大学の途中からパチプロの道を歩み始めた。
大学1年の冬。
たまたま入ったパチンコ屋で、たまたま打った台が大当たりした。
ジャラジャラと玉が出てきて止まる様子がない。
ハンドルを握る手が震え、目の焦点が定まらないまま呆然とピロピロと光り続ける台を眺めていた。
確変と呼ばれる玉が出続ける時間が終わり、山のように積まれたドル箱を精算機に流すと、12万円ものお金に変わった。
大学生にとって12万円は気を失うほどの大金である。
興奮冷めやらぬまま彼女に電話をかけ、街に呼び、贅沢なカツ丼を食べ、プリクラを撮り、
「12万円、ゲットしました」
と落書きをして、携帯電話に貼った。
僕のギャンブル中毒の始まりだった。
それからは寝ても覚めてもパチンコのことばかりを考えていた。
病気だったと思う。
パチンコ屋を見るとそわそわして落ち着かなくなったし、どんなに時間がなくてもパチンコ屋に寄らずにはいられなかった。
まぐれ当たりの後はしばらくパチンコで負け続け、ギャンブル中毒の人間にお決まりのような廃人コースを歩み、食費も払えなくなり、破産直前のところで師匠を見つけ、スロッターに転向し、月に20万円を稼ぐプロスロッターになった。
スロットはレバーを叩いてリールを回し、「7」が揃えば大当たり、みたいなゲームである。
僕は1年以上もスロット屋に入り浸り、たくさんのことを学んだ。
「スロットは社会の縮図だ。強い奴が勝ち、弱い奴が喰われるんだ」
と、僕の師匠は言った。
タバコ臭くてやかましいあの空間で僕は何を学んだのか。
この記事で紹介したい。
- 本当に使える攻略法は世の中に公開されない
- 正しい師匠の元で学べ
- 情報格差が利益を生む
- 準備が9割で、情報を持っているやつが勝つ
- ギャンブルで買った金で奢っても誰にも感謝されない
- スキルの賞味期限を意識せよ
本当に使える攻略法は世の中に公開されない
パチンコで負けまくっていた時期、僕は怪しげなパチンコ攻略法をひたすら読みまくっていた。
大学の講義室の一番後ろの席で、
「角にある台は当たる!」
「【7】の付く日はラッキーデーだ!」
「力を抜いてレバーを回せば当たる」
みたいな攻略雑誌の記事を熱心に読み、蛍光ペンで線を引いた。
しかし、そんな攻略法は全く当てにならなかった。
攻略法通りにやっても勝てないのだ。
当たり前だ。
本当に正しい攻略法なら、わざわざ他人に教える必要はない。
自分がやればいいのだ。
攻略法は広まったら対策されてしまう。
本当に使える攻略法は公開されない。
情報商材も同じだ。
本当に稼げる情報は、一般には公開されないし、出回る頃には陳腐化している。
これは時を経ても変わらない普遍的な原則だ。
正しい師匠の元で学べ
パチンコで負けて身も心もボロボロになり、白米に卵をかけて暮らしていたときに、僕に救いの手を差し伸べてくれたのは部活の先輩だった。
彼は僕の2つ上ながら女性経験が全くない人だったが、DTのくせにいつも夜飯を奢ってくれた。
ある日、気になって先輩に尋ねてみた。
「先輩、なんでいつもこんなに羽振りいいんですか?」
すると先輩は待ってましたと言わんばかりに不敵に笑い、
「ついてこい」
と言って、僕を家に招待してくれた。
手前側の部屋でお茶を飲んで座っていると、先輩はゴソゴソと奥の方で何かを取り出し始めた。
暗い奥の部屋から戻ってきた先輩がその手に持っていたのは......、
札束だった。
「せ、先輩...それは...」
「これは全てスロットで稼いだものだ」
「これを全部...スロットで...?」
僕は今までに見たこともないような札束を見て、気絶しそうになりながら訊いた。
「そうだ。
金は力だ。
金があれば、自由になれる」
そう言って先輩は、ニヤリと笑った。
「お前はどうなりたいんだ?」
その瞬間、僕は跪き、弟子入りを志願した。
スロットで生活費が稼げるようになったのは全部先輩のおかげだ。
情報格差が利益を生む
師匠はオカルトのようなものは一切信じなかった。
「スロットは期待値だ」
が彼の口癖だった。
「期待値がプラスになるものを打ち続けていれば、収益は期待値に収束する」
そんな彼が取った戦法は「ハイエナ」と呼ばれるものだ。
当時のスロットは機種によって、「当たりやすい回転数」と「当たりにくい回転数」が決められていた。
また、「1200回回せば必ず当たりが出る」みたいな、いわゆる「天井」と呼ばれるルールもあった。
そんなルールを知らず、知識のないおじいさんやサラリーマンが金を投入し、「当たらないところ」を回してくれる。
他人が金を投入して期待値が低い部分を回し終わるのをじっと待ち、期待値がプラスになる部分だけをいただく、というのが彼の主な戦略だった。
なんてセコい奴なんだ...と思い、
「先輩、セコいっすよ」
と言った。
すると先輩は呆れたように反論したのだ。
「スロットは運ではない。期待値のゲームだ。
期待値がマイナスな台を打ち続ければ負ける。
期待値がプラスの台を打てば勝つ。
