「年をとったら記憶力が落ちる」とよく言われるが、個人的には全くそう思いません。
「脳細胞の数は減少していく一方だから、記憶力が落ちていくのは必然」と昔からよく言われてきました。
しかし、現代の科学の現場では
「人体の構造物は入れ替わりながら維持される。脳の海馬の細胞も例外ではない」
とされています。
「年をとると記憶力が衰える」という誤解…海馬が記憶に果たす役割とは
「脳細胞の数は減らない」という研究が正しいか間違っているかを脇に置いたとしても、
やはり加齢によって記憶力が落ちるというのは主観的には否定したくなります。
これは「人間はいくつになっても成長できる!」とか、「人間の可能性は無限大!」とか言いたいわけではなく、
年をとると「既に知っていること」が増えるため、それに関連する新しいことへの理解が簡単になるためです。
誰もが経験したことがあるように、一度理解したことは再び理解することは容易です。
また、一度覚えたことは時間が経って忘れてしまったとしても、すぐにもう一度記憶することができます。
理解している内容が増えるにつれて、それに関連する新しい何かを理解することも簡単になります。
高校のときに苦労した微分積分だって、大人になってから復習したら簡単に理解できますよね。
あれと同じです。
つまり、「経験が記憶を助ける」ため、年をとっても記憶力は落ちないと考えられるわけです。
とはいえ、年をとると筋力が落ちていくように、脳の機能も加齢と共にある程度は落ちてくる可能性は十分にあります。
つい最近、介護施設にいる祖母に会いに行ったのですが、90歳近くなった人々の脳の働きはどう見ても「衰えている」としか言いようがなく、
「脳は加齢の影響など受けない」
なんて言えません。
年をとっても筋トレである程度筋肉が維持できるように、脳も使っていくことである程度は維持できるとは思います。
40歳からは下りのエスカレーターに乗せられ、放っておくと人間の能力は下がっていくけれど、頑張れば上に上がっていくこともできる、といった感じでしょう。
そのエスカレーターは加齢と共に下りの速度が上がっていきます。
それで、脳の機能云々以前に多くの人が
「年をとったら記憶力が落ちる」
という原因は、その人の生き方に関係していると思います。
読者の方の周りはとても優秀で、年をとっても学び続ける人がたくさんいるかもしれません。
ですが、僕の知る限り、多くの人は年をとると全然新しいことを学ばなくなります。
仕事が忙しいと言って、家に帰ってからはご飯を食べて寝るだけ。
主体的に時間を作る努力もせず、通勤電車ではスマホのゲームをやってばかり。
業務では慣れた仕事を回すばかりの日々で、新しいことを学ぶ機会はほとんどありません。
そんな風に過ごしていると、いざ新しいことを学ぼうとしても頭の中に理解の積み重ねがありません。
なので、理解が全然進みません。
理解していないことは覚えられないので、記憶力が落ちたように感じてしまうのです。
また、日々アンテナを張って新しいことを学ばないと、世の中の進歩に全くついていけなくなります。
世の中からしばらく離れて、ふと思い立って新しいことを学ぼうとしても、「それまで持っていた知識」と「世の中の常識」がかけ離れすぎて、初めて微分積分を学んだ高校生のように戸惑ってしまい、目の前のことが全く理解できない、という状況に陥ってしまいます。
年をとると手と足と身体を動かさなくなることも記憶力が落ちる大きな原因です。
これは「筋トレをして身体を健康に保とう」という意味だけではなく、
「物事を理解するには、実際に自分で使ってみるのが一番いい」
という理由からです。
我々が当たり前に使っているTwitterやFacebook、インスタグラムだってそうでしょう。
新聞で読んでるだけじゃそれがどんなものなのかを理解できません。
実際自分で使ってみて、”中の空気”を感じて、遊んでみないと使い勝手がわかりません。
ちなみに僕は仮想通貨の本を3冊くらい読みましたが、実際に自分でトレードしていなかったので、結局仮想通貨のトレードがどんな風に行われているのか理解することができませんでした。
何かを学ぶには体験するのが最強なのに、大人になると頭でっかちになって、自分で動いて学ぶことを忘れてしまう。
頭だけで理解しようとして、結局何も身に付かない。
高校生が新しいアプリを使いこなしているのは、高校生の頭が柔らかいからってだけではなく、高校生が周りの友達と一緒に
「自分で使っている」
からです。
そんな怠惰の積み重ね結果、新しいことを理解できず、スムーズに記憶もできないようになってしまうように思うのですが、その事実を認めてしまうのは私たちにとってはあまりに辛い。
なぜなら、記憶力が落ちたのは自分がサボっていたせいだと認めることになるからです。
だから、「年をとって記憶力が落ちていかんなぁ」と、物を覚えられないのは誰にでも訪れる「加齢による衰え」であると主張し、自分に責任はなく、仕方のないものだと主張したくなるのでしょう。