僕が就職活動をしていた頃は、スマホゲームが流行る少し前だったかな。
DeNAの人事担当者が会社説明で話していたことが今での印象に残っている。
「DeNAは球形組織を目指しています。ピラミッド型ではなく。
一人ひとりが個性を活かせる会社です。
DeNAでは『誰が言ったか』よりも『何を言ったか』で判断されているんです」
学生のときは周りの友達みんながフラットな関係で、
「会社のピラミッド」
がどんな形をしているのかなんて全然わからなかった。
だから、
「誰が言ったかよりも、何を言ったかが大事」
と聞いても「ふーん」としか思わなかった。
でも社会に出てしばらくすると、普通の会社で「何を言ったかで物事を判断する」を徹底するのはとても難しいことなのだとわかった。
「なんとか部長の言うことだから守らなければならない」
とか、
「なんとか課長の考えたことだから正しい」
みたいな場面は度々あったし、理不尽な上司もいた。
明らかにおかしなことを言っていても、立場が上だから許されているような場面を見たこともある。
組織で働く以上は職階が明確にあり、これはむしろ仕方のないことだとも感じていた。
僕はたくさんの職場を見てきたわけではないけれど、
「誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断する」
が社内文化として徹底されている組織の方が珍しいのではないだろうか?
ピラミッド型の組織にはメリットもある。
- 責任を区別しやすい
- ルールが明確で、社員を管理しやすい
- 階級によって仕事の分担が明確
のように。
自分の将来の業務が予想しやすく、昭和の日本のように「順調に成長している時代」にはむしろピラミッド型の組織の方がずっと安定するあろう。
一方で、ピラミッド型の組織の場合、
- 社員の能動的・自発的な行動は押さえつけられる傾向が強い
- 階層が多いせいで、意思決定や伝達に時間がかかる
- 何をするにも承認地獄が待っていて非効率
などのデメリットもある。
権限を持つ人が保守的になってしまうとイノベーションは起こらないし、
万が一、上が無能で勉強不足だと、組織全体が徐々に腐っていく点も見逃せない。
で、僕がこの記事で言いたいのは、どんな組織に所属していようと、「何が正しいか」は「何を言っているか」で判断しようぜ、ということ。
肩書とか年齢、その人の権威で正しさを判断する癖がついてしまうと、簡単に騙されるようになってしまうから。
最近はツイッターでも「誰が言ったか」で物事を判断されるケースが非常に多いのが気になっている。
フォロワーが多い人の発言をよく吟味せずに正しいと判断してしまったり、
ふわっとした格言めいたことを言う「成功者」っぽいアカウントの高額有料noteを買ってしまったり、
インフルエンサーの発言を100%鵜呑みにしてしまったり。
権威に圧倒されると、僕たちの目はくらみがちだ。
すごそうに見える人であっても、相手は人間だ。
正しいときもあれば、間違えることもある。
「間違えることもある」ってことを忘れずに意識しないと、宗教のように盲目的に誰かを信じてしまう。
たとえ大好きな発信者であっても、全てが正しいとは思わず、フラットな目線で情報に接するようにしたい。
逆に「誰が言っているか」で全てを否定されるケースもある。
炎上系ブロガーの言うことは全部間違っている!
何もかも誤りだ!
インチキだ!
と決めつけて怒っている人も多い。
もちろん彼らの事業には危なっかしいものも多いし、人の感情を逆撫でしている部分も多々ある。
その人が嫌いなのは仕方ない。にんげんだもの。
それでも、「感情」と「論理」は分けて物事を判断しないと、「誰が言ったか」で物事の正しさを判断する悪癖がついてしまう。
感情や感覚、相手の権威で正しさを判断する癖がついてしまうと、内容を吟味せずに意思決定するようになってしまう。
影響を受けてしまう。
こういう人は、自信満々で話す営業マンの話をよく考えもせずに信じてしまうかもしれない。
すごそうな「肩書き」を持っている人に簡単に騙されてしまうかもしれない。
生意気で嫌いな部下が素晴らしいアイデアを持ってきても、よく考えもせずに否定してしまうかもしれない。
最後にどうでもいい余談だが、この婆さんは漫画『サラリーマン金太郎』で主人公を毎回救う超絶金持ちの婆さんである。
金太郎はこの何でもない婆さんを、婆さんだからといって侮ることなく親切にし、自分の人生を切り開いていった。
僕たちも、「すごそうな人」を鵜呑みにせず、「冴えない人」を馬鹿にせず、
「誰が言うか」よりも「何を言うか」で物事を判断していきたいよね、という話がしたかったんだ。