他人のブログをパクっても意味がないし、もったいない



前回、「ブログのパクリ対策と予防策」という記事を書きました。

ブログをパクってもお金を稼ごうとしてもGoogleに見破られるし、対策もされるし、告訴される可能性もあるしでいいことないよ。
逆にコンテンツを作る側も予防できる範囲で対策しておこうね、という内容です。

さて、ブログのパクリは無意味で無価値だと思いますが、それ以上に「もったいないな」とも思います。

わざわざ他人のコンテンツをパクらずとも、オリジナリティがあって、読者のためになりそうな内容をコツコツ発信していれば、いつかGoogleが評価してくれるし、何よりブログを続けていくことで蓄積される経験にこそ価値があるからです。

他人のコンテンツをパクるのがもったいないと思う理由と、なんだかんだで4年間ブログを続けてきた男の想いを書き連ねてみます。

ブログを育てる過程に価値がある

何かを上達させるために必要なのは、「もっとうまくなろう」という意志を持ち、工夫しながら継続することです。
毎日一つずつ記事をパクッてブログを作っていっても、その過程で成長することはありません。

自分で考えていないからです。
毎日車を運転していてもプロのドライバーにはなれないように、毎日家で料理してもプロのコックにはなれないように、「ただ作業を続けるだけ」では成長しません。

自分で考えて、悩んだり調べたりしながら続けていくと、ちょっとずつ上達していきます。

「なんでこの記事、Googleで検索上位に表示されてるんだろう?」

「適当に書いた記事、SNSでシェアされまくってて何があったん?」

「めちゃくちゃ気合いれて書いた記事、全く鳴かず飛ばずで私は貝になりたい......」

なんてことはしょっちゅうです。

本当にこんなんばっかりなのですが、毎日毎日仮説を立てながら検証を繰り返していると、少しずつ仮説の精度が高くなってきます。

「あれ、この記事がSEOで評価されたのは、見出しにキーワードを詰め込んでみたからじゃないの?」

「こういう表現で文章を書いたら響いたっぽいな...」

みたいに、ちょっとした気付きが生まれて、それを再現できるか試してみるうちに、知らず知らずのうちに自分の中にノウハウが溜まってきます。

そうやって経験に基づいたノウハウが溜まった状態で、書籍を読んだり他の人の意見に触れてみると、点と点がつながって線になることがあります。

この過程にこそ、価値があります。

他人のブログをパクっても経験が蓄積されず、かけた時間は「ただの作業」に過ぎないのですが、自分で考えて、手を動かして、試行錯誤を経て経験を積むと、仮に全てを失ってゼロから始めても、また同じものを作り出すことができます。


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絵もいつかうまくなるはず...

オリジナルな体験に価値がある

人のブログをパクる人は、労力を投入したくない人か、考えるのが嫌いな人か、自分自身の成功体験がない人でしょう。
語れる経験がないから、うまくいっている人の経験にタダ乗りし、自分の利益につなげようとします。

でも数学の公式を丸暗記しても応用がきかないように、他人のブログを丸パクリしても状況に応じた柔軟な記事を書けるようにはなりません。
内容が時代遅れになったとしても、キャッチアップできないのです。


「そんなことを言われても、自分には書けるようなものは何もないよ」という人も、少し立ち止まって考えてみてほしい。

いま語れる経験がないのは逆に、ものすごく「オイシイ」ポジションにいるのだと。

成功者は常に少数派です。
世の中のほとんどの人は「いつか何かを成し遂げたいと考えながら、もがいている人」です。

何も持たない人は得です。

だって、何も持たないところから這い上がっていくストーリーを作っていけるのだから。
そのストーリーは完全に、その人だけのオリジナルストーリーです。
同じように何も持たなかった人に、希望を与えるストーリーです。

最近のツイッターでは、「落ちこぼれだったのに年商1億円」とか、「中退したのに従業員100人の社長」みたいな怪しいアカウントが大量に発生しています。
彼らの発信内容がことごとく薄っぺらくて具体性がないのは、実体験がないからです。

