「体育会系のノリ」を会社に持ち込むのは危険



「体育会系のノリ」というものがある。

チームの規律は個人より大事
基本的に先輩が偉い
根性で声を出せ

みたいなスポーツマン特有のしきたりのようなものもあるが、今回考えるのは「体育館や球技場の外」の話。
つまり飲み会での「体育会のノリ」についてだ。

体育会の飲み会は大げさに言えば、「ノリが良ければ全て良し」

何かあっても「飲みます!」「ウェーイ!」と一気飲みすれば許されるような、そんな空気があった。
僕は中学校で部活を始めてからずっと体育会系の部活を続けていて、10代の自分には「体育会系のノリ」が染み付いていた。

仲の良い友だちも体育会系が多く、今思えば「体育会系独特」とも言える文化に染まっていたように思う。

大学時代の飲み会は一気飲みばかりで、殺し合い潰し合いが当たり前だった。
吐いてからが勝負みたいなところがあって、

トイレに汚いものを吐き出しながら、

「お...俺は蘇るぜ...。何度でもよォ」

と強がっていた。
飲み会の開催場所となっていた我が家は飲み会の翌日にはいつも異臭がして、一人で掃除していた。

あのときはそれが当たり前になっていたけれど、社会人になってから振り返ると異常だ。
特に一気コールはひどかった。

今、冷静に思い返すと「一気コール」は完全にセクハラであり、パワハラでもある。

先輩に言われて一生懸命一気飲みしたグラスを奪われ、グラスを逆さまにして、一滴でも垂れたら

「ちょい残し?」

などと意味不明のイチャモンをつけられ、もう一杯一気飲みさせられた。

そしてイチャモンをつけられないようにと早く飲んでしまうと、その先にはさらなる地獄が待っていた。
空になったグラスを指差し、

「早すぎて 見えなーい」

などと首を傾げて飲んでいないことにされ、さらにもう一杯の酒を飲まされた。


一気飲みが、終わらない。


終いには「一気があれば二気がある」というコールでもなんでもない言いがかりをつけられ、倒れるまで酒を飲んでいた。
脳細胞がここまで破壊されたのは全部飲み会のせいだと思う。


大学時代の大会で「得点王」みたいなものに選ばれたことがある。
本来であれば輝かしい勲章なのだが、与えられたのは賞状でも名誉でも女でもなく、酒だった。

金色の大きなカップに波々と注がれた酒をみんなの前で飲み干すまで延々とコールをかけられる。
なんて理不尽で、なんて無理矢理で、なんて幸せな時間だったのだろう。

僕はあの頃のどうしようもなくて、しょうもない飲み会が好きだったのだ。

顔を真っ赤にして、もう動けないくらいに酔っ払って公園に寝転んで見上げる空が好きだった。
服も髪も顔も、全部ぐしゃぐしゃだ。

右も左も分からない。仲間が近くにいることだけはわかる。

ああ、楽しいな。
こんな時間がずっと続けばいいな。

そんなことを考えながら、公園の草むらに胃の中のものをぶちまける。
こんなくだらなくて汚い飲み会は、大学を卒業してからは一度もやったことがない。

あのとき、あの時期だけの特別な時間だったのだ。

体育会のノリを会社に持ち込んではいけない

僕は体育会的なノリを愛し、くだらない飲み会に人生を捧げてきた人間である。
それでも社会人になってつくづく思うのは、体育会のノリは絶対に会社に持ち込んではいけない、ということだ。

大学では似たような人が集まっているため、同じ空気感を共有している。
そこに金銭的な縛りはないため、嫌ならその集まりに参加しなければいい。

でも会社は大学とは違う。
サークルと違って、会社の人達は好きで集まっているわけではない。
仕事を回すために組織を作っているのだ。

ビジネス上のつながりの場に体育会のノリを持ち込むと、必ず問題が起きる。

一気飲みを強制するとパワハラだし、露骨な下ネタを女性に投げかけたらセクハラだ。

「ノリが良ければいいじゃーーん」

なんてことにはならない。

セクハラかどうかを決めるのは自分ではなく相手だ。
相手が不快に感じたらそれはハラスメントなのだ。

そして体育会系のノリはその性質上どうしてもハラスメントにつながりやすい。
本人は盛り上げるためにやっているのかもしれないが、相手にとってはどうしようもなく不快だったりもする。

体育会系は押し付けになりやすいのだ。
それが心地よい人もいれば、心地よくない人もいる。

大学時代は心地よくない人が一人いても他の全員が楽しければ割と許されるような文化があったが、
社会人は心地よくない人が一人でもいたらアウトだ。

だから僕たちは、会社に体育会系のノリを持ち込んではいけない。
誰かを不快にする可能性があるから。

異性には仕事の話しかしない

会社に入ってからずっと、異性には仕事の話しかしないようにしていた。
プライベートの話は聞かないし、そもそもあまり興味がない。

飲み会で話が出ても決して踏み込まず、意見もせず、形式的な返事でやり過ごしていた。

会社員である以上、ハラスメントへの警戒心は最大限に持っておいた方がいい。
周りが下ネタを言っていても、涼やかな顔でスルーしよう。

何がハラスメントになるかわからないからだ。
職場の人とは基本的にはLINEも交換しない。

プライベートと線引きして、徹底して距離を置くのが「会社員の処世術」ともいえる。
親睦を深めるために胸襟を開いて話す必要などないのだ。


大学時代の飲み会では、酒を片手に肩を組み、プライベートも含めて一緒に騒いで楽しむのが基本だった。

隠し事なし。全てをさらけ出して、酒と一緒に飲み込み、深いところは詮索しない。

そんなノリで飲むのは大学時代までで、会社員の飲み会では

「表面的な付き合いに徹する」

のがデフォルトとなる。

セクハラやパワハラなんて関係なく親睦を深めることは当然可能だが、それでも他人のプライベートには踏み込まないほうがいい。
得することが一つもないからだ。

会社に一人はゴシップ好きの小者がいると思うが、そういう奴は聞いた話を10倍くらいに広げて他人に語る。
社内で他人に噂されて良いことなどない。

プライベートに踏み込むならそれこそ、業務に全然関係ない休日にカフェにでも行って話すのがいい。
平日はプライベートの話をしたらダメ、絶対。

プレイに徹すると本音を語らなくなる

当たり前の話だが、何がハラスメントになるかわからない風潮が強まっていくと、誰も本音でものを話さなくなる。
本音でズバズバ何かを話すと人を不快にさせてしまう可能性も高くなるからだ。

一昔前。ほんの7、8年に比べてハラスメントへの風当たりはものすごく強くなった。

上司は強くものを言うことはできない。
部下の感情に配慮して、できるだけ感情的なすれ違いを起こさないように、丁寧に説明する責任がある。

昔みたいに「アホかお前!しっかりやれや!」で済まされない。
労働者にとっては働きやすくなってきているとは思うが、問題もある。

  • 上司の説明コスト・調整コストが高くなる
  • 厳しく育てられることがなくなり、甘えにつながる
  • 間違いを指摘されにくくなる
  • 早期退社を強制されることで、成長機会が限定される

などだ。

Googleでは「心理的安全性が最も大事」では言われているが、何の取り柄もない怠け者が心理的に安全を感じると、だいたいサボりに精を出すだろう。でもそんな怠け者を厳しく叱ることはできない。

なんでもハラスメントになる世の中と、なんでも上辺だけで話す世の中は背中合わせだ。
歯の浮いたような、心に何も響かないような、魂のこもってない言葉を交わらせて、形だけの親睦会を時間きっちりに終わらせて、

「昨日は親睦会をありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします」

と挨拶して、何事もなかったかのようにいつもと同じように仕事に向かう。
何のための飲み会かよくわからない。儀式みたいだ。

飲み会ではなく、プレイだ。飲み会プレイ。
プレイの中で、必死に自分の役割を演じてる。
本音は見えないまま、操り人形みたいに。


僕が参加している会社の飲み会がプレイヤーばかりというわけではなくて、どちらかというと仮面を被ってプレイしているのは僕だ。

行儀よく振る舞って、自分を入り込ませることなく、本音は語らず、礼儀正しい会社員として振る舞う飲み会は、全然楽しくない。
こんなものは業務だ。人の話をふんふん聞いて、聞かれたときは自分の話をして、でもそれは表面上のやり取りで、何も心に響かない。

自分がプレイに徹してるからこそ、飲み会が死ぬほどつまらない。
だから会社の飲み会は全然好きじゃないんだな。