なぜe-Taxは致命的に使いづらいのか



2019年2月28日の日経新聞一面に「可処分時間の争奪戦」について書かれた記事が載っていた。

北欧エストニアでは電子化が進んでいて、税の申告から処方箋の発行まで公的手続きの99%がオンラインで済むのだという。
その結果、役所仕事で年間1400時間分の時間の余裕が生まれたそうだ。

どんな人にとっても、1日は等しく24時間。
ITによって時間あたりの生産性を高めることにより、新たな価値を生む「可処分時間」を増やし、奪い合う動きが広がっている。


この記事を読んで、午前中までせこせこと確定申告書を作っていたことを思い出した。

我が国のIT化はどうなっているのだ?

確定申告書をセブンイレブンで印刷し、ハンコを押して、マイナンバーや免許証の写しをノリで貼り付けて提出する。

税務署の人は本当に親切で、質問にも丁寧に答えてくれて本当にありがたかった。
彼らは全く悪くない。むしろ大好きだ。

しかし紙の書類をいちいち印刷してノリを塗ってペタペタと貼っている自分を俯瞰して、

「もしかして昭和にタイムスリップしてしまったのでは...?」

と不思議な気分になったのも事実だ。

動画をインターネットで見れるようになった。
CDを買わなくても音楽が聞けるようになった。
友達とLINEで無料で電話できるようになった。

でも肝心の公的書類はまだ手書きでハンコを押して、わざわざ自転車で税務署に行って、手渡しで提出している!

俺が生きてるのは2019年だよな、間違ってないよな、と少しだけ考え込んでしまった。

こんな面倒なことをしなくても、パソコンがあれば確定申告ができるに違いない...!

...そう信じて見つけたのが「e-Tax」であった。

令和の時代は確定申告もオンライン!

「e-Tax」を使えば電子的に提出できるんです。

税務署まで行かなくていいのです!


ということで「e-Tax」を調べてみたら、なんと!

マニュアルが415ページもありました...

http://www.e-tax.nta.go.jp/manual/clientmanual_all.pdf


e-Taxなんて年に一回しか使わないのに誰が415ページもの説明書を読むのでしょうか...受験かよ...

作った人はホームラン級の馬鹿か、あるいは優秀すぎて415ページの書類を読むのを全く苦にしない天才なのか。
どちらにしても僕のような凡人に415ページものマニュアルを読みこなすことはできない。

そして2020年にもう一度見てみると、なんと!

499ページに増えていた...。

辞書かよ。

担当者が怒られないために、「マニュアルに記載してあります」と言い訳するためだけに作られたとしか思えない、誰も読まない辞書。

この辞書を作るためにどれだけの工数が費やされたのだろうか。
どれだけの税金が費やされたのだろうか。

e-Taxプロジェクトを担当したプロジェクトマネージャーの所得税を80%にしないと納税者が報われない。


それにe-Taxを使うにはWindowsに専用のソフトウェアをインストールしなければならず、Macでは利用すらできない。

2020年になっても「e-Taxソフトダウンロードコーナー」にはexe形式のインストーラしか置かれていない。


国民の全てがWindowsを使っているとでも思っているのだろうか?

「なぜブラウザで使えるようにしなかったんや」

と担当者を小一時間ぐらい問い詰めたくなった。

(※2020年時点では「確定申告書等作成コーナー」からならMacでも確定申告できるが、このブラウザ版はクラウド会計ソフトと連携できない)


ちなみに上記のソフトウェアダウンロードコーナーと「システム利用のための環境等」のページは全く別になっていて、情報を調べたいユーザーの利便性は全く考えられていない。

全ての情報が散らばっていて、ユーザーが辿れるようにできていない。

悪意すら感じる迷宮のようなウェブページであった。


さらには専用のカードリーダーを用意すればいいとか、実は今では用意しなくても大丈夫だがその代わり何かの番号的なものが必要になるとか、調べてみるといちいちややこしくて、それなら書類を印刷して自転車で提出すればいいや、と思うに至った。

提出自体は5分で終わるしね。

ツイッターでエゴサーチしてみると、皆様、年に一回の作業になかなか苦戦している模様。
freeeを使えば「e-Tax」と連携されて便利に使えるという意見もあったが、実際はどうなのだろうか。