頭の中で頑張って設定を作り込んでも、発信を続けていくうちに矛盾が生じて、嘘くさいものは見抜かれてしまうんですね。

だから結局は嘘をつかず、自分のオリジナルストーリーを自分で作っていくのが遠回りなように見えて近道です。

さらに言うと、Googleは「オリジナリティのある記事を評価する」と常に強調しています。
オリジナリティを生むのは、オリジナルな経験です。

人より行動し、人より考え、人よりたくさん本を読み、人よりたくさんチャレンジしているうちに、オリジナリティは身に付くものだと僕は信じています。

パクるのではなく、研究する

他人の文章をパクるのはNGですが、うまくいっている人を研究するのは定石です。

SEOに関しては、

  • 検索1位のサイトの記事の構成を研究する
  • 自分の記事と比べて何が優れていて、自分には何が足りないのか比較する
  • 検索結果の1ページ目に表示される記事の内容をまとめて、深掘りして、追記する


などは当たり前にやります。
オリジナリティは大事ですが、「うまくいっている人のやり方を真似る」ことも大事です。

「どうしたらもっとうまくなるかを工夫しながら継続する」ということは、「うまくいっている人のやり方を取り入れて自分のものにしていく」ことでもあるからです。

文章を丸パクリするのではなく、一段階抽象度を上げて、「うまくいっている人のノウハウを見て学んで習得する」イメージです。

ウェブの世界では特に、お手本が山のように転がっているので、ぼんやり眺めるのではなく「研究する」つもりでネットサーフィンすると情報収集が勉強の時間になります。


日本語能力も研究することで少しずつ上達していきます。
心に響く文章を書く小説家の一文を写経したり、声に出して読んだりしているうちに、少しずつ自分なりにしっくりくる文章が書けるようになってきます。

文章は奥が深く研究に終わりがないです。
だからこれからも変わり続けていけるし、面白いんです。

ブログ周辺の知識が実用的

記事を作りながら発信していると、他の人のブログをただ読むのではなく研究するようになります。
そうすると、

「なんでこの人のブログ、見やすいんだろう?てゆうか、デザインかっこよくない?

などと気付いて、そこからWordPressの有料テーマを調べてみたり、CSSの勉強を始めるきっかけになったりもします。

自分で広告を貼ってみると、世の中のウェブサイトがどうやってマネタイズしているのかを意識できるようになります。

僕の場合は、ユーザーにもっと面白い機能を届けるためにJavaScriptを勉強してみたり、検索エンジンに評価されるためにSEOの研究をしたり、リスティング広告を出してみたり、Googleアナリティクスを使って分析してみたのも、全てブログがきっかけです

ブログを書いて発信しているうちに、ウェブの世界を見る解像度が上がり、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。

「何かを学びたかったら、まずそれをやってみる」

というのは、どの分野にでも当てはまる上達の法則のように思います。

ブロガーといえば、脱社畜を煽って会社通いも続かず、胡散臭いアカウントを大量の発生させ、それらを仲間内で褒め称え合いながら怪しい情報商材を売りつけようとするヤバイ人達というイメージが強く、ネットでは大いにディスられがちですが、ブログ自体は悪くありません。

包丁や車が悪ではないように、ブログも一つのツールに過ぎません。
どう活用するかは自分次第です。

それに、ページビューを稼いだり広告収入を得ることだけがブログのメリットではありません。
金融やプログラミングなど、勉強した内容をブログにアウトプットしていけば理解が深まります。

インプットした内容は、アウトプットすることで記憶に定着するのです。

ブログで技術情報を発信し続けて、プログラマーとしての職を得た人もたくさんいます。

「ブログで脱社畜!」

「今月ブログ収益は◯◯円!」

みたいな人がツイッターでは目立っていますが、自分の第二の名刺としてブログを作っていくのも良い選択です。