愛されたことがないのではなく、愛を忘れているだけ



痛ましい事件に日本中が胸を痛めている。

5月28日、川崎市登戸でスクールバスを待っていたカリタス学園の小学生らが相次いで刺された。
犯人の岩崎隆一は犯行後、自殺。

ネット上では多くの人が様々な分析を述べているが、死んでしまったものはわからない。
岩崎隆一の犯行で再び注目を集めたのが「無敵の人」という単語だ。


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岩崎が失うもののない無敵の人なのかどうかは、続報を待たなければわからない。
岩崎が無敵の人だろうと無敵ではなかろうと、亡くなった人は戻ってこない。

これからは子どもたちが登校中に危険な目に遭うのを避けられるように様々な対策が講じられるだろうが、頭がおかしい大人が突然刃物を持って襲ってくるのを防ぐことはできるだろうか?

僕自身、小学生3年生の頃に頭がおかしいおっさんに襲撃されたことがあるが、必死になって逃げて、建物の影に隠れてブルブル震えていたことを忘れない。

子どもにとって、図体がでかく、頭がおかしいおっさんは抗いようのない恐怖でしかないのだ。


朝から哀しい事件を見て気が重くなっていた。
もし自分に子どもがいて、苦労して育てた子どもが頭のおかしいおっさんに刺されたらどんな気持ちになるだろうと想像してみたら、背筋が凍った。

池袋の暴走プリウスもそうだ。
子どもが犠牲になる事故・事件が立て続けに流れ、涙を流す被害者の方の映像を見て、心が痛くなる。

今回の川崎市登戸の事件は、誰にも必要とされない、愛されもしない孤独な男が犯した愚かな凶行として多くの人が言及している。

僕もそんな風に考えていた。


そんな中で、フォローしている鍵アカウントの方がこんなことをつぶやいていた。

この国の人達は「愛されたことがない」と本気で言っているようだけど、少なくともあなたが0歳のとき。
誰かが不眠不休でお世話をしてた。
少なくともあなたがトイレ行けるのも、何百回と床を拭き新しいパンツを誰かが履かせたから。
愛を忘れてるだけでしょ

殺伐としたタイムラインで光を見た気がした。

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140文字のツイートにこんなに感動したのは初めてだ。

いやあ、たしかにそうだ。

生まれたばかりの赤ん坊は本当に何もできない。
食事もできないし、トイレもできない。

立ち上がることもできず、言葉を話すこともできない。
泣いて、叫んで、誰かに一日中付きっきりで世話をしてもらわなければ、生きていくことはできない。

つまり、どんな人にも生まれたときには必ず、眠い目をこすりながら夜中にオムツを交換して、泣き止むまで抱っこして、ミルクを与えてくれた人がいたのだ。

愛がなければ何の見返りもなしに一日中赤ん坊を世話することなんてできないだろう。
母親(あるいは父親)の、赤ん坊に対する奉仕は無償の愛である。

子育てを「労働」と呼んでいいのかはわからないけれど、自分たちが大人になるまでに、少なくない時間と労力を投入してくれた人がいる。

子どもが立ち上がり、言葉を話し、学校に生き、友達ができて、部活に通い、受験を応援し、合格発表を一緒に見て、成人するまで優しく見守り、育ててくれた人がいる。

愛なしではできないことではないか。

愛されたことがない人は存在しない。
愛を忘れた人がいるだけなんだ。




* * *



無敵の人はどう対策したらいいのか?

こっそりと余計なことを追記する。
答えのないものを雑に書き散らしているし、少しだけ不快な内容になるので、気分が悪くなりそうな人は読まない方がいいかもしれない。



* * *


僕たちは皆、たくさんの愛を受け取って育ってきている。

少なくとも今ここで、この文章を読んでいるということは、
お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんが、ものすごくたくさんの時間と、たくさんの労力と、たくさんのお金と、そして愛情を注ぎ込んでくれた結果だ。

それでも生まれたときに愛を与えてもらったからといって、無敵の人はいなくならないだろう。

彼らが今抱えている絶望は、生まれたときに受けた無償の愛とは別のところにある。

いま、多くの人が無敵の人の犯行動機を分析している。

精神科医は「弱者の世の中への復讐」だと言い、テレビのコメンテーターは「失うもののない狂人の犯行」と言い、進化心理学的には「繁殖活動の敗北者の暴走」だと言われるだろう。

