田舎の公立中学校に子供を入学させることはリスクなのか




この記事は僕個人の体験に基づいたサンプル数1の事例である。
僕が住んでいた地方特有の現象かもしれず、他の地方の公立中学校には当てはまらない可能性が高いことを予め記しておく。


僕が通っていた人口8万人の田舎の公立中学校は、暴力が支配する修羅の国であった。

強いヤンキーが権力者として君臨し、武力による明確なヒエラルキーがあった。
正確にいうと、武力だけではなく、

「いかに悪いことができるか」

でヒエラルキーの中での立ち位置が決まっていたと思う。

一部のヤンキーはピアスの穴の大きさを競いあい、耳の穴から“向こう側”が見えることを誇りにしていた。
万引きした商品の金額を自慢するヤンキーもいた。
“鯉の滝のぼり”という、タバコの煙を口から吐いて鼻から吸うような、そんな技を披露して自慢するヤンキーもいた。

いま振り返っても無法者が崇め奉られる悪の世界だった。

もちろん、全ての生徒が不良だったわけではない。
真面目な生徒もいれば、不真面目な生徒もいる。

しかし学校内では「不良の方が偉い」「不良に逆らってはいけない」という暗黙のルールが完全に確立されており、
生徒の生存戦略としては、不良と全く関係ない世界で細々と生きるか、不良のピラミッドを登っていくかの二択を迫られている部分があった。

特に女の子にモテるためには不良になる必要があり、思春期真っ盛りの中学生にとっては「不良化」の誘惑に抗うことは難しく、
ヒョロガリのチビだった僕も当然ながら不良の世界での出世を目指し、番長のパシリとしてキャリアをスタートさせた。


* * *


中学の勉強は簡単だと思っていた。
中学校1年生の定期テストでは学年3位以下に落ちたことはなかったし、部活をやりながらでも成績が落ちることはなかった。
中学1年のときのクラスはまだ不良が少なく、また潜在的な不良もその悪の才能を開花させておらず、平和だったのだ。

中学2年のときにクラス替えがあり、才能を開花させたヤンキーが支配するクラスに配属された。
そこでは「勉強する奴は格下」みたいな空気があり、不良に憧れたというか、モテたくて仕方なかった僕は、とにかく勉強しないように努めた。

授業では無意味に先生に反抗することで周りの注目を集めようとした。
いま思えば、完全に周りは白けていたと思う。
ただ不良の世界で成り上がりたかっただけなのに、完全に浮いていた。

世界を変えたければ、ルールを作る側に回らなければならない。
学校のルールは教師が作っているのだ。
教師に反抗して授業中に教室から飛び出したところで、ルールというカゴの中から出ることはできない。

教室から飛び出しても行く場所がなく、かといって教室に戻るのもカッコ悪いため、トイレで時間を潰し、休み時間にまた教室に戻った。
何がしたいのか意味不明であった。

授業をサボる快楽よりも、汚いトイレで時間を潰す方が苦痛だった。

「なんでこんな臭い場所に30分も立ち続けなければいけないんだ」

と自らの振る舞いを呪ったことを今でも覚えている。

貧乏な市の公立中学校のトイレは汚くて臭いのだ。

その上、たまにヤンキー達の喧嘩の舞台になってすこぶる治安が悪い。

不良の巣窟となった中学では、トイレで突然

「ゴルァ!」

みたいな喧嘩が始まることもあり、安心して用を足すこともできないのだ。

子どもは親よりも友人に影響を受ける

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親はとてもまともな人だったと思う。
真面目で一生懸命な人だった。

親の影響を受けたまま育っていれば、僕が不良を目指すことは絶対になかったと思う。

しかし哀しいかな。
13歳の少年にとって大事なのは、親よりも友達である。

親にどんなに不良化を止められても、夜の街に飛び出したい衝動を抑えることができなかった。
不良の世界の先には、めくるめくモテの世界が待っていると思っていたのだ。
どれほど親が心配しただろうか。

自分が親となる世代の年齢に差し掛かり、親の心配がよくわかる。
自分の子供が突然髪を茶色くし始めて、怪しげな眉毛のない中学生とつるみ始め、スクールバッグに「喧嘩上等」とか書き始めたら泣きたくなるだろう。

どこで間違ってしまったのだろうと自分を責めてしまうに違いない。

でも母さん、安心して。
母さんは何も間違ってないから。

子供はね、親の教育よりも周りの友達に影響されてしまうものなんだ。
だからこそ、「どんな生徒がいる学校に入るか」が大事なのだ。

田舎の公立中学はボラティリティが高い選択となる

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中学校2年まで、成績が良く容姿端麗で、みんなに好かれているような女の子がいた。
その子はとても優秀だったので、周りの人はその子が進学校に進むと信じて疑わなかった。

