中一の娘に「ママはなんで働かないの?」と聞かれた専業主婦が話題になっていた。
2019年7月、「Yahoo!知恵袋」に50歳専業主婦。中1の娘から「ママはなんで働かないの?」と聞かれました。と、投稿された。
投稿者は専業主婦であることに誇りを持っていて、娘に専業主婦を否定するような印象を与えた学校に怒りを感じている。
「学校に腹が立って仕方ありません」としながらも、娘に学業や就職を勧める理由をしっかりと説明できず、落ち込んでいるようだ。
ただ、気になるのは娘が「私に勉強しろとか大学行けとか〇〇になったらとか言うけど、お母さんは働いてもいないのに、なんで私にはそう言うの?」と言われ、
「親だからあなたのことを思って」と言ったものの、どこかで自分を否定する発言のようで嫌な気分になってしまいました。
投稿者は「専業主婦である事がそんなにいけなかったでしょうか?」と疑問を投げかけ、投稿を締めくくっている。
知恵袋の回答への違和感
この知恵袋のベストアンサーでは以下のように主張している。
- 昔は専業主婦が当たり前だった
- 専業主婦が本来あるべき姿だ
- 現代は専業主婦が難しい
- そんな現代で、恵まれた専業主婦家庭である投稿者に教師が嫌味を言ったのだ
- 教育委員会や学校に抗議して当然だ
ベストアンサーのように「学校に抗議しましょう」と煽るのは感情的になり過ぎている。
また、「専業主婦が当たり前」という認識も少しずれていて、「専業主婦が当たり前とされた戦後の日本がむしろ特殊だった」ことは考慮しておきたい(戦前までは日本でもほとんどが共働きだった)
北欧のスウェーデンでは25歳から60歳まで、ほぼ9割の女性が働いている。
他の先進国でも同じで、ヨーロッパでは8割以上の女性が働き続けているそうだ。
日本の問題は「専業主婦が当たり前ではなくなった経済状況」にあるのではなく、「一度職場を離れたらキャリアを中断せざるを得ない環境」にある。
つい最近でも「ガイアの夜明け」で伊藤忠商事で子育て中の女性に総務への転属を提案したことが議論を呼んだ。
男性・女性関係なく、「育児に積極的に参加していたらキャリアを築きにくい」のは大きな問題だろう。
そして日本では「家事・育児・子育ては女性がするもの」と考える傾向が強く、その風潮が女の子育てとキャリアの両立を妨げている。
その他にも
「質問者さんが言っているのは、外で働きたくない言い訳です。外で働くしかありませんよ」
とか、
「働かない理由を家族に押し付けている」
みたいな意見もあった。
「自信を持ちたいなら働け」という意見だ。
これも正論ではあるし、僕もひと昔前なら同じように考えていただろう。
しかし今では「仕事が嫌ならわざわざやらない」のも一つの選択肢なのではないかと思っている。
自信がない原因は「働いていない」からではなく、働いていないことに堂々と胸を張っていないからだ。
ちなみに橘玲さんの『専業主婦は2億円損をする』では、世界標準では専業主婦はニートと同じ“落ちこぼれ”扱いされており、欧米で「妻が専業主婦をしている」と言うと、その場の空気が凍ってしまう、と紹介されている。
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好きでもない習い事をする必要はない
知恵袋を発見するきっかけになったのは以下の記事だ。
記事はどちらかというと専業主婦に否定的で、まとめると以下のようなことが書いてある。
- 夫の収入に頼る専業主婦はリスクが大きい
- 無収入では発言力や決定権は弱まる
- 選択肢が狭まる
- (知恵袋の)パート以外にも習い事やボランティアを勧める意見に賛成だ
専業主婦として経済的に相手に依存するようになると、離婚しづらくなったり活動を制限される、というのは至極真っ当な意見だ。
だからこそ、知恵袋の投稿者の「中学生への娘への回答」としては、
「将来の選択肢を狭めないためにも勉強して、良い大学に行って、働いておくのが正解」
と言えるのではないだろうか。
選択肢があるに越したことはない。
それで、「働く」という選択肢を持った上で、あえて専業主婦をやるのは全く問題がないと僕は思う。
そこに引け目を感じる必要などない。
