男は拳を握っていた。
「もう一息で、やれる」
女がトイレに行っている間に会計を済ませ、今後の展開を想像する。
店を出て手をつなぎ、車の影で隠れてキスをしよう。
キスまでできたら後はホテルに連れ込むだけだ。
二人の間を阻むものは何もない。
「おまたせ」
女が戻ってきた。
「全然、待ってないよ」
「そろそろ出ようか」
女にコートを渡し、男もバッグを持ち上げる。
店を出て、肩を寄せ合い歩いて、手を差し出す。
「え」
女は戸惑いながらも手を差し出す。
男の予感は確信に変わる。
「今日はやれる…!」
緊張しながらホテル街を歩き、男はなけなしの勇気を振り絞ってこう言った。
「ここに寄っていかないか」
男はホテルの方を向く。
女は幻滅した顔で答えた。
「そういうつもりじゃなかったの」
「え」
呆然と立ち尽くす男を尻目に、女は駅へと歩き出した。
電車の中で、女のスマホのLINEが鳴る。
友人からだった。
『どうだった?』
女は素早く指を動かし、返事を送る。
『食事はしたがそれ以上の関係ではない』
不動産で栄華を極めた男
男は拳を握っていた。
ドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」で窪塚洋介とのベッドシーンを演じた彼女を見たときからずっと、こんな日が自分に訪れることを夢見ていた。
憧れていた女優が今、俺の隣に。
不動産業界には夢がある...!
男の人生は苦難の連続だった。
2005年、男は不動産業界最年少で株式上場を果たした。
栄華を極めた男は酒の席でこんな歌を詠んだ。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」
人生の頂点だった。
男の資産は100億円を超えていた。
現代にこの男がいたならば、こう言っていたかもしれない。
「ZOZOの前澤が1億を配る?
俺の資産は100億だ。
1億なんてケツを拭く紙にもなりはしない」
しかし山が高ければ谷も深い。
頂点に登った男がどん底まで落ちるのも早かった。
上場4年後、リーマン・ショックの余波は不動産業界を揺らがし、2009年には民事再生法の適用を申請した。
負債は191億まで膨れ上がっていた。
天国から地獄へ。
男は絶望の淵に叩き落とされた。
しかし2019年。
そんな男が今、膨らませているのは負債ではなく、股間である。
男は女の顔を覗き込んだ。
美人だ。
上場からの倒産。
転落からの奇跡のカムバックであった。
あの絶望の2009年から10年が経った。
歳月は男を強くした。
そして男の股間も硬くなった。
男は女の昔の恋人の「亀」をはるかに凌駕する「股間の亀」を持っていた。
西麻布のレストランから出て、自宅に向かうタクシーに乗る。
都内にあるお互いの自宅マンションは徒歩数分の距離にあった。
男の仕事はタクシーを降りた後、自分の部屋に誘うことだけだった。
「ち、ちょっと」
「ん?」
「今日はうちに来ないか?」
ありったけの勇気を振り絞り、男は訊いた。
今日は俺のストロベリー・オンザ・ショートケーキの日だ。
女は即座に答える。
「ねぇ、そんなことよりハグしてみる?」
男の背中に手を回し、少し背伸びをして、耳元でささやく。
「今日はそういう気分じゃないの」
女は颯爽と歩き出し、自宅のエントランスに消えた。
翌日の週刊誌で、女は交際についてこう答えていた。
「食事はしたがそれ以上の関係ではない」
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