その子の人生の転機は中学2年の二学期だった。

学校一頭の悪いヤンキーに口説かれ、なんとお付き合いを始めたのである。
それからはひどい有様だった。

あの可愛い子が髪をかき乱しながら昼休みに彼氏と殴り合いの喧嘩を始めたり、髪を染めたり、夜中まで街をうろつき始めたり、まるで別人のようになっていった。
日中親がいない彼氏の家に入り浸り、中学生ながらに不埒な毎日を送っていたようだ。

僕は当時は正直言ってマジで羨ましい、不良の世界には夢があるなどと思っていたが、今振り返ると彼女の転落はもったいなかったと思う。

結局、彼氏と一緒の高校に行くために最も偏差値の低い高校を受け、無事に合格し、高校1年生で破局した。
それからはなんだかメンヘラ化してしまっているようで、大人になってから見たmixiやFacebookの投稿も常に不安定な様子だった。

その子が人生全てが不幸であるとは言わない。
むしろその時々の幸せを全力で追いかけてきた結果だろう。
彼女は悪くない。

それでも。
それでも、あそこでヤンキーと恋に落ちてなかったら、彼女の人生は全く別のものになっていただろうと思わずにはいられない。

中学生にとって、恋人の影響はあまりにも大きいのだ。
その影響は親の教育や塾の先生の熱意をはるかに超える。

それまでの教育の成果など恋人の影響で簡単に吹き飛んでしまう。


* * *

こうやって考えると、田舎の公立中学校に子供を入学させることはリスクが高い選択肢のようにも思える。

「リスク」というのは「危険」という意味ではなく、「良い方向に働くか悪い方向に働くか予測しづらい」という意味だ。
もしかしたら子供が不良に影響されて突然ヤンキー化するかもしれないし、何も影響を受けずに多様性の中で個性を育んでいくかもしれない。

しかし僕自身が不良化した経験から、武力や素行の悪さで序列が決まる環境よりは、成績で序列をつけられる環境にいたほうが、子供の人生がめちゃくちゃになってしまうリスクは少ないことはほぼ確信している。

そして当時、不良の家に入り浸った経験からもう一つわかっていることがある。

不良の成績はすこぶる悪いのだ。

授業についていけないところから不良が始まる

僕は中1のときに成績優秀で、遅れて2年から不良にデビューした中途半端な生徒だった。
不良界では完全に出遅れて、そのせいなのか、あるいはチビでガリガリだったからか、番長のパシリにしかなれなかった。

しかし番長の傍らで不良たちを見ていたら、みんな本当に勉強ができないことがよくわかった。
あいつらマジで勉強ができない。たぶん掛け算もできないレベルだ。

逆に言うと、おそらく小学校前半くらいから学校の勉強についていけなくなって、勉強面で自分を主張できなくなった子たちが不良になっていくのだろうと思った。
勉強は小さな頃からの積み重ねなので、小学校の低学年で遅れ始めたらなかなか挽回できなくなってしまう。

子供の不良化を避けたいのであれば、スパルタ教育せよとまでは言わないが、学校の勉強から脱落しないようケアする必要があるだろう。

もう一つ、不良化の確率を減らすには、子ども自身を強く育てるのが良いのではないかと思っている。
もし僕に子供ができたら総合格闘技を習わせたい。

僕が不良に流されたのは、自分自身が弱かったからに他ならない。
自分が弱く自信がなかったから、不良の肩書をバックに偉そうにしたかったのだと思う。

俺に力があれば...
あんな世界に流されずに済んだのに...

とか考えてしまうが、実際はどうなのかは正直わからない。

ただ間違いなく言えるのは、武力が支配する中学校では、本当に「心理的安全性」が全くなかった。

常に誰かに理不尽にキレられる恐れがあったし、不良の中にも姑息な奴がいて、いつ悪事に利用されて貶められるかもわからない状態だったのだ。
たとえば、万引きの罪を被せられそうになったり、散々だった。

そういう意味不明な理不尽は、自分に武力があれば跳ね返すことができる。


* * *

ここまで自分の思い出話を書いて、他の地方の公立で過ごした人はどんな風だったのだろうとすごく気になる。
僕の住んでいた市には4つか5つほど中学校があって、そのどれもが不良が支配していた。
たまに中学校間で不良の代表が集まって戦争していたくらいだ。

東京の中高一貫の私立の学校は平和なのだろうか?
東京だったら公立中学でも規律が守られているのだろうか?


いつか子供ができる前に、現代の教育事情が知りたい。

「入ってみないとわからない」

という公立中学ガチャは一回きりの人生にとっては正直、リスクが高すぎるように思える。