田端信太郎さんの「家事は1時間で終わる」発言が炎上し、論争を呼んだ。
ウチは子供3人いて、3週間くらい妻が海外に行ってたけど、俺の1日の家事時間、掃除、洗濯、食事・子供のお弁当の用意(3分で済む)など全部で1時間ぐらいだったけどw。12歳未満の子供の要る女性の家事が平日1日8時間って何やってるの?素朴に疑問。キャラ弁でも作ってるの?https://t.co/YR7hLdPjBJ https://t.co/driJqC6CLu
— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) 2019年9月13日
田端さんの疑問に対し、吉本興業の芸人・野々村友紀子さんは以下のように反論している。
ほぉーう……1時間。家事が1時間で終わるのね。ん? 一日の家事ってそんなもんだっけ? ちょっと私も、娘2人が12歳未満だったときの自分の家事を考えてつぶやいてみよう。
『私の1日の家事時間、掃除・洗濯・食事・子どものお弁当の用意(3分では済まん)……だけ、なわけないから、食材や日用品の買い物行ったり(ネット注文でも時間かかる)、掃除機する前にふわふわで家具や高いところのホコリ取ったり、そろそろ夏に使ったものや扇風機をバラして部品洗ってしまったり、秋物出して服も靴も衣替えしたり、玄関の掃除したり、家中の鏡拭いたり、洗剤やシャンプーの詰め替えしたり、まな板や布巾や子どもの食べこぼしを漂白したり、使いっぱなしで置いてる傘を干してくるくる巻いてしまったり、からまった充電器やらのコードほぐしたり、水道周りの銀色の部分を磨いたり、お風呂の換気扇の掃除したり、トイレの掃除は使う部分だけじゃなく床や壁まで拭いたり、誰かが置いて行ったトイレットペーパーの芯を捨てたり、洗濯機の横の排水溝の掃除をしたり、時計の電池を交換したり、ハンカチにアイロンかけたり、包丁研いだり、家族の歯ブラシの状態を見て交換したり、郵便物を仕分けしてしかるべき場所にしまったり、子どもの体操服にゼッケン縫い付けたり、子どもの持ち物に名前書いたり、子どもの赤白帽のゴムがビヨンビヨンに伸びてたら付け替えたり、子どもの行事や塾やクラブや習い事のスケジュールを立てつつ予防接種のスケジュール立てて病院に連れて行ったり、子どもの習い事の情報収集して見学行ったり、習い事の送り迎えしたり、子どもの人数分の保護者会行ったり、PTAに参加したり、地域の集まりに参加したり、子供が使い終わったノートからベルマークだけ切って集めたり、子どものメガネの度やメガネの幅の状態を把握してメガネ屋さんに調節しに連れて行ったり、ハロウィーンという親にはいまいち馴染みのない祭りに参加する子どもの衣装をなるべく他とかぶらないように考えて揃えたり、ハロウィーンでお友達に配る用のお菓子を買ってきてかわいくラッピングしたり、ハロウィーンはまだいいけどイースターっってなんやねん、今まで日本にそんな習慣なかったぞ! 何食べて何すりゃええ祭りやねん! とママ友と愚痴ったり……』
ダラダラと思いつく限りのことを書き連ねて
「家事は大変である」
とアピールしたいように見えるが、この書き方はさすがに雑すぎる。
私自身、家事が得意なわけではないので、
「家事なんて1時間で終わる」
「家事に時間を費やしている人は無能」
などと言うつもりは毛頭ない。そう捉えられないように注意していきたい。
家事が大変なのは重々承知だが、「大変だ」と嘆いていても毎日の作業はなかなか改善しない。
事態を改善するためには、事実と感情を切り分けて、解決可能な問題に注力するのがいい。
野々村さんが列挙している家事は「定期的に発生するもの」と「不定期に発生するもの」がごちゃごちゃになっている。
- ふわふわで家具の高いところのホコリを取る
- 夏に使った扇風機をバラして部品を洗ってしまう
- 秋服を出して衣替えする
- 風呂の換気扇の掃除をする
- 包丁を研ぐ
- 子どものハロウィンの衣装を考える
など、どちらかというと不定期に発生するもの、それも三ヶ月に一度あるかないかの出来事を事例として挙げているように見えるが、時間を食い潰すのは「毎日発生するルーティンワーク」だ。
家事の手間について考えるならば、まず「定期的に発生するルーティンワーク」をどれだけ効率化するかを考えるのがいい。
たとえば、食器洗いに毎日30分使っているならば、食洗機を購入すれば食器洗いにかかる時間は一日5分以下に抑えられる。
「ご飯を炊く」なども一度にまとめて炊いてタッパーに入れて保存しておけば、一食あたりの時間は少なくできそうだ。
毎日のルーティンワークに使う時間をできるだけ効率化して、不定期に発生するイベントに備えて時間的な余裕(バッファ)を持たせておくことが大切だ。
次に一つ一つの作業の重要度を判断しよう。
「やらなければならないこと」
「やらなくてもいいこと」
「手抜きしてもいいこと」
のように重要度を判断し、不要なものは削る。
反論記事だと
「ハロウィーンでお友達に配る用のお菓子を買ってきてかわいくラッピングする」
「ママ友と愚痴を言い合う」
などが本当に必要なのかを考えてみる。
ここには多くの人がハマってしまう罠がある。
「必要かどうかを考える」となると、「全部やった方がいい」と思えてくるのだ。