Windows機を買って、頑張ってe-Taxをやろうとしてもとにかく抜群の使いづらさのようで、もはやわざわざインストールしようとする気概が失せてしまった。残念だ。

申告ソフトは国が提供する純正「e-Taxソフト」や、市販では「達人」といったパッケージソフトなどがありますが、どれも一般利用者を想定していないせいか操作感が悪いという状況にあります。

特に「e-Taxソフト」のUIは、必要な機能をとにかく詰め込んだだけで操作感をまったく考慮していないため、非常にストレスのたまります。国の肝いりで多額のコストをかけたのにこの完成度には大いに疑問を感じます。

http://harakancpa.com/blog/?p=285


ところで、引っ越しのときも確定申告のときもマイナンバーが必要になったが、正直言ってマイナンバーによって便利になったことは何一つない。

面倒な記入事項が増えて、いちいちカードをコピーして提出することになり、いち国民として便益を享受できたことは一つもなく、怒りを通り越して呆れ返ってしまう。

どうしてマイナンバーをIDにして公的書類の手続きを全てブラウザからできるようにしてくれないのか...。
なんでこんなに不便さばかり押し付けられてしまうのだろうか...。


マイナンバーもe-TaxもNTTデータが主導で作ったらしいが、このようなユーザー無視のシステム開発はNTTデータだけに限らない。

日本の基幹システムを作るSIベンダー全体が、ユーザー無視の「言われた通りにただ作るだけ」の仕事を続けてきた結果、日本は他国に比べてデジタル化で大いに遅れてしまった、というのが僕の考えだ。

SIベンダーのシステムは、Googleが「0.1秒でもユーザーが情報を見つける時間を短縮しよう」という思想で日々改善されているのとは全く別の思想で開発されている。

彼らの根幹にあるのは、

「怒られないように、作れって言われたものを作って出す」

というものだ。

どうやったらユーザーが喜ぶか。
どうやったらもっと楽に、簡単に、ユーザーが早く作業を終わらせることができるかなんて考えない。

とにかくお客さんに怒られないように、「間違ってないシステム」を作って納品することばかりにこだわっているように見える。

「お客さん」とはユーザーではなく、官公庁の担当者だったり、銀行の担当者であって、その先にいるユーザーではないのだ。


「問題を起こさないこと」が基準

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「e-Tax」のような公共性の極めて高いシステムではミスは絶対に許されない。

「正しく動く」ことは絶対条件だ。
もったいないのは、「正しく動く」ことを基準にするあまり、ユーザーの利便性が考えられていないことだろう。

何より「とりあえず必要な機能をミスなく作ること」が目的になっていて、いかにユーザーを幸せにするかまで考えられていないように見える。

ユーザーの利便性を想像する気持ちが少しでもあるならば、あんな使いづらい成果物にはならないからだ。

以下のようなやり取りでe-Taxの開発は始まったのではないかと邪推してしまうレベルだ。

ニッポンの偉い人「おーい、日本でも電子申告できるようにしよう!なんか考えといて」

なんとか省の担当者「わかりました!なんかやります!おーい、SIベンダーさん!なんかできること考えて!」

SIベンダー「わかりました!e-Tax作ります!」

それで作ったはいいものの、なんとか省の担当者は「作らせること」が責任で、SIベンダーは「作って渡すこと」が責任となっている。

その先の「ユーザーが幸せになること」に責任を持つ人はいない。

作ったシステムでたしかに電子申告は「できる」ようになった。
でも、「できる」だけで「使いやすくて便利」なものにはなっていない。

「ユーザーの利便性」にコミットすれば、国民はもっともっと幸せになれたのに。本当にもったいない。

「月に1000億回Googleを使って検索されている。
平均1秒早く情報にたどり着けるようになったら、ひと月あたり3000年分以上の時間の節約になる」

とGoogleの中の人が語っていた。

少なくともGoogleでは、ユーザーの時間を短縮することが社会に貢献することだと本気で考えて、
1秒でも早くユーザーに目的の情報を届けようとアルゴリズムを改善し続けている。


e-TaxもGoogleと同じくらいの気概を持って作るだけの価値があるシステムだったと思う。
もっと確定申告が楽にできれば、みんなが幸せになった。

SIベンダーは大きな仕事を通じて、国民を幸せにできる立場にある。
ちょっとの改善が国民の利便性を大きく向上させる可能性がある。

ネットではSIベンダーのあり方には批判的な見方が多いが、視点を変えてみると、改善の余地がたくさんあるということだ。

日本の基幹となるシステムを作っている人たちがもっとユーザーを見て、評価の軸を「怒られないこと」から「ユーザーエクスペリエンスの向上」に移していけば、(決して大げさな話ではなく)日本はもっと良くなるはずだ。

