日経新聞を読むと暗い話が目につくようになってきた。
最近では富士通で希望退職者を募集して、2850人が応募したという。
NECでは3000人がグループを去ることになる。
日本企業では解雇の要件が厳しいので、従業員を減らしたい場合は希望退職という形を取って、
「条件を良くしますから退職したい人は手を上げてね」
という形を取る。
容易に想像できるように、希望退職者の募集が出たときに真っ先に応募するのは「辞めても他で働くことができる優秀な社員」で、行く先のない人は手を挙げずに会社にしがみつくことになるだろう。
もしかしたら「希望退職」という形を取りつつ、会社の中ではできない人にプレッシャーを掛けているのかもしれないが、専門性があって他への転職を元々考えていた人にとっては濡れ手に粟というか、退職金割増は願ってもないチャンスであることは間違いない。
希望退職で固定費を削ってその場しのぎで業績を回復させたとしても、優秀な人間が去ってしまっては未来のチャンスを掴むのは難しい。
もっとも、優秀な社員が会社の中にいたとしても、無能な人が優秀な人間を押さえ込み、力が発揮できていない可能性は高いのだが。
日本のIT系大企業には、自らは手を動かすことなく、いかに多くの人を動かし、管理できるかを評価する文化がある。
サッカーにたとえるなら、いかに自分でボールを蹴らずに、選手に指示してたくさん勝ち星を上げたかが評価される、という感じだ。
会社が安定しているうちは自らの立場をずっと維持し、ひたすら指示を出す立場でいられたかもしれないが、会社の業績が危うくなると自分の立場も怪しくなる。
サッカーの監督でいるのであれば「監督のプロ」になるために監督としての専門スキルを学んでいけばいいのだが、日本企業では「その会社固有のスキル」を重視するため、社外に持ち運びできる汎用性のあるスキルが身に付きにくい。
作家の橘玲先生はこのような「会社特有のスキル」を「企業特殊技能」と呼んでいる。
アメリカがどの職場でも使える「一般的技能」によって運営されるのに対し、日本はその会社固有のスキルしか身に付かないような人事制度を取ることで会社に依存させ、人材への投資が無駄にならないように運営されているのだ。
富士通やNECで起こっているのは、会社を信じ、忠誠を尽くし、自分たちは大企業に入社した勝ち組と信じ、会社に任せるがままにキャリアを積んできた中高年に対する会社からの裏切りで、逆に考えれば、自ら頭を使って考えることなく会社を信じ切ったまま時間を過ごしてきた怠惰へのしっぺ返しであるとも言える。
今回のIT企業のリストラからは、「いま調子の良い大企業」に入ったとしても、会社にキャリアを任せっきりにするのではなく、自分で考えて、未来に備えて専門性を磨き続けることの大切さを学ぶことができる。
「そもそも自分の強みやキャリアについて考えた経験もない人が多い」
— たらちゃん (@tarachannnew1) 2019年2月23日
…マジでこうはなりたくないな pic.twitter.com/qT3Y9umfFu
IT丸投げ大国ニッポン
『週刊ダイヤモンド 2019年2月23日号』では、IT人材の枯渇問題に触れつつ、日本のIT人材の業界の不幸な黒歴史に触れられている。
バブル崩壊後の1990年代。
資金的、時間的に余裕のない日本の事業会社がシステムインテグレーション(SI)ベンダーに基幹システムの構築を丸投げした。
基幹システムとは、企業がビジネスを行っていく際に根幹となる業務システムのことで、海外では将来の稼ぎに関わるシステム構築は自分たちで作るのが基本である。
日本の銀行やメーカーがIT部門の仕事を富士通やNTTデータ、NECに丸投げした結果、「ITゼネコン」とも呼ばれる重層構造が確立された。
一次請けのSIベンダーがより人件費の低い下請けのベンダーに開発を丸投げし、日本のIT人材がSIベンダーのピラミッドの中にロックインされた。
結果、古くから使われている基幹システムを守ることに多くの人材が費やされてしまい、「高度IT人材」は生まれにくくなったという。
メーカーや銀行がITシステムの開発を丸投げし、それを受けたSIベンダーが開発を下請けに丸投げする。
殺し合いの螺旋よろしく、丸投げの螺旋の頂点にいるのが冒頭でリストラの憂いに遭っているNECや富士通なのだ。
下請けに投げているだけでは専門性は身に付かないのである。
以前、Google社員の方と話したことがある。
Googleではマネージャーもほぼ全員がプログラマだった人で、たとえ開発部門ではないとしても、コードを書けない人は誰一人としていない、と言っていた。
ITに関係ない人には少しむずかしい話かもしれないので簡単な例で説明すると、Googleで監督やコーチの立場にある人は、みんな元々は一流のサッカープレイヤーとして活躍していた人たちばかりで、ボールを蹴ったこともないような人が監督になることはない、ということだ。
「日本のIT」というと主語が大きくなりすぎるが、『週刊ダイヤモンド』に「丸投げ大国」と揶揄されているIT系の企業では、リフティングもできない監督がサッカーチームを率いているようなものである。
それが一概に全て悪とは言えないものの、専門性があるとは言い難く、また専門性のない中高年社員は会社が傾けば自らの立ち位置も辛くなってしまうのは想像に難くない。
結局、自分を救ってくれるのは会社ではなく、自らの努力で身に付けた専門性であり、経験でしかないのだ。
会社を常に疑えとは言わないが、他山の石として大手ITのリストラから学び、自らのキャリアを会社に「丸投げ」しないよう自分の頭で考えていく必要がある。
報酬は自分の市場価値に落ち着く
転職活動は自分の市場価値を見直すのに役に立つ。
会社というタコツボの中で似たような業務、似たようなメンバーで仕事をしているうちは、社外における自分の価値がわからないからだ。
転職活動のための履歴書を書いてみるだけでも大きな効果がある。
自分が会社でどんな実績を上げてきたのかを棚卸しできるし、何が足りないかもわかる。
履歴書に書けるような経歴を積み重ねるには何をすればいいかも再確認することができる。
大手IT企業に勤めていた友人が最近、ボストン・コンサルティング・グループに転職していた。
「大手ITから戦略コンサルへ」の流れは最近、増えているように感じる。
しかしながら、そういうチャンスも転職活動をしながら日々アンテナを張っていないと転がってこない。
チャンスは準備ができている人のところにしか回ってこないのだ。
大手SIerで「毎日本当につまらない」とぼやいていた方は、転職してから毎日楽しそうに会社の話をFacebookに投稿するようになった。
悩んでいる人はさっさと転職してしまった方が幸せになれるのかもしれない。
モヤモヤとした感情を抱えながら20年も30年も働き続けるのは本当に辛い。
転職活動は自分の市場価値を突きつけられる厳しい一面もあるが、自分を客観視できるチャンスでもある。
我々の報酬は結局、我々の市場価値に落ち着く。
業務の内容よりも報酬が明らかに上振れしていると感じているなら少し危険だ。
転職市場での自らを曝し、評価を確認するのもいいかもしれない。
最後にちょっとした宣伝になってしまうが、「ミイダス」は気軽に自分の市場価値を算出してくれる良いサービスだと思った。
ミイダスから「求められているスキルや経験」に関する質問が来て、それに答えていくと自分がどれくらいの年収レンジで求められるかを把握することができる。
スキルや経験を登録しておけば、その経験に応じて企業側からオファーが来る仕組みになっている。
自分も参考程度に利用しています。