『終末のフール』の名言を、世の中が不安定な今こそ読み返したい



『終末のフール』は伊坂幸太郎さんの才能が最も輝いていた時期の短編小説です。

いや、「才能が輝いていた」というよりも、伊坂幸太郎さんの作品が個人的にものすごく好きだった時期の作品ですね。


『終末のフール』の舞台は、「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と言われてから5年後の仙台。

最初に政府が「小惑星が落ちてくる」と発表したときは世の中がパニックになり、強盗、殺人、暴力、何でもありの北斗の拳のような世の中になってきました。

街は荒れ果て、事故が多発し、真偽不明のデマが流れ、警察官までもが自暴自棄になって街の治安を放棄していました。

それから5年が経ち。

街はなぜだか落ち着いて、束の間の小康状態に入りました。

これが『終末のフール』の舞台です。

このままでは小惑星が衝突するよりも前に、この世は終わってしまうのではないか、と皮肉に感じるほどの荒れ方で、よくもまあ生き延びたものだ、と私は自分自身で感心している。

それが今年に入り、べつだん、示し合わせたわけでもないのだろうが、急に穏やかになりはじめた。

略奪や暴動について厳しく取り締まられることになったのも大きな要因だろうが、それ以上に、たいていの人間が諦めはじめたからではないだろうか。

恐怖に耐えきれない者はおおかた死んでしまったし、生き残った者たちは、いかに残りの時間を有意義に暮らそうか、と考えはじめたのではないだろうか。

『終末のフール』の1ページ目に書かれている言葉は以下です。


“Today is the first day of the rest of your life.”

 今日という日は残された日々の最初の一日 


世界が終末を迎えるかのような騒ぎになったとき、人々はどう過ごすのでしょうか。
そして世界が終末を迎えないとしても、今日という日が残された日々の最初の一日であることに変わりありません。