我々はもっと日々の生産性を上げることができる。
もっと便利になる可能性がある。

日本は人もシステムも古くなってしまっている

日経新聞5面にインドのDBSグループが手がけた「90秒で銀行口座を開けるサービス」の話が載っていた。
インタビューされているピユシュ・グプタ氏は以下のように語っている。

「グーグルの検索サービスを朝に使い、答えが夕方に返ってくればよいと考える消費者はいない」

「銀行業務も同じだ。消費者はすぐに口座が開設でき、資金も引き出せる利便性を求めている。
そうした消費者の期待に応えて初めて、顧客との取引を拡大できる」


僕は海外で生活したことがないので、海外の銀行のシステムがどれくらい便利なのか実感を伴った感想を述べることはできない。

しかし、いま僕が使っている三菱UFJ銀行のサイトがとても不便で、使いづらいのはわかっている。

そのUIからは「ユーザーがもっと使いやすく、便利にしよう」という気概は感じられず、「とりあえず必要な機能を詰め込んだだけ」という怠惰の香りがしてくる。

非常にもったいない。

e-Taxもそうだが、銀行や官公庁のシステムはとても古臭い印象を受ける。
e-Taxだってこれからの時代はスマホやタブレットで入力できるように工夫してもよかったはずだが、全く逆方向の「Windowsのパソコンににソフトをインストールする」方向に行ってしまった。

なんというか、作った人の感性が少し古いのではないだろうか?
「1990年代に最先端で全盛期だった人」が決定権を握ってシステム開発をしているように感じる。

本来はこのような規模が大きく、少しの改善が国民の生活を大きく向上させるようなシステム開発こそ、今どきのUIに精通した若くて優秀なエンジニアが担当するべきなのだろう。

しかし実態はおそらく、発注する側も作る側も「今どきの使いやすいUIに慣れたユーザー」のことは考えていない。
20年前で思考停止したまま化石のようなソフトウェアを作っているので、今の時代に生きる人間から見るととても古臭く見えてしまう。



日本の大企業では年をとった人が決定権を握っていることが多いと思うが、勉強していない中年は最近のテクノロジーに疎い。

そういう技術オンチの人々が近年急激に進んだデジタル化に対応できず、それが遠因で日本が凋落していったようにも思える。
意思決定の主体となる年を取った偉い人が新しい技術から遠すぎて、判断ができないのだ。


大きな会社が変わるにはトップダウンで号令をかけるしかない。
まずはトップに最近のテクノロジーを徹底的に学ばせることが、会社を変えていくことになるのかもしれない。

「会社を変える」「日本を変える」などは話がでかすぎてこのブログで語るレベルの内容ではないが、

  • トップがテクノロジーを真剣に学ぶ
  • 現代のテクノロジーを元に戦略を練り直す

というアプローチは日本の古くて大きな会社にとって有効な施策ではなかろうか。

もちろん「トップ」には官僚も含まれていて、デジタルに疎い偉い人は、人生のどこかで情報工学や統計学、今どきのIT事情を本気で学ばないとダメだと思う。


僕も使ってるクラウド会計ソフト「マネーフォワード


令和になって見えてきた進化の兆し

古臭かったシステムも進化してきている。
世の中に追いつこうと、ユーザー・エクスペリエンスを大切にし始めている。



e-Taxは相変わらず使いづらいが、それでもスマホ申告機能をリリースした。

マイナンバーのサイトは久しぶりに見たらとても見やすくなっていた。

時代は変わる。

「日本」でくくると大きすぎるかもしれないが、それでも「日本全体」の傾向として、デジタル対応は進んできている。

ユーザーに優しく、使い勝手がよく、わかりやすいインターネットが広まれば、僕たちの可処分時間はもっと増えていくのだ。