会社にも「全部やった方がいい」と主張する人はたくさんいる。
「念のためやった方がいい」
「とりあえずやっておこう」
と考えなしに発言して、作業を減らすことを極端に嫌がる人だ。
こういう人たちは、作業を減らしたことが原因となって何か問題が起きることを懸念しており、その責任を取りたくないのだ。
どんなにタスクを積み上げても「100%確実」にはならないのに、効果の少ない作業を増やし、労働時間を増やし、メンバーを疲弊させていく。
どんな仕事も「やった方がよくないこと」はほとんどない。
なんだって「とりあえずやった方がいいこと」の方が圧倒的に多い。
しかし我々の時間やお金には制限があるので、「とりあえず全部やる」から一度離れて、
「限られたリソースの中で優先順位をつけ、不要なものは削る」
ことを意識しなければならない。
家事の場合は会社組織と違って、本人の裁量が極めて大きく、調整不要で無駄を削ることができる。
「なんでもやらなければいけない」
と考えるのではなく、
「何をやらなければいけないのか」そして「何が不要なのか」を一度冷静になって考えると、多少ではあるが時間に余裕ができる可能性が高い。
最後に「人に任せられるもの」と「並列で作業できるもの」「効率化できるもの」を考えよう。
「子供が使い終わったノートからベルマークだけ切って集める」
とあったが、この作業は子供に教えて任せることはできないだろうか。
全ての作業を自分一人でやろうとすると、さすがに手一杯になってしまう。
「地域の集まりに参加する」なども、責任感を持って参加するのは立派だと思うが、人に任せられるものもあるかもしれない。
「家の電話の留守電のメッセージを聞いて消去する」というのが事例に挙げられていてちょっと面白かったが、この作業はそもそも時間を食うものではなく、掃除中や移動中に並列で処理できる類のものだろう。
「俺は家事が1時間でできる!」と豪語したり、家事を頑張っている方を否定する気はないが、野々村友紀子さんのように「事実」と「感情」をごちゃごちゃにして考えると問題が見えにくくなる。
「大変だ」「辛い」「腹が立つ」という感情と、一つ一つの作業は切り離して考えなければならない。
そのタスクは本当にやらなければいけないものなのか?
やらなければいけないのであれば、どれくらい時間がかかるのか?
その時間を効率化する方法はないか?
誰かに任せることはできないか?
並列で作業できるものはないか?
などを検討し、自分が楽できるように前向きに改善していく姿勢を持ったほうが幸福度は上がるはずだ。
反論記事の最後の方に愛情について書かれている。
そう、家事は「愛情」なくしてはできないのです。細かければ細かいほど、それは愛情の証。レトルトや冷凍食品も簡単でいいけど、やっぱり時間をかけて作った手作り弁当には愛情が多めに入っております。細かい掃除や家事も愛情です。そこに気づいてくれたら。たまには手を貸してくれたら。たまには褒めてくれたら、嬉しいな。
愛情は美しく、温かく、人生で大切なものだ。
しかしこうやって「愛情を注ぐ」とか「一生懸命やっている」などの「感情」を主題にすると問題が見えにくくなってしまう。
- 時間をかけることで効果が高くなるもの
- 時間をかけても効果が変わらないもの
などは愛情と一度切り離して考えてもいい。
「時間をかける」=「愛情」と捉え、「時間をかけてゆっくり作ったから愛情がこもっている。愛情がこもっているから全部正しい」と考えてしまうと、なんでも時間をかけるのが正義になってしまう。
そうなると圧力鍋を使ったり、レンジでチンしてゆで卵を作るみたいな、作業時間を減らす工夫すらも否定されかねない。
「時間をかけて作った手作り弁当には愛情が多めに入っている」
という理屈は、
「愛情をたくさん注ぐために時間をかけているから家事が辛い」
というように、愛情によって強制される精神的な負荷につながりやすい。
- 時間をたくさんかけることで味が良くなる
- 時間をかけてもかけなくても味は変わらない
- その手間は子どものためになっているのか
- その手間で自分が不幸になっていないか
- 時間をかけることで栄養バランスに影響はあるか
- 毎日時間をかける必要はあるか
- 手抜きできる部分はないか
などを冷静に判断して、「愛情」と「投入時間」をイコールにせず、感情と作業を切り離して見つめ直せば、効率化できる部分が見つかるかもしれない。そうすると精神的に余裕ができる。幸せになる。
手抜きは悪ではない。
サボりでもなく、効率化である。
少ない労力で同じ成果が上がられるなら、手抜きは大いに奨励されるべきだ。
「投入時間」を「愛情」と考えてしまうと、「効率化して作業時間を短くすると愛情がこもっていない」と感じてしまう。
家族への愛情と投入した労力の大きさは別にして考えてもいいだろう。
「苦労することで愛情を示せ」と考える人は少ないはずだ。
家事の目的を「(自分も含めた)家族全体の幸福度を大きくする」とおいて、「その家事に時間をかけることが家族全体の幸せにつながっているか」を検証し、
家族全体の幸福度が最大になるように家事の労力を最適化していくのがいいのではないだろうか。
当然、家事の分担ルールも決め、負担を分散する仕組みも必要だ(「人に任せられるものがないか」で検討するといい)