大学デビューや社会人デビューできた人は、変わることができた人



朝ツイッターを見ていたら、ハッとするツイートを見つけました。



高校まで全くパッとしなかったのに、大学に入って急に髪の色を変え、態度がでかくなるような人がいました。

そういう人は「大学デビュー」と言われがちで、自分もそれに同調するような部分がありました。


社会人になって、名の知れた会社に就職して、急に銀座コリドー街なんかで遊び始めて、モテ始める人は「社会人デビュー」なんて言われます。

そういう人は馬鹿にされがちです。有名企業に入ってイキっているよね、あんなにモテなかったのに、と。


しかし待てよと。


むしろ変わった人ってすごくないか?

人間が変わるのは本当に難しい。

勇気ある決断と、行動力がないと変われない。

勇気を出して自分を変えてデビューした人を馬鹿にするってことは、自分は何も変われてないってことなんじゃないかと。

何も変わりもしないで、他人を「彼、社会人デビューだから」と冷めた目で見て馬鹿にする人間と勇気を出して変わった人間、どっちが立派かというと比べるまでもなく変わった人間の方が立派なわけで。

上から目線で馬鹿にしている方が実は負けていた、というお決まりのパターンだったのではないかと思うわけです。

毎年何かにデビューするつもりで自分を変えていって、周りから「デビュー野郎」と馬鹿にされるくらいの方がカッコいいですよね。

だって、デビューしたってことは「変わった」ってことだから。

良いデビューと悪いデビュー

しかし何でもデビューすればいいかというと、僕の中ではそうではありません。

デビューは素晴らしいものですが、尊いデビューとイケてないデビューがあって、両者の差は


「自分の欲を満たすためのデビューか、他人を喜ばせるデビューか」


にあると思っています。

全てのデビューが崇高な志の元に行われる必要はありませんが、自分のことしか考えていないデビューは「迷走」と紙一重です。


ふろむださんの記事を読んでヒントを得たのですが、
人間が何かの行動を起こすモチベーションは100%善意である必要はなく、利己的な感情を内包していてもよいのです。

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でも100%利己的で、自分の欲求を満足させるためだけに行動し、世の中に何も価値を生み出さない「デビュー」は誰からも尊敬されず、単なる「痛い人」になってしまいます。

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それでも何も変わらないよりは「自分」の欲を満たすことができたという点で、立派なのかもしれませんが。


常に立派な理念を持って変化していく必要はないし、そんな立派な人間にはなれません。

伝記に出てくるような偉人だって、滅私の心で世の中に尽くすことだけを考えて生きてるわけではなく、功名心や承認欲求もあったはずです。

それは別に問題なくて。

大事なのは、「自分自身の欲求を満たすための行動」と「誰かの役に立つ行動」のバランスを保ち、「自分のため」に偏りすぎないようにすることだと思うのです。


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