に関心のある人ばかりだったりすることもある。
志向が似ていて、かつ「当たり前の基準が高い」場所に身を置くことが、自分が望む成長を後押ししてくれるのではないか。