簡単なことだ。
そんな簡単なことができないから、養分になって金を失うんだ」
事実、その通りだった。
それまで家庭教師の給料3万円で一ヶ月を乗り切っていたのが、急に10万円以上の金を使えるようになった。
大学生にとって10万円は目がくらむような大金だった。
準備が9割で、情報を持っているやつが勝つ
その後、我々のハイエナ戦略は洗練されていき、
「前日に下見をして、出やすい台を狙う」
という戦略に進化した。
閉店後に店が「出やすい回転数」を勝手に回してしまってもわかるように台の「出目」を手帳にメモし、
翌朝は「設定変更」というリセット対応をされたときにリールがガクッと動く挙動を確認した。
「外れの台」にお金を投入してしまうリスクを注意深く避けたのだ。
その他の「候補台」も全て前日の閉店間際にチェックし、メモを取っておいた。
このように前日に準備をして、情報を持っているハイエナに、何も情報を持たずにスロット屋にフラリと寄ったサラリーマンが勝てるはずがない。
22時30分から23時にかけての情報収集を雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も、一日も欠かさず毎日やっていたのだ。
前日に下見して、翌日の朝8時から並んで狙った台を打つ。
狙った台を全て回収したら、11時には撤退し、それ以上は打たない。
期待値の高い台だけを狙い、それ以外にお金を投入しないためだ。
この戦略はかなりの収益を生み、月の収入は20万円を超えた。
ここで学んだのは、情報を持っている人間が勝つということだ。
情報を持たない人間が養分にされ、情報を持っている人間と胴元が儲かるようになっている。
最近だと仮想通貨も同じだろう。
インサイダー情報を持っている人間と仮想通貨取引所、そして仮想通貨を紹介するアフィリエイターが儲け、彼らが作り出した「儲かりそうな雰囲気」に釣られた一般人が損をする。
何も情報を持たずに甘い夢を見てスロット屋に入ったサラリーマンがカモられるように、仮想通貨でも情報を持たずに参入した一般人がカモられるのだ。
ギャンブルで買った金で奢っても誰にも感謝されない
ツイッターでは奢り奢られがよく話題になるが、多くの人は他人の金で飯を食っても、それ自体には感謝しない。
お金の使い方にはストーリーが必要なのだ。
バイトで苦労してお金を貯めて、なけなしの金で1年付き合った彼女をフレンチに連れていく...というストーリーに人は感動し、感謝する。
しかしギャンブルで勝って飲みに行って、
「今日はスロットで勝ったから」
と言ってお金を払っても誰も感謝しない。
むしろ
「勝ったんだったら奢ってくれよ」
みたいな空気になることもある。
ここから学んだことは、
「お金を儲けても人に言わない方がいい」
「苦労が見えないお金で人に飯を奢っても、別に感謝はされない」
ということだ。
スロットで勝った金は、自分の金をリスクに晒し、過酷な環境でストイックに情報収集をした結果、手に入れた金だ。
そんな苦労は他人には見えない。
「ギャンブルで儲けたはした金」
だと思われるのだ。当然だ。
金は稼ぐよりも使い方の方が難しい。
そして想像以上に、お金を払っても人は感謝なんてしないし、何とも思わない。
その場の「ありがとう」で終わるのがほとんどだ。
それでいいのだ。
スキルの賞味期限を意識せよ
他にも
「勝ちパターンを確立したらマンパワーを増やしたほうがいい」
とか、
「男は金で裏切るが、女は金では裏切らない」
とか、色々と学んだことはあるが、長くなるので省略する。
僕は1年近くスロットにハマり、恐るべき情熱を持ってスロプロ(プロスロッター)としてニート生活を満喫していた。
あまりにも学校にいなすぎて大学の友人に「ツチノコ」と呼ばれたくらいだ。
それほどまで時間を賭けて磨き抜いたスロットのスキルは今、仕事には全く役に立っていない。
「月20万円の儲け」
は大学生にすると大金だったが、もしあの時間を全て英語の学習に費やしていたら、「20万などはした金」と言えるような給料をもらえていたかもしれない。
「たられば」や「もし」を語っても仕方ないのだが、スロット人生を終えた後に学んだのは、
「スキルには後に残るものと残らないものがある」
ということだ。
スロットの知識は制度が変わると全く通用しなくなるし、ビジネスに活きるようなものではない。
学生時代、狂ったように合コンをしてきたが、そこで磨いたパーティースキルが仕事に活きているかと言われると、そうでもない。
どうせ時間をかけるなら、後に残るスキルに投資するのがいい。
スキルには賞味期限がある。
長く使えるスキルに時間を費やせば、後になって大きなリターンとなって返ってくる。
その場でしか使えないスキルを情熱を持って身につけても、実際は点と点がつながるような経験はあまり起こらず、無駄になることが多い。
人生は有限だ。
あとに残る資産を自分の中で築き上げ、未来の自分が楽できるように努力するのがいい。