専業主婦であれば子供と一緒にいる時間をたくさん持てるし、家が公立中学生の不良のたまり場となることもないだろう。
引用元の記事では「習い事やボランティアをやるのがいい」みたいに書かれているが、好きでもない習い事をしても自尊心など高まらない。
娘が中学生になって時間に余裕ができたからとりあえず習い事にでも行こう、というのは短絡的過ぎる。
本質的な問題は、普段の自分の生き方に自信を持てないことであり、専業主婦であることに内心引け目を感じている点にあるのではないか。
知恵袋の質問者の方は「専業主婦であることに幸せと誇りを感じている」と書いているが、その誇りを娘に伝えた上で、学業の意味を教えてあげるといい。
多くの人が誇りを持てずに会社に通っている世の中だ。
誇りを持って生きていけるのは本当に素晴らしいことだ。
僕たちは幸せを感じる生き方を選びつつ、不幸を避けるために選択肢も用意しておくのがいい。
具体的には専業主婦で日々幸せに過ごしながら、旦那が豹変したときのために何か社会に貢献できるスキルを磨いておくと安心だ。
家のスキマ時間で身につけられる専門能力も色々とあるだろう。
今ならオンラインで大学の講義も受けられる。
勉強のチャンスは無限にある。
ちなみに言うと、家事だって立派なスキルだ。
以前話題になったが、キッズラインでは月収70万を超すベビーシッターもいるらしい。
働かなくてもお金を生み出してくれる資産を保険にするのが理想だが、スキルだって保険になる。
中学生が勉強しておくのも将来の選択肢を広げるため。
社会経験を積んでおくのも、選択肢を残すため。
その上で、堂々と「専業主婦という生き方を選んだのはそれが自分の幸せだから」と答えればいい。
それぞれが得意なことに従事することでお互いの生産性が最大になる。
仕事が得意な夫をサポートし、家事が得意な女性が家事に専念するのもいい。比較優位的な考え方だ。
「嫌な仕事に従事しない」というのは、勇気ある決断でもある。
ちなみにこの記事では、ツイッターの専業主婦クラスタが叫ぶ
「専業主婦は忙しい。年収1000万分の働きをしている」
のような主張は考慮しない。
「働かなければならない圧力」を華麗にスルーする
日本国憲法 第27条には以下のように書かれている。
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。
文字通り読むと、全ての国民には勤労の義務があるわけだが、どうなのだろう。
つまらない仕事を22歳から70歳まで続けるのは拷問だ。
じわりじわりと精神を蝕む遅効性の毒でもある。
「仕事が嫌なら働かない。それで生きていけるなら」
それでいいじゃないか。しっかり稼ぐ旦那を見つけたのはその人の器量と美貌と才能だ。
良い人を見つけた。グッジョブだ。
子供と幸せな時間を過ごし、好きなものを食べ、子供が寝ているときはNetflixでも見ればいい。
「働いている人が偉い」
みたいな圧力は意に介さず、自由を謳歌するといい。
自分の生き方に自信を持ち、その生き方を手に入れたことを誇ればいい。
知恵袋の質問者も誇りがあるなら堂々としていればいいのだ。
胸に抱いた誇りを言語化して子供に説明できないのは怠慢だろう。
一方で、いざというときのために準備しておくに越したことはない。
何か会社で使えそうな専門性をコツコツ磨いておいたり、在宅でできる仕事をこなして社会との接点を保っておくのもいい。
ある知り合いが、結婚後、「自分の時間に余裕ができたから専門学校に申し込んだ」と言っていた。
ナイスなチャレンジだと思う。
会社員の立場ではまとまった時間を勉強に費やすのは難しい。
時間の余裕を活かせるのは専業の特権でもある。
子供がいる場合はまとまった時間を取るのは難しいとは思うが、それでも激務な会社員よりは自由な時間を確保しやすい。
専業主婦はチャンスでもある、ということだ。
ネガティブに考えず、堂々と娘に自分の生きざまを語ってほしい。
なんだかイマイチ主張がまとまらず、ダラダラと記事が長くなってしまっているのだが、
一言でまとめると、「嫌な仕事をしなくて済むに越したことはない」ということだろうか。
「好きなことで生きていく」は一つの自己実現のカタチなのだ。