しばらくは様々な角度からの分析が続くに違いない。


実は日本全体では犯罪の件数はそれほど増えておらず、むしろ減少傾向にある。
それでもテレビで狂人のニュースが流れるまくることで、頭のおかしな人が急激に増えたような印象を受ける人は多いだろう。

その結果として、就職氷河期世代の無職おじさんは、「頭のおかしな人の予備軍」のようなレッテルを貼られる可能性もある。

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「あの人、やばそうだから近づいてはいけないよ!」

と警戒され、「無敵っぽい人」の立場はますます悪くなり、世間から距離を置かれることが予想される。

その蔑みの目が彼らのプライドを深くえぐり、傷つけることだろう。
自信のない人のほうが傷つきやすいのだ。


愛を受けることができれば無敵の人は救われるのだろうか。


どう考えても、親族以外の誰かが、金がなくてキモいおっさんを愛してくれる可能性は低いだろう。

ひろゆきさんは「無敵の人にウサギを配ろう」と主張していたが、ウサギを配れば人は優しくなれるのだろうか。

ポリティカル・コレクトネスに著しく反する考え方で、大きな声で主張することはできないが、『進化心理学から考えるホモサピエンス』という本で何度も説明されている主張が無敵の人問題の本質をついているように感じた。

曰く、

「進化心理学で言えば、男にとって最も重要なのは繁殖の成功(結婚と子供の誕生)である。
男がすることは、犯罪であれ科学研究であれ、すべてこの究極の目的を達成するための手段なのだ」

「(イスラム社会のような)一夫多妻の社会では一部の男がすべての女性を独占し、多くの男性から繁殖機会を完全に奪ってしまう。
そのような社会では、男は死に物狂いの競争に走り、若い男が暴力的になる確率が高くなる。
妻のいない男たちは、暴力的な手段で何かを得ることはあっても、失うものは何もないからだ」


つまり無敵の人の犯行は、繁殖の敗北者の逆襲であると。


ここまで単純に割り切れるものではないし、どんな分析も死んでしまった相手には空疎に響いてしまうものだが、
もし無敵の人が子孫を全く残せないこと(=繁殖活動の完全敗北)に心の底で絶望しているのだとしたら、そんな無敵の人を救うのはウサギではなく、

「将来は自分も結婚できて、子供を残せるはずだ」

という希望なのではないだろうか。

いつかは愛を与える側に回ることができる、という希望だ。

そんな希望が持てないことがそもそもの問題なのだが、40代から50代は諦めて試合終了するにはまだ早すぎるだろう。
カーネルサンダースがケンタッキーフライドチキンを開発したのは65歳からだ。

ジジイになっても世界を変えた例外はある。
とはいえその例外には「人並み外れた根性と行動力がある」という前提がつくのだが。

まぁ、普通の人には無理だよな...。

で、そうなると結局、

「這い上がれない位置に社会的地位が固定されてしまっていること」

が間接的に機会を奪い、

「固定された立場からの脱出方法がわからないこと」

が希望すらも奪っていることにもなるから、やっぱり「一度敗れた人にもチャンスを与えられるように」という対策を打つしかなくなるんでしょうね。

でも当然ながらチャンスは与えられるものじゃなくて、自分の頭で考えて掴んでいかなければいけないものだから、国から

「ようお前!元気か?
お?元気ねえな!どれ、もうワンチャンスやるよ!」

なんて上から投げられてもそれはもう“生きたチャンス”とは言えないだろう。


新聞を眺めていたら、「2019年時点で35〜45歳の就職氷河期世代を支援する!」と厚生労働省が気合を入れていた。

支援ですか。

支援も大切だと思う。生きていけるように。

彼らがもっと望んでいるのはきっと、金銭的な支援や同情や応援ではなく「失われた尊厳の回復」なんだよね。

国に助けられて生きていければオッケーというのではなく、人に尊敬されて、自分に自信を持てるようにならなければ、前向きにはなれない。

そして「人に尊敬されるような成功体験」や「尊厳を回復できるような経験」と、「国が弱者を支援する」って、なんだか相反するもののように見えてしまうんだよね。

自分で立ち上がって、自分で頑張って、自分の力で勝ち取る経験こそが、自信につながると思うから。
そうなると、今度は「自分で立ち上がって頑張れないから無敵になったんだろうが」という話になり、結局「無敵の人は対策不能な兵器」と結論付けるしかなくなってしまう。

極端な話だけどね。

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