海外旅行に行って新型コロナを持ち帰ってきた学生の名前を公表し、晒し上げるのは正義なのか?



僕の中での正義が揺れている。
以前からネットの正義の暴走には疑問を抱いていた。

セクハラを風刺したミュージックビデオを叩きまくるネット民や、献血の広告に対して性的だ!と抗議する人、芸能人の不倫を延々と叩く人は、結局は「絶対に抵抗できない相手」をタコ殴りにして快感に浸っていたいのだろうと思っていた。

あるいは、絶対正義の立場から人を叩くことで承認欲求を満たし、自分の重要性を確認したいだけなのだろうと。

近年の正義が暴走する様子を見ておかしいと思ってきたし、反面教師にするべきだとも思ってきた。

そんな自分の価値観が今、揺れている。

この時期に海外旅行に行く人達への怒り

京都産業大学の学生が3月上旬にヨーロッパに旅行に行き、帰国後、新型コロナの感染が判明。

外務省が「感染症危険情報」を発信するのも遅かったが、新型コロナの感染が広がっているのはニュースを見ていたら誰でもわかっていたはずだ。

感染症を持ち帰った学生が懇親会に参加し、そこから感染が広がった。

また、本日のニュースによると、大阪大学を卒業した20代女性も3月上旬にスペインとフランスを旅行し、新型コロナを持ち帰り、25日に卒業証書を受け取り、食事会に参加したのだという。

学生たちは卒業して全国に散り散りになっていく。

感染症が広がってしまっていた場合、もはや全てを追いかけるのは不可能だろう。

ネットでは海外旅行に行って新型コロナを持ち帰ってきた学生の素性を追う動きがあるらしく、5ちゃんねるに個人情報が晒され、トレンドサイトで拡散されているそうだ。


僕はこれまで基本的に、ネット民の正義には懐疑的だった。

しかし今回の新型コロナを持ち帰ってきた元学生たちに対しては、正直に言うと、

「こいつら、もう晒されてしまえよ...」

と、どうにもならない怒りを感じてしまう。

だからといって当然、個人情報を探したり晒したりはしないのだが、この時期に卒業旅行に行く無神経さにはどうしても怒りを通り越して呆れる、を通り越して、やはり腹が立ってしまう。


人が、死んでるんだぞ...?

わかっているのか...?


卒業旅行に行った無責任な学生よ。


その旅行の...

何が楽しい?
何が面白い?
命を何だと思っているんだ。


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何が楽しい?何が面白い?命を何だと思っているんだ(『鬼滅の刃』より)



新型コロナが原因で、今日までに70人が死んだ。

「70人」というと、ただの数字に見えるかもしれないが、その人たちは誰かの親だったり、家族だったりもする。

日本国民全員が知っているコメディアンも含まれている。


感染症が蔓延し、病院が今、パンクしそうになっている。
新規の患者の受け入れをストップした病院も出た。

必要な治療を受けられず、新型コロナが原因で、間接的に死ぬ人も出てくるだろう(もういるのかもしれない)

経済活動が強制的に止められ、多くの企業が苦しんでいる。
飲食店が潰れ、航空会社も虫の息だ。

一日でも早くこの感染症の悪夢を終わらせようと、多くの人が遊びにも行かずに自宅でじっと我慢してる。


もう一度、卒業旅行に行った学生に聞きたい。

何が楽しい?
何が面白い?
命を何だと思ってるんだ?

失われた命は回帰しない。
二度と戻らない。

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「失われた命は回帰しない。二度と戻らない」(『鬼滅の刃』より)


......みたいな感じで、ニュースを見るたびに怒りがこみ上げてくる。

自宅に引きこもるのには慣れていたはずなのに、意識しない間にストレスが溜まっていたのかもしれない。

無責任に遊びまくる人への怒り?

「卒業旅行に行って感染症をもらって帰り、スプレッダーになっている人」に比べると、それほど怒りを感じるようなことはないが、この時期にクラブに行ったり大人数で飲んだりしている人も少々危機感が足りないように感じる。

「踊ればコロナも吹っ飛びます」

とインタビューに答えた若者が話題になっていたけれど、コロナよりも日本経済が吹っ飛んでいるのが現状だ。

いつまでもこの状況が続くならば、踊ってコロナを吹っ飛ばすどころか、踊りに行くクラブが軒並み潰れて吹っ飛んでしまうのは想像に難くない。


マスコミや行政が危機感を煽っても、やはり「自粛の要請」には限界があり、行動を制限できない人は必ず出てくるようだ。

(この記事を書いている間にも「六本木で200人規模の国際交流パーティーが開かれる」というニュースが飛び込んできた)


「無責任だ!」「うつけ者!」とネット民が何か失敗した個人を叩きまくる風潮は許容できるものではないけれど、政府があくまで「自粛を要請する」くらいしかできないのならば、ネット民の「空気の圧力」で人々の行動を制限するよう圧力をかけるのは、今回に限り「正しい」のかもしれない。

そんな風に「正義の暴力はダメ」とか「正義の暴力もアリ」と意見が変わるのは、結局僕が、「自分に実害があるかどうか」で正義の基準を判断しているからなのだろう。

今回の新型コロナに関しては実害が大きすぎるし、下手したら自分か自分の知り合いが感染して危機に陥るかもしれない。

このような危機に対応するためには、政府がリーダーシップを発揮して人々の行動を変容させるのが一番だが、それがかなわない場合は「空気の圧力」で変容を促すしかないのだ。