【書評】齋藤孝『ネット断ち 毎日の「つながらない1時間」が知性を育む』



本を買うときには二種類のモチベーションがあります。

一つは、興味はあるけどまだ知らない何かを学ぶため。
もう一つは、自分と似たような主張を述べる本を読んで自説を強化するためです。

齋藤孝先生の『ネット断ち』を購入した動機は後者です。
僕はこれまでに何度もネット断ちならぬ「ツイッター断ち」にチャレンジしては破れ、いつまでもツイッターから離れられずにいました。

ネットには時間を溶かす副作用があることに気付いていたからです。

『ネット断ち』にはこの限られた時間を溶かしてしまうインターネットを断つ方法が書かれているのではないかと期待していたのですが、この本はそういう本ではありません。

一言で言うと、「一日1時間ネットを断つ時間を作り、古典を読んで教養を深めましょう」というものです。


* * *

現代人がネットサーフィンに費やす時間は平均4時間を超え、情報の洪水の中で溺れている。
インターネットの常習性に取り憑かれ、常にネットに気を取られている現代人は心が漏電しているようなものだ。

精神力は使えば使うほどに減っていくもので、現代の多くの人はインターネットに心のエネルギーを消費してしまい、それ以外に向けられる精神エネルギーが相対的に少なくなってしまっている。

だから我々は「インターネットは一日30分」のようなルールを作り、ネットから離れる習慣を身につける必要がある。
そのネットから離れた時間で何をするべきか?

古典をじっくりと読んで、別の世界に沈潜(ちんせん)するべきだ。
沈潜とは深く没頭することである。

古典や文学作品の世界に沈潜することで、それまで知らなかった世界を知ることができる。
そこでは生きた知恵、深い人格と出会うことができる。

* * *

「ネットを断つ」話に触れているのは1章が主で、その他は齋藤孝先生が「読んで良かった本」の紹介です。
ネットの話はおまけで、本当は素晴らしい古典を紹介したかったのではないでしょうか。

現代人はネットの薄っぺらい情報ばかりに触れていて、古典に沈潜する時間がない。
古典をじっくり読んで、偉人の人格を追体験することで人間として深みが出るぞ、と伝えたかったのだと思います。

すごく穿った見方をすると、典型的な「お勉強が好きな東大卒の文系学者っぽい本」とも言えます。

というのも、「深く集中して古典を読めば自分自身が豊かになる」という主張自体がふわっとしたもので、そもそも「自分自身が豊かになる」とはどういうことなのかがよくわかりません。
またそれぞれの主張を裏付ける研究や実験にもほとんど触れていないため、齋藤孝先生のエッセイの域を出ません。

海外でヒットして日本語に翻訳されるようなビジネス本はこれでもかというくらいエビデンスを紹介してきます。
主張には裏付けがないと意味がないと考えているからですね。

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『キングダム』39巻「所詮“文官”の発想の域を出ないものだ」


学者やブロガーは古典が元ネタになって収入につながるかもしれませんが、
多くのビジネスマンは古典を読んでも自分自身の収入のアップには直接的にはつながりにくく、古典を読むよりはプログラミングの勉強をした方がおそらく経済的には豊かになります。

が、斎藤先生が伝えたいのはそういう即物的な豊かさを重視することではなく、
古典を通じて偉人の人生を追体験し、思考の引き出しを増やしていくことの大切さでしょう。

そして僕はそんな斉藤先生の主張に賛成します。

知識を得ることで、物事の見方が変わります。
美術作品を見ても何も感じないのは、背景知識がないからです。

美術史を学んだ後に作品を見ると、「この作品は何を描いているのか」「どんな社会でこの絵を描いたのか」が読み取れるようになります。
それは「人生で楽しめるものが増える」ことに他なりません。

歴史を学ぶことで、現在直面している課題に対するヒントが見えてくることもあるでしょう。
斉藤先生はどちらかというと「沈潜すること」そのものが目的であるように述べていますが、僕はどうしてもそこまで達観できず、「その知識がどう役に立つのか」を考えてしまいます。

しかし目的の違いはあれど、古典を読んだり歴史を学ぶことがネットサーフィンよりも自分自身にとってプラスになるのは間違いありません。

ネットを断って、本を読もう。

『ネット断ち』は本を読み続けてきた齋藤孝先生の「ブックガイド」として読んだほうが、その本質を突いていると思います。

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

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