学ばなければならないことが多すぎる現代で、僕たちはどう生きるか



ゴッホさんの何気ないツイートに対して様々な指摘が入っているのを見つけました。


中国について考えるには領土の問題、安全保障の問題、これまでの歴史を踏まえた議論が必要となるのでしょう。

「中国の覇権」といえば、手元にある本にも書いてあったのですが、中国は1988年にベトナム兵を70名以上殺害して南沙諸島を侵略したり、1994年にフィリピンからミスチーフ礁を奪取して要塞化したりと割と好き放題やっているようで、「中国が覇権を握れば恩恵を受けることができる」と言い切れるかどうかは怪しいところではあります。

貿易戦争や、中国のテクノロジーの締め出し問題については新聞でさらっと読んだくらいで、詳細な背景はわかってません。
爺さん曰く、「歴史が動いた」と。


ネットで何かを語るにはその対象について深く理解してなければならず、軽い気分で発信するとあちこちからツッコミが入るのがインターネットです。

後述しますが、初見でイラッとするような指摘も、深呼吸して冷静に活かすならそれほど悪いことばかりではありません。


ところで最近、『蒼天航路』という陳寿の『正史 三国志』をベースにした漫画にハマっています。
『蒼天航路』では主人公の曹操孟徳が万能の天才として描かれています。

蒼天航路 全18巻 完結コミックセット (講談社漫画文庫)

蒼天航路 全18巻 完結コミックセット (講談社漫画文庫)

幾多の兵法書や五経などは次から次へと暗記し、武芸にも秀で、女にもモテまくる超人です。

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『蒼天航路』第一巻より

戦争中でも夜は読書にふけり、孫子の兵法に注釈を入れたり、何万人という才能のある人間を覚えていたり、とてつもない才能を持つ怪物として描かれています。

このような描写はあくまで曹操が主人公の漫画の世界の話ではありますが、実際に曹操が「破格の人」として人々に畏敬の念を抱かれていたのは間違いありません。

でも、そんな万能の天才を漫画で読みながら、ふと思ったんですよ。

2000年前の人が読んで覚えた兵法書や五経って、現代の大学受験で覚える量よりも少ないのでは?

グーテンベルクが活版印刷を発明してから、世界に流通する情報の量は爆発的に増えました。
インターネットの時代になって情報のコピーがほぼゼロコストで行われるようになった結果、情報はさらに爆発的に増え、それが現在の機械学習の旺盛にもつながっています。

印刷技術がない三国志時代は、人々が得られる情報の量は今よりもずっと少なかったはずで、日本史の教科書くらいの量の情報を丸暗記できれば「天才」と呼ばれたのかもしれないな.....と、しょうもない妄想をしていたわけです。

もちろん本の内容を覚えているからすごいというわけではありません。
曹操を貶めたいわけでもありませんし、乱世の奸雄の評価は微塵も揺らぎません。


何が言いたいかというと、現代は情報が溢れてまくっていて、覚えるべきことも多すぎて、知識人として必要な情報を全て学ぶのは難しすぎるのではないか、ということです。


最近流行りの副業して、確定申告するなら税金について知っていなければいけません。
企業活動を理解するなら会計の知識も必要でしょう。

マクロ経済の知識がなければ、日経新聞を読んでも起こっている事象の背景を理解することはできません。
政治と地政学の知識がないと、各国の利害関係を読み解くことも難しいでしょう。

会社員ならば、これからの時代に備えて英語と中国語も学んでおきたいところです。

日本史や世界史を学び、歴史的な経緯を踏まえて語ることができれば、主張に説得力を持たせることができます。

「食べログのレビューが信用できないからGoogle Mapも調べよう」という記事を書いたら、「貴様は食に関する教養がないから食べログのレビューの真実を読み解けないんだ」と批判されていたこともあります。

となると、食の文化、レストランの情報も学ばなければいけません。

法律を知らなければツイッターでよく話題にあがるDV男や離婚について語ることはできませんね。
また法人を設立したくなったときや、労働問題について考えるときにも法の知識は不可欠です。

男女の違いを付け焼き刃の知識で進化と絡めて語ったときに、「何もわかってなくてウケる。適応論を学べ」と指摘をいただいたこともあります。

そこで生物学をきちんと学ばなければいけないなと思い、いま部屋の本棚には高校生物の参考書と大学の「分子生物学」の教科書が並んでいます。
進化生物学の定番エッセイ本も買い集めたので、いずれ読み込まなければと思っています。

テクノロジー全般の知識がないと、これからのデジタル社会を理解することはできないでしょう。セキュリティの知識も必要ですね。

僕たちは当たり前のようにテクノロジーの恩恵を受けていますが、世の中で使われているIT技術がどんなものかと認識するためには、基礎的なプログラミングスキルも必須です。

今は機械学習エンジニアの年収がべらぼうに高いと言われていますが、高校〜大学の数学を理解していないと、機械学習の理論を理解することはできません。

同じように、統計学を学ぶにも数学の知識が必要です。アルゴリズムの計算量を理解するにも数学が必要です。
経済学も数学がわかってないと途中から学ぶのが厳しくなりますよね。

また、冒頭に書いた米中貿易戦争の話もそうですが、近年のビジネス事情についても理解しておかないと、ビジネスを語ることはできませんね。


色々と自分が学びたいこと、学んでおきたいこと、学ばないとディスられがちなことを書き連ねてきました。

現代を生き抜く上で必要な最低限の教養とも言えそうですが、一人の人間がこれを全部学ぶなんてできるのでしょうか?

自分の強みに集中せよ

人にはそれぞれ強みがあります。
ツイッターなどの色々な人の目につく場所で発信すると、それぞれの人が自分の強みに応じて好き放題ツッコミを入れてきます。
全ての人のツッコミをかわすためには、全ての分野に精通しなければいけません。

言うまでもなく、そんなことができる人はいません。

何を書いてもディスられる世界で、僕たちはどう生きればいいのでしょうか。

ドラッカー先生が重要な示唆を与えてくれます。

人の卓越性は、一つの分野、あるいはわずかの分野において実現されるのみである。

絵画、建築、科学など様々な才能を持ち、ルネサンス期の理想的人間像である「万能の天才」と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチでさえ、その広範な関心にも関わらず、デザインの分野で業績を残しただけである。

もしゲーテの詩がすべて失われており、余技の光学や哲学の業績が残っていただけならば、百科事典の脚注にも値しなかったに違いない。

P.F.ドラッカー『経営者の条件』強みによる人事 より

ドラッカー名著集1 経営者の条件

ドラッカー名著集1 経営者の条件

なので、ひとかどの人物になりたいのであれば、

「全部学ばなきゃいけない!」

と焦るのではなく、むしろ「何を捨てるか」を決断しなければいけません。

全てを極めることはできないので、自分の強みと向き合って、「これからの人生で何の専門家になりたいのか」を自分で決めて、他の道を断たなければいけないのです。

世の中に貢献できる専門性を身に付けたい場合は、中途半端にどれもこれもに手を出すのではなく、「捨てる勇気」が大事です。

指摘ドリブン勉強法

世の中には残念ながら、品がないディスり方をしてくる人もいます。

「お前、とりあえず悪口を言いたいだけだろ」と小一時間くらい問い詰めたくなるような人も中にはいますが、怒りを抑えて冷静に指摘を観察すると、そこには「学びの種」があります。

「嫌なアンチにはどう対応すればいいのか」という記事を書いたときは露骨な悪口を見て冷静さを欠いていたのですが、数日経ってみるとむしろ学びの機会だな、と思い直しました。

ツイッターで批判する人のほとんどは「否定はするけど答えは教えてくれない人」「否定はするけど自分は発信しない人」です。
そのため、ツイッターを眺めているだけでは残念ながら正しい知識を得ることはできません。

ですが、そんな批判が「じゃあ次はこの人が反論できないくらいこの分野の勉強してやろう」と奮起するきっかけになれば、自分の至らない部分を補い、知識を深めるチャンスになります。

これをインターネット時代の「指摘ドリブン勉強法」といいます。

日本語にすると「指摘に突き動かされる勉強方法」ですね。

全ての分野の勉強しようとするとキリがないですが、自分の専門としたい分野を学ぶにも、指摘ドリブン勉強法はものすごく効果があります。

第一に、発信を前提に学ぶのでインプットの効率が高まります。
第二に、指摘によって誤った知識を修正できるので、理解が甘い部分が明確になります。

指摘ドリブンで勉強することで、高速にPDCAを回すことができるのです。

少し前にマイナビの年収グラフがツイッターで話題になりました。

散々ディスられ、やられた本人としてはたまったもんではなかったと思います。

しかし批判されたことで「このグラフは何かがおかしかったんだな」ということがわかります。
グラフの書き方を改めて勉強するきっかけになるかもしれません。

一時的に炎上しても、数日経つと誰も話題にすら上げなくなるので、暴言をスルーして学びとなる部分だけ吸収するならば「ディスられるのは逆に美味しい」ともいえるのです。

これが真の意味での「アンチを養分にする」ということなのでしょう。

完璧を目指さずさっさと出して、指摘されたらそこから直す努力していこうぜ、ということです。

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雑記ブロガーは学び続けなければ死ぬ

これまでと別のテイストで、最後は個人的な話で締めます。

僕は本業が窓際会社員で、副業が雑記ブロガーです。

雑記ブロガーは「専門性がない人種」の最たるもので、興味の赴くままに様々なことを発信するため、一つの分野に精通できません。
それでいて、中途半端な知識で発信すると指摘が入るため、常に何かを学び続けなければならないという圧力がかかります。

雑記ブロガーのような雑事を書き連ねる物書きには、幅広く情報を収集する努力と、その分野について60点程度までの知識を素早く理解する能力が求められます。

中堅文系大学1、2年生の中間レポートくらいの作業量を3日でこなし、それを年中継続するイメージでしょうか。
好きじゃないと続けられないですね(笑)


ところで、司馬遼太郎先生は小説を書くときはトラック一台分の資料を古本屋でかき集めてきたそうです。

(司馬遼太郎の)資料集めへの執念はすさまじく、一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めた。

司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話があった。

当初は軽トラックで乗り込み、古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、関係者らと荷台に乗せていったという。

『坂の上の雲』執筆に際しては、神田神保町の神田古書店街の古書店主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古書店に行っても資料がなかったという逸話も残る。

司馬遼太郎(wikipedia)より

僕はこのエピソードが好きで、何かを書くには執念深く情報を集めなければならないのだ、という教訓になると思っています。

良質なインプットなくして良質なアウトプットなし、ということです。

ブログを続けるためには、ひたすら学び続けなければいけないのですね。