明日から世界が変わっても後悔しないように生きていかなければ。



『終末のフール』は8つの短編が収録されていて、それぞれで別々の人々の物語が綴られています。

中でも僕が一番好きなのは、「鋼鉄のウール」と題された短編です。

「鋼鉄のウール」の登場人物である苗場の言葉が身に沁みます。

鋼鉄のウールの概要

「鋼鉄のキックボクサー」と呼ばれた格闘家がいた。

苗場さんだ。

苗場さんがジムに入ってくると、ジム内の雰囲気が変わった。
ジムの中を舞っていた埃がすっと沈んで、空気が塩をまぶされたように引き締まるのがわかる。

苗場さんは「僕」にとって、特別な格闘家だった。
少なくとも5年前までは。

5年前、「小惑星が落ちてくる」と発表された時、世の中がパニックになって、ジムに通うどころではなくなった。

外は危険なので、自分の部屋から出てはいけないとも言われた。

日々、小惑星の恐怖に晒されて、「僕」の父親は頭がおかしくなってしまった。

もともと小柄で、勤勉な印象の強い父だったが、神経質な小動物のように、臆病な態度を取るようになった。

食事の最中に、わっと泣き出したり、奇声を上げたり、母に殴りかかったりもした。

父親の顔は見たくないし、5年経って街が少し落ち着いたこともあり、なんとなくジムの様子を見に行ってみた。

ジムが残っているとも思っておらず、そこで練習している人間がいるなんて万が一も思っていなかった。

けれどジムを通り過ぎる直前に、耳に音が飛び込んできた。


「あ」と言ったまま、口が閉まらなかった。

窓の向こう側、ジムの中で、会長がミットを構えていたのだ。

苗場さんがローキックを連発している。

鍛えられた身体から、汗の飛沫が飛ぶ。

夕日がそれに跳ね返る。

苗場さんと会長。

この二人だけは五年前と変わっていなくて、小惑星や隕石とは無関係のようだった。

「だいたい、会長と苗場さんはいつから、ジムに来ているんですか?」

「ずっとだな」会長が顔を伏せ、笑った。

「ずっと? あんなに大騒ぎだったのに?」

「あいつは、今がチャンスだって言ってるぜ」

「今がチャンス?」

「他のジム生は誰も来ていないだろ? だから今のうちに練習を積んで、さらに強くなるチャンスだってな」

「というよりも、うちはおろか、国内でも敵なしだったじゃないですか、苗場さんは」

「あいつの偉いのは、驕らないところだよ。いつだって、危機感を抱いてる」

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」


苗場さんは、世界が終わると発表されてからも以前と全く変わらずに、ひたすらにローキックの練習をし続けていたのだった。

あるとき「僕」はジムの更衣室で、苗場さんとタレントの対談記事が載っている雑誌を見つけた。

そのときの苗場さんの受け答えが良い。

饒舌さが売りの、派手なその俳優と、無口で愛想がない苗場さんとのやり取りはあまりに噛み合わず、気の利いた掛け合い喜劇のようで可笑しかった。

しゃがんだ姿勢のまま、全部、読んだ。

「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」

俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。

「変わりませんよ」

苗場さんの答えはそっけなかった。

「変わらないって、どうすんの?」

「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」

「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」

可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。


「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」


文字だから想像するほかないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。


「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」


ぼくは目をすっと瞑り、少しの間、気持ちを落ち着かせた。

棘を作るように、高く荒れていた気持ちの波が、ゆっくりと平らかになってくる。

それから、対談の最後、苗場さんが発言した、

「できることをやるしかないですから」

という言葉を反芻し、こくりとうなずいていた。

もしも今日が人生最期の日だったら、今日は何する?

手塚治虫という日本の歴史に残る漫画家がいる。

彼は死の直前まで、病床にあっても3本の連載を続けた。

病院のベッドの上でも彼は漫画を描き続けた。

彼の最期の言葉は

「頼むから仕事をさせてくれ」

だった。

手塚治虫は死ぬ直前までやることは変わらなかった。

「良い漫画を描くこと」

それだけのために生きた人だった。

そしてきっと、漫画を描くのが好きで好きで仕方がなかったのだろう。


スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学のスピーチでこう語っている。

過去33年にわたり、私は毎朝鏡に向かって「もし今日が人生最後の日ならば、今日するつもりでいたことをやるだろうか?」と自問してきました。

そして「ノー」という答えが何日も続くようならば、何かを変えるべき時が来たと気づくのです。


スティーブ・ジョブズのスタンフォード卒業スピーチ全文翻訳 〜人生から学んだ3つのストーリー〜

やりたいことはやっておけ

2020年4月。
世界に終末は来ていないが、一見すると終末にも思えるくらいの騒ぎが起きている。

悲惨な現実を前にすると、「ノストラダムスの予言なんてかわいかったな」と思えてしまうから不思議だ。

もちろん、僕はたぶん死なないし、この記事をここまで読んでくれた読者の方も死なない。

明日も普通に、この世界を生きていく。

でもこれからの世界では、クラブにはもう行けなくなるかもしれないし、 夜のお店で豪遊する人もいなくなるかもしれない。

スポーツ観戦やライブには厳しい制限がかけられるかもしれないし、海外旅行だって行けるかどうかわからない。

きっと人生で一度くらいは誰だって、世界が変わるような体験をするものなのだ。それが今だった。


やりたいことはやっておけ。
死ぬ前に「ああしておけば良かった」なんて後悔する人生は送るなよ、と神様に叱られたような気分にもなる。

そして同じように、人生いつ何が起こるかわからない。
明日何かの病気にかかって、2週間後に死んでしまうかもしれない。

だからこそ、

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」

と苗場が言ったように、明日死ぬとしても、「今日生きたみたいに生きていきたい」と言えるような、そういう生き方をするべきなのだろう。

世界がめちゃくちゃになっている今、なんとなく思い出して読み返してしまった『終末のフール』

自宅での読書におすすめです。

終末のフール (集英社